◇連載「Ohtani Chronicle」第4回・エンゼルス編

 エンゼルスから10年総額7億ドル(約1015億円=契約当時のレート)という破格の契約でドジャースに移籍した大谷翔平選手(29)の新シーズンが幕を開けた。2度のMVP受賞など、米大リーグでも新たな歴史を刻み続ける二刀流の道のりを改めて振り返る「Ohtani Chronicle(オオタニ・クロニクル)」。5回にわたって“年代記”を紹介する。

 3月5日。大谷はオープン戦で初めて古巣・エンゼルス戦に臨み昨季までのチームメートと交わった。「盟友」と言われたマイク・トラウト外野手(32)は、青のユニホームに身を包んだ「背番号17」にゆっくり近づくと、熱いハグを交わして「契約おめでとう」。昨年10月以来の再会を果たした2人に笑顔が広がった。

 MVP3度を誇るトラウトがエンゼルス時代、大谷のことを話す際の決まり文句は2つあった。「ショウが何をやっても驚かない」「彼の活躍を一番の特等席から見ている」。言葉には常に尊敬の念がこもっていた。一方、大谷はトラウトを人格、技術、全てをひっくるめて「野球のトップ」と話したことがあった。

 そんなトラウトが同僚だった6年間で一番印象に残っているのは「伝説の一日」といわれた昨年7月27日のデトロイトでのダブルヘッダー・タイガース戦だという。

 「(第1試合で)完封して、次の試合で2発打って。走ってけいれんまでして。あんなシーンは見たこともない」

 日本の紙面を度々飾った2人の強力コンビを表す「トラウタニ」という言葉を気に入っていた。米記者からその言葉を聞いて、「いいね。その響き」と笑ったこともある。昨年、エンゼルスは本塁打を放った選手に「兜(かぶと)」をかぶせる儀式がはやったが、トラウトと大谷が連弾を放ったときは、兜をかぶったトラウトが大谷の一発を見てかぶせる役目を担った。「トラウタニ」の名場面だった。

 「大谷残留のために何でもやる。何としても残るように説得しないと。勝つことが最大の説得材料だ」。昨春のキャンプで語っていたトラウトの願いはかなわなかった。今年の春季キャンプ。トラウトは「翔平も(通訳の水原)一平もいなくて寂しいな」とつぶやいたが、「彼の功績に値する契約だし、彼の決断を尊重する」。真摯(しんし)な男らしい発言だったが、史上最高デュオと呼ばれ、お互いに認め合う「トラウタニ」を見ることができないのは少し寂しい。

▼マイク・トラウト 1991年8月7日生まれ、米ニュージャージー州出身の32歳。188センチ、107キロ。右投げ右打ち。ミルビル高から2010年にドラフト1巡目指名でエンゼルスに入団。11年に19歳でメジャーへ昇格し、12年に打率3割2分6厘、30本塁打、83打点でア・リーグ新人王に輝いた。19年は史上最年少で200本塁打と200盗塁を達成。19年に当時の史上最高額の12年総額4億2650万ドルの延長契約を結んだが、近年はけがで苦しんでいる。MVP3度、打点王1度、盗塁王1度獲得。23年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)では準優勝した米国代表の主将を務めた。