◇渋谷真コラム「龍の背に乗って」

◇1日 中日1―12DeNA(バンテリン)

 開始から8球で4失点。それだけでも今のドラゴンズには重いのに、さらに5点を追加されてようやく1回が終わった。防御率0・77だった涌井は2/3イニングで9失点。こんな時、記者はすぐさま「ぶり」の大きさを調べにかかる。「1回9失点以上」は球団26年ぶり。僕がドラゴンズ取材に携わる以前の惨事だが、教わった覚えのある試合だった。

 1998年4月22日。ヤクルト戦(神宮)で1回に何と13点を失った。先発投手はこの日の涌井と同じ2/3イニングを投げ、5安打、3四球。7失点で降板した。つまり代えた投手も打たれ続けたということだ。最終スコアは6―15。当時の紙面によると、投手にまで特大の二塁打を打たれたその先発投手について、星野監督は「投手に打たれてるようじゃ、使えんわな」と突き放している。

 打たれた本人が、この日はバンテリンドームで解説していた。

 「あれ以来とは知らなかったけど、解説しながら13失点のことはすぐに思い出してましたよ。宿舎に戻って、珍しく監督には何も言われなかったけど、コーチに『大丈夫か?』って心配されてねえ…」

 今中慎二さんである。キャリアワーストともいえるこの試合のことは、鮮明に覚えている。当時27歳とはいえ、すでに沢村賞を受賞していた左腕。涌井もそうだが、経験の浅い投手が打ち込まれたのとはわけが違う。チームの士気を下げ、中継ぎに無用の負担を強いた。だからこそ、大切なのは「次」なのだ。

 「涌井も長くやっているんだから、こんなこともある。勝っていくことで、いつか笑い話に済ませられるように頑張ればいいんです」

 26年前の今中さんは、中5日で巨人戦(ナゴヤドーム)に先発し、6イニング1/3を無失点。継投でスミ1を守り切り、通算90勝目を飾った。今中さんの通算勝利は91。この半月後に挙げたのが、最後の白星だった。酷使がたたって、左肩の痛みは限界に達していた。才能を燃やし尽くす寸前に見せた意地の好投。ベテラン・涌井に同情はいらない。ただ、僕は「次」を待つ。