今季限りで現役を引退したサッカー日本代表元主将で、ドイツ1部フランクフルトのMF長谷部誠(40)が24日、東京都内で引退会見を開き、「大きな満足とともにキャリアを終えられたと思っている」とすっきりした表情で語った。22年間の選手生活を振り返り、「自分の能力の中で、もう1回、同じキャリアが積めるかと問われれば、積める気がしない。後悔はまったくない」と話した。

    ◇

 2014年W杯ブラジル大会当時、日本代表のアルベルト・ザッケローニ監督は主将を務める30歳の長谷部誠に絶大な信頼を寄せていた。

 「いま、キャプテンをやっているのは偶然ではない。長谷部は生まれながらのキャプテンなんだ」

 長谷部が静岡県藤枝市立青島中に在籍していた1998年11月9日。市長と生徒が意見交換する「移動市長室」で、八木金平市長に臆せず真っ先に質問したのが長谷部だった。学校行事があれば、「みんなで休み時間に練習しよう」「全員で協力してやろう」と率先して声を上げ、クラスをまとめようとするのが長谷部だった。

 長谷部は先頭に立ち、堂々と意見を言う。その上で、周囲への気遣いを決して忘れない。仲間のためであれば、嫌な役回りさえも望んで買って出ていたという。

 青島中3年4組の卒業文集には、学級委員として奔走した長谷部の思いが記されている。

 「最後の大会で優勝した事ももちろんあるけど、それよりもクラスのみんながまとまった事の方が得た物は大きかったと思います。みんなで支え合ったから優勝という結果がついてきたと思います」

 青島中サッカー部は約80人の部員を抱えていたが、長谷部が在籍した3年間だけは退部者が1人もいなかったという。監督だった滝本義三郎さんは懐かしそうに回顧する。

 「自分に厳しくて、サッカーに対する取り組みも人一倍、すごかった。他の部員からの信頼はとても厚い。自分のことよりも、何とかしてチームを強くしたい。そういう思いや行動がみんなを引きつけていった。弱かったチームが静岡県大会でベスト4。僕の指導力ではなく、長谷部がチームを掌握してやったことが大きかったと思うんです。大したもんですよ」

 生粋のリーダーは、自分を犠牲にしてでも仲間、チームのために尽くす利他の男だった。