F1第4戦日本GPの予選で10番手を獲得しながら、スタートで出遅れて12番手まで落ちた角田裕毅(RB)。そこから挽回して、ポイントを獲得できたのには、3つの要因があったとレースチーフエンジニアのジョナサン・エドルズは語る。

 ひとつ目の要因は、再スタートでのタイヤ選択だ。1回目のスタートで角田が履いたタイヤは、ミディアムタイヤだった。これは角田より前からスタートした9人のうち8人がミディアムを選択していたことを考えれば、妥当な戦略だった。

 しかし、角田の後方からスタートしたドライバーの多くはソフトタイヤを選択。そのため、角田は1コーナーまでにポジションを落とし、1周目のデグナーを12番手で通過した直後に、レースは赤旗となる。

 レースは3周目からスタンディングスタートで再開されることが決定。装着するタイヤは自由になった。ここで角田とRBは戦略を変更した。

「12番手からなので、アグレッシブに行くことにしました。最初のスタートで僕より後ろにいた(ハースのニコ・)ヒュルケンベルグと(キック・ザウバーのバルテリ・)ボッタスがソフトタイヤでいいスタートをしていたので、次は自分が彼らからポジションを奪い取ろうとしてソフトにしました」(角田)

 その決定が功を奏して、角田は再スタートでボッタスとヒュルケンベルグだけでなく、ジョージ・ラッセル(メルセデス)からもポジションを奪い、一時9番手を走行していた。

 5周目にラッセルにかわされて10番手に後退。その直後の6周目にボッタスが角田のアンダーカットを狙ってピットロードへ向かう。RBもすかさず反応して7周目にピットに呼ぶが、ボッタスにアンダーカットを許し、事実上11番手に後退した。

「最初のスティントで(ボッタスに)アンダーカットされてしまって、今日のレースを少し難しくしてしまったことは、今後の課題です」(角田)

 この小さなミスを、チームは次のピットストップで挽回する。これがふたつ目のポイントだったとエドルズは言う。

 22周目、10番手のケビン・マグヌッセン(ハース)、11番手のボッタス、12番手のローガン・サージェント(ウイリアムズ)、13番手の角田、14番手のヒュルケンベルグが同時にピットロードへ向かった。

「もともと、あのラップでピットインしようと考えていた」と言う角田。前を走っていた数台がピットロードに向かったとき、少し驚きながらも「今年は毎回、僕たちのピットクルーはタイヤ交換作業をうまくやっていたので、それなりに自信はありました」と、ピットクルーが作業しやすいよう、停止位置に正確にマシンを止めることに集中していた。

 するとピットクルーは同時ピットインしたどのチームよりも素早い作業で角田をコースへと送り出し、角田は事実上10番手のポジションを取り戻した。

「メチャメチャ早かったです。本当にチームに感謝しています」という角田はその気持ちを無線でレースエンジニアに伝えた。

 そして、エドルズが指摘した最後のポイントが、22周目のピットストップで交換したタイヤでチェッカーフラッグまで走り切った角田のタイヤマネージメントだった。

「レース前の最終的な戦略ミーティングで、こうなることも話し合っていて、残り31周(ファイナルラップに周回遅れになったので、実際には30周)をハードタイヤで走るという戦略は十分可能だとは思っていたけど、鈴鹿はタイヤに厳しいコースなので、それが簡単ではないことも承知していた。ただ、今年の角田はとても落ち着いていて、特に今日は素晴らしいタイヤマネージメントを披露していた。ピットアウト直後はペースをキープして、ストロールがピットストップして、背後に迫ってきたレース終盤に、図っていたようにペースアップしていた。安心して見ていたよ」(エドルズ)

 角田もこう語る。

「最後にストロールとの勝負になることはわかっていたので、最初は温存して、最後にストロールが来ることに備えて、(ピットストップ直後は)しっかりとマネージメントしていました」

 こうして、角田は10位でフィニッシュ。小林可夢偉が3位表彰台を獲得した2012年以来、鈴鹿で12年ぶりに日本人ドライバーがポイントを獲得して、大いに沸くスタンドを見た角田は感動しながら、1周走っていた。

「やっぱり感動しました。みなさんの期待に応えられたということが日本人として嬉しかったです。ここまで待っていてくれた日本のファンのみなさんに最後に応えられてホッとしています。チェッカーフラッグを受けた後、パルクフェルメまで戻るインラップでは感謝の気持ちを伝えながら1周できました。これからもサポートしていただけたら嬉しいですし、このレースをきっかけにして新しく応援してくれるファンの方たちがいたらうれしいです」

 初めて4月に開催された鈴鹿での日本GPは、角田とともに満開の春を迎えていた。