北の玄関口と言われた上野駅。ここを始発・終点とする在来線特急列車が激減して久しい。昔の上野駅は特急で大にぎわいだった。どこか懐かしいにおいがする1978年11月号の時刻表(交通公社刊)を開くと「はつかり」「やまびこ」「ひばり」「つばさ」「とき」「あさま」「白山」「ひたち」など東北、上・信越、常磐線に向かう多くの特急愛称名がずらりと並んでいる。どれも毎時発車時刻をそろえるなど利便性を売り物にした「エル特急」の異名があった。

 国鉄カラーをまとった車両が上野駅を次々と発着する光景は壮観だった。学生だった私はわざわざ見に行ったり写真を撮ったりして一人悦に入っていた。夜になると今度は「はくつる」「ゆうづる」などの夜行寝台特急のオンパレード。北の玄関口としての貫禄を十分見せつけた。

 今の上野駅は違う。一つの途中駅となり、在来線特急の始発・終着はどんどんなくなった。北に向かう新幹線が東京駅発着になったことや、「上野東京ライン」の開通で上野駅縦貫が整備されたことなどが理由だ。並行する新幹線のない常磐線を走る特急「ひたち」「ときわ」も品川駅発着となった。

 そんな中、今も「草津・四万」「あかぎ」の2つの特急が上野駅発着で高崎線や上越線を走り、往年の〝特急街道〟をしっかり継承している。

 桜満開の季節、「草津・四万」に乗って埼玉県の熊谷までの小旅行をした。荒川沿いに見事に続く桜並木を見るためだ。わずか60キロの超短距離の旅だった。この特急自体、上野駅を出て群馬県の渋川から吾妻線で長野原草津口まで164・5キロと決して長い距離を走るわけではない。

 「草津・四方」の愛称は県内の名湯が由来。「草津」としてのデビューは60年代で、まだ急行だったらしいが、私が思い出すのは85年3月に登場した新特急「草津」だ。車両は「踊り子」型の185系だったが、急行以上特急以下のような中途半端な位置づけで停車駅も多かった。それ以降、行き先も愛称も今の「草津・四方」に綿々と受け継がれている。

 私が今回乗った「草津・四万」は上野駅地平ホーム14番線から発車した。ここは以前特急が続々と発車していた。車止めがある文字通りの〝行き止まり〟の広いホームはターミナル感が残る。車両はE257系の5両編成で全席指定。白を基調に緑色をアクセントにしたほかではあまり見ないデザインの電車だった。

 短距離特急とは言え、車内は始発からいかにも温泉地に行くといった雰囲気の客が多く、ほぼ満席。近場への〝観光特急〟としての需要はしっかりあるようだ。ついでに言うと「あかぎ」の中には上野―鴻巣(埼玉県)間46・7キロだけを走る主に通勤・通学客を対象にしたと思われるダイヤで運行する列車もある。国内最短ランナーの特急の一つに数えられるのではないか。

 「草津・四万」と「あかぎ」。たった2つの希少な上野駅発着の在来線特急は、需要ある限りこれからも関東平野を走り抜けていくことだろう。

 ☆共同通信・植村昌則