厚生労働省の「令和元年 国民健康・栄養調査結果の概要」によると、65歳以上の低栄養傾向の者は男性12.4%、女性20.7%だという。年齢が上がるにつれ、その数値も上がっていく。

高齢になると食が細くなるのはわかるが、それにも増して社会的孤立、老いに対する精神的ストレスなども影響してくるのではないだろうか。

■70歳の母が「ひとり暮らし」で変化
父が亡くなったあと、ひとり暮らしを楽しんでいたはずの母。ところが2時間かかる実家をある日、ふいに訪ねてみると、母はひとりでごはんと漬物だけの食事をしていた。そう話してくれたのはエリコさん(46歳)だ。

「私も受験生をふたり抱えて、なかなか実家に行けなかったんです。前に行ったとき、なんとなく家全体が薄汚れているのが気になっていた。それで連絡もせずに行ってみたんです。そうしたらキッチンには洗ってないお皿が重ねてあって、母はリビングでテレビを見ながら夕飯を食べていた。テーブルを見ると、ごはんと漬物くらいしかない。

いつもこうなのかと尋ねると、『今日だけよ』と強気の発言。冷蔵庫も冷凍庫もあまり食材が入っていませんでした」

母はまだ70歳になったばかり。インターネットも使えるのだから、スーパーに行けないならネットで買えばいいと言うと「そうね」と力なくつぶやいた。しばらく話していると、「もう食事の支度をするのが億劫なんだよ」と本音を洩らす。

■料理上手な専業主婦として生きていた母
「母は専業主婦で、夫と子どものために何でもするタイプでした。父はネクタイひとつ自分で選んだことがないと思う。私たちが小さいときはおやつは手作り、大人になってからもうちに冷凍食品はなかった。母は餃子の皮から手作りする人だったから」

エリコさんは地元の短大を出て就職、28歳で結婚するまで実家で暮らした。その後、3歳違いの妹も結婚して家を離れ、それから両親はふたりで暮らしていた。父が仕事から完全に引退したのは68歳のときで、3年後に亡くなった。今から2年前のことだ。

以来、母は近所の友人とハイキングに出かけたりして楽しそうにしていたから、今もすっかり元気だと思い込んでいたとエリコさんは言う。

「ところがこの半年ほど、電話しても前ほどしゃべらないし、なんだかおかしいなとは思っていたんです。いつの間にか、家にこもりがちになっていたみたい。しかもあんな食事じゃ元気が出るわけもない」

エリコさんは共働きのため家庭と仕事で手一杯だが、夫に事情を話してみた。夫は、早く帰れるときを作るから少しお義母さんを見てあげたほうがいいよと言ってくれた。

■自分のことは後回しにする習慣
それから週に1回ほど、彼女は実家を訪ねるようになった。

「母は食欲がないわけではないんです。私が作っていった惣菜はペロリと食べる。だけど栄養のバランスを考えるのが面倒みたい。そしてそれ以上に、母は『自分のために何かをする』ことに慣れていないんですね」

自分のためだけに料理を作っても意味がないと、ある日、母は呟いたという。ずっと家族のためだけに生きてきた母にとって、料理はあくまでも「家族のため」であって、自分のためのものではないのだ。だから作る気にもなれないのだろう。

「それは間違いだと懇々と説教しました。食べることは体の根幹を作ること。自分を大事にするため、結果的に私たち家族を安心させるためにもきちんと食べなければいけない、と。このままの食生活をしていたら、栄養不足になるのは目に見えている。

そうするとならなくてもいい病気になるかもしれない。いくつになっても健康は自分で守っていかなければいけないのよ、と」

エリコさんは「悲しかった」という。母の人生が家族のためだけに捧げられてきたことが。文字にすれば理想的な日本の母親のように美化されがちだが、決してそんなことはないのだ。娘にとっては、高齢になっても勝手に元気で楽しんでくれたほうがよほどいい。

「母の人生は母のものだから。私がどんなに心配しても、代わりに楽しむことはできない。今なら間に合う、自分の人生を考えてと伝えました」

■母の変化に「ホッとした」
それ以来、母は少しだけ考え方を変えたようだ。近所の人が風邪をひいて伏せっていると聞くと、料理を作って持って行くようになった。それでもまだ、人のための料理ではあるが、キッチンに立つ習慣はいくらか取り戻せたらしい。

「先日、奮発して少しいい肉を買ってふたりですき焼きをしたんですよ。肉を多めに買っていったから、これは明日、焼いて食べればと言ったら、『いいのかな、ひとりでこんな贅沢して』って。だからお父さんにもあげればいいじゃないと仏壇を示しました。翌日、ひとり焼き肉がおいしかったと連絡があってホッとしたところです」

自分を犠牲にして家族を優先させる。それが「いい妻、いい母」と信じてきた人ほど、こうやってひとり暮らしになったとき、自分の食事や生活をないがしろにしてしまうのかもしれない。

▼亀山 早苗プロフィール明治大学文学部卒業。男女の人間模様を中心に20年以上にわたって取材を重ね、女性の生き方についての問題提起を続けている。恋愛や結婚・離婚、性の問題、貧困、ひきこもりなど幅広く執筆。趣味はくまモンの追っかけ、落語、歌舞伎など古典芸能鑑賞。

亀山 早苗(フリーライター)