「はっきり申し上げます。3年間で140万円です」「『しゃべるな! しゃべるな!』派閥から追い出されるかもしれませんけれども、指示はございました」と、裏金事件をめぐって派閥の指示があったことを暴露した宮沢博行元衆院議員。

【映像】“モテなかった”高校時代の宮沢氏(複数カット)

 しかし週刊文春でパパ活不倫とデリヘル常習が報じられることになり、その記事が出る前にみずから議員辞職を申し出た。記事によると、コロナ禍で緊急事態宣言が出ていた時期に既婚者でありながら20代の「みちょぱ似女性」と同棲生活を送っていたという。記者から報道について問われた宮沢氏「はい、大変申し訳ございません。記憶にございます」と正直すぎる回答をした。

 地元静岡の有権者からは「恥ずかしい。辞職すればいいってもんじゃないと思う」「悪いイメージが静岡についちゃう。しっかりやって欲しかった」「自分のやっていることを国民、子どもとかが見てどう思うかということをもう一度、議員の皆さんは考え直してほしい」と厳しい意見が飛び出した。

 ABEMA的ニュースショーでは宮沢氏の素顔をよく知る人物を取材。宮沢氏と高校3年間を共にした同級生のBさんは「性格がよくわかる」と中学2年生のころに宮沢氏が書いた詩を紹介。そこには「雨の日も 風の日も 私はまっつぐに生きてきたことを 誇りに思う」と書かれていた。

 Bさんは「僕がちょっとビックリしたのは、まっすぐじゃない。“まっつぐ”なんです。まっすぐを通り越してまっつぐ。まあバカ正直でバカ真面目、一言で言えば愚直という言葉がピッタリな人間」と学生時代の宮沢氏を評した。

 宮沢氏は1975年静岡県磐田郡龍山村生まれ。宮沢少年が政治の道を志したのは中学生のときで、自宅にあった戦没者の遺品を見て「ご先祖さまが国のために命を捧げたのなら僕も国のために頑張ろう」と思ったことがきっかけだという。政治家になるなら東京大学にいこうと地元の難関高校に進学。高校では生徒会長を務め、さらに応援団の副団長。そして剣道部で汗を流した。

 Bさんは宮沢氏の真面目さがわかる文化祭でのエピソードを披露。生徒が顧問の先生に仕込まれた「ちょっとお下品なネタ」を披露した際に激怒し、文化祭のあとに職員室に単身乗り込んだのだとか。また、文化祭のあとの掃除でもほかの生徒が不真面目に掃除をしていると「俺が1人で掃除、もう1回やり直す」と申し出たそうで、Bさんは「俺がやるから、そういうスタンス」と振り返った。

 恋愛は苦手だったそうで「女子からモテるかというと、それは正直なかった」と語るBさんは「人間としては面白いですけど、別に恋愛の対象になるような生徒ではなかった」と語った。

 生徒会、応援団、剣道と勉強以外にも精力的に活動して東京大学進学を目指して勉強にも励んでいた宮沢氏をBさんは「本当に努力の人」だとして「眠気を覚ますために机の上に五寸釘が刺さっていて、頭が垂れたら激痛で起きるというような環境に(自分を)置いていたといううわさも聞く」と明かした。

 その努力が実を結び、現役で東京大学法学部に合格。しかし大学を卒業した1997年は就職氷河期。内定をもらえずファミレスのアルバイトで食いつないだ。地元に戻ってからは塾講師や派遣社員として働く一方で、地域の消防団や青年団の活動にも参加。2003年磐田市議会議員選挙に立候補し初当選。市議を3期務めた2012年には衆議院議員選挙に出馬し初当選した。

 東大にストレート合格するほど成績優秀な宮沢氏だが、Bさんによると決して周りを見下すことはなかったそうで「自分の成績がよかったとしても、それを自慢するような、鼻にかけることもなし。『まだまだ自分は足りない』と、そういう発言をしていました」と明かした。

 今回の騒動について「道徳的なところで見て良いか悪いかといったらもちろん良くはない」とBさんは前置きしながらも「そこだけで判断していただきたくない。彼が国防をやりたいと思って国政に出ていって副大臣までなんとか頑張って、だけどそれができなくなってしまった。そういう強い気持ちがある人間を一部の部分だけを切り取って叩いてしまうやり方は、どうかなと思う」と訴えた。

(『ABEMA的ニュースショー』より)