◇渋谷真コラム「龍の背に乗って」◇22日 巨人2−4中日(東京ドーム)

 あれから29年もたつのか…。1995年の同じ球場、同じ5月(24日)。巨人・桑田真澄が三塁側ファウルエリアへのバント小飛球をダイビングキャッチしたシーンを、僕は記者席で見ていた。勝利への執念。しかしアウトと引き換えに、地面に強打した衝撃で右肘靱帯(じんたい)を断裂。再建手術を受けることになる。

 小笠原が桑田のように飛び込んだ。左腕をかばいながらだったが、冷や汗が噴き出した。そして怒りがわいてきた。彼にこんなことをさせたのは誰なんだ…。直後の逆転。小笠原への援護は、実に44イニングぶりだった。笑えない冗談かと言いたくなる数字である。遅いがこの日に限ればギリギリ間に合った。打線の奮起。さすがに野手の心に火が付いたということだ。

 昨季は柳も40イニング無援護が続いた。援護に恵まれないのはよく「テンポが悪いから」と言われるが、そうではない。竜投の悲しき宿命。ローテの軸は相手もエース級が多く、低い得点力がさらに下がるからだ。

 「野手の気持ちはわからないので何とも言えませんが、僕もテンポの問題ではないと思いますよ。小笠原ほどではありませんが、僕も若いときに点が入らなかった経験はあります。これだけ長いときついとは思いますが、自分ではコントロールできないこと。どんな時も、自分ができることを徹底する。そして投げたら(内容を)振り返る。準備の繰り返ししかないと思います」

 吉見一起さんは、落合博満監督に「ゼロで抑えりゃ負けない」と鍛えられた。「ナゴヤ球場(時代)は点は入るものだと思ってたから、自分はあまり経験がない」という今中慎二さんもこう言った。

 「投球間隔のテンポじゃなく、どんどんストライクを投げること。きょうも先頭打者を出してた(1〜5回)でしょ?先取点もね。その徹底以外はやることない。そこからは野手にお任せ!」

 この日で8試合目の小笠原は、6試合で先取点を与え、うち4度は1回だった。つらいとは思うが、エースは耐えるのも仕事。不満を封じ、同情を押しのけて、小笠原は体を張って運命を変えたのだ。