ヤクルトの元右腕エース・館山昌平さん(43)が、パチンコを中心とする総合エンターテインメント企業「マルハン」が立ち上げた北日本カンパニー硬式野球部(本拠・仙台市)の初代監督に就任した。17年間のプロ野球生活で3度の右肘内側側副靱帯(じんたい)再建術(通称トミー・ジョン手術)を乗り越え、「不死鳥」と呼ばれた男の新たな挑戦とは。

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 チームの指揮を執るのは初めて。館山監督に理想の監督像を聞くと、ヤクルト時代の古田敦也元監督を挙げた。「後につながる、とてもいい勉強をさせていただいた」。古田さんは「野村ID野球の申し子」と言われ、1990年代のヤクルト黄金期を築いた頭脳派捕手。その著作「フルタの方程式」は、今もバイブルだという。確かに館山監督は、データに基づいた科学的な投球術やトレーニング方法に、現役時代から一家言持っていた。

 2月末、千葉・浦安で行われたセレクションでも、弾道測定分析システム「ラプソード」で集めた選手たちのデータに注視していた。「投手30人中、故障リスクがない投げ方は2人か3人、ある程度大丈夫と思ったのは10人くらい。逆に危ない選手が3人いた」。数字から手首や肘の角度、腕の使い方が分かり、故障リスクを想定できるのだという。球速や回転数より、効率のいい、正しいフォームかどうかに着目していたのが印象的だ。

 日大時代を含め10度手術し、全身に計191針もの縫い目が走る。「自分がプロの世界で勝負するためには、全力で腕を振り、多彩な変化球が必要だった。それで故障しても仕方ない。野球を続ける手段が手術というなら、そこに迷いはなかった」と現役時代は話していたが、指導者となった今は違う。

 「目に見えないフォームのズレなどは体の負担になっていく。(データで)見て直してあげることで、故障のリスクはだいぶ減らせる。自分の経験や最新知識を多くの人に伝える活動をしていくことが、野球界への恩返しだと思っている」

 現役引退後は楽天と独立リーグのBC福島で投手コーチを務めてきたが、昨季限りで退団し、学生資格を回復した。チームに縛られず、幅広い世代のアマチュア野球の指導をしたいと思ったからだった。

 そこに舞い込んだ社会人監督のオファー。自身は社会人も監督も経験がなく、せっかく球団所属の枷(かせ)を外し、ユーチューバーや低酸素ジムオーナーとして、個人の活動を始めたばかり。迷いはあった。だが、マルハン側から「やりたいことは続けてもいい。情報発信や野球で地域を元気にするというのは、マルハンの理念とも合致する」と強く懇願され、引き受けた。

 まだ、監督しか決まっていない。それでも、目標は高く「3年で全国大会4強入り、5年で全国制覇、7年で7人のプロ輩出」と鼻息も荒い。6月に仙台で2度目のセレクションを行い、25人ほどの部員を確保する予定。2025年シーズンから本格参戦し、都市対抗、日本選手権を目指していく。

◇1月にオファー…令和の「777」へ急ピッチ

 マルハン北日本カンパニーで野球部創部案が浮上したのが昨年9月。館山監督へのオファーは今年1月で、25年から本格参戦というから、かなり急なスケジュールで進めている。

 本間GMは「令和のトリプルセブンに合わせて大きなことをやりたい」と急ぐ理由を明かした。30年前の平成7年7月7日、渋谷に旗艦店「マルハンパチンコタワー」がオープンし、大きな話題を呼んだ。パチンコ店らしく7が3つ並ぶ来年の令和7年7月7日も、野球で社内と東北を盛り上げる「フィーバー」を起こしたいと考えている。

◇「低酸素トレーニング」導入へ

 館山監督がチームへの導入を考えている科学的理論に「低酸素トレーニング」がある。オーナーを務める神奈川県逗子市内の低酸素ジム「Hyex逗子」では、酸素濃度を富士山の8合目付近と同程度の薄さに設定した室内にトレーニング器具9台を設置。室内にいながら、高地トレと同じ効果が得られるのだという。国立スポーツ科学センターや、箱根駅伝などで近年急成長する城西大陸上部などが取り入れていることでも注目されている。

 マルハンは気温が低い仙台に拠点を置くだけに、室内練習場を充実させたい考えで「外を走る以上の高い効果を室内で得られるし、体にダメージなく心肺機能が上がる」と話していた。

▼館山昌平(たてやま・しょうへい) 1981年3月17日、神奈川県厚木市生まれの43歳。右投げ右打ち。日大藤沢高―日大を経て2002年ドラフト3巡目でヤクルトに入団。08年最高勝率、09年最多勝のタイトルを獲得するなど17年間で通算279試合85勝68敗、防御率3・32。19年に引退後は楽天と独立リーグのBC福島で投手コーチを務め、24年2月に社会人野球のマルハン北日本カンパニー監督に就任した。