Text by 生田綾
Text by 今川彩香

映画『関心領域』のトークイベントが5月15日、東京・渋谷のユーロライブで開かれた。試写会ののち、監督のジョナサン・グレイザー、音楽を手がけたミカ・レヴィ、プロデューサーのジェームズ・ウィルソンがオンラインで登壇し、観客の質問に答えた。


同作は、第二次世界大戦中の1945年、アウシュビッツ収容所の隣で暮らす家族の暮らしを描く。一見、穏やかな日常が映されるが、音や煙、会話や視線から、壁ひとつ隔てた収容所の存在を感じるつくりとなっている。『第96回アカデミー賞』で国際長編映画賞・音響賞を受賞し、『第76回カンヌ国際映画祭』でグランプリに輝くなど、数々の賞を受賞した。5月24日公開。

トークイベントでは、このテーマを選んだ理由や撮影の裏側、音楽が意図したところなどが語られた。今回は、その内容をレポートする。


左からジェームズ・ウィルソン、ジョナサン・グレイザー、ミカ・レヴィ

―俳優の表情があまり見えないような撮り方をしている印象を受けました。例えば、カメラと被写体との距離が離れていたり、近づいたとしても顔に影がかかるようにして表情が見えないようにつくられているように感じましたが、何か意図があったんでしょうか。


ジョナサン・グレイザー(以下、ジョナサン):おっしゃるように、意図的にそのような演出をしました。役者の芝居や映画的な心理で引き込むことをしたくなかったんです。壁にへばりついているハエのように登場人物をひたすら観察する映画作品にしたかったので、登場人物の行動ややりとりの仕方をひたすら見つめてもらう──そういう意図で撮影しています。


批判的な距離感を保つべく撮っています。何よりも私自身が監督として、役者の芝居を見ているのではなく、あたかもそこに実在している人物をドキュメンタリー的に見つめて撮影をしたかったという意図がありました。


©Two Wolves Films Limited, Extreme Emotions BIS Limited, Soft Money LLC and


Channel Four Television Corporation 2023. All Rights Reserved.

―同作では、セットのなかに複数台の小型カメラを隠しカメラのように仕掛けて、同時に撮影したそうですね。ジェームズ・ウィルソンさんはプロデューサーとしてこの手法を採用することにリスクは感じませんでしたか。監督のこのビジョンに対してどのように感じ、サポートをしていったのでしょうか?


ジェームズ・ウィルソン:リスクがあるとは感じませんでしたが、綿密に計画を立てて撮影に入らなくてはいけないため、難題ではありました。ジョナサンのビジョンをいかに具現化していくかということが、われわれプロデューサーの務めですから、つねに意識していました。一方で資金的にも時間的にも難しいことだろうという感覚もありました。ほかの作品の撮り方とは違いますからね。


実際に現場に行くと、1日の前半は撮影をして、後半は次のシーンの俳優の場当たりなどしていく──プランを綿密に立てていくことをひとしきりやって、次のシーンに突入するという具合で撮影をしていました。10台のカメラを同時進行で回すため、かなり計画的に撮影しなければなりませんでしたが、あくまでもギミックとしてやるのではなく、この作品で狙っているテーマを撮るために、一つの方策として用いています。


何を狙っていたのかというと、この家族はいまここで生きている、いままさに起きている、それを見ているという感覚を観客に味わってほしい、という思いがありました。その意図はうまくいったんじゃないかと考えています。


©Two Wolves Films Limited, Extreme Emotions BIS Limited, Soft Money LLC and


Channel Four Television Corporation 2023. All Rights Reserved.

―冒頭には暗転し、音楽とそれに交じる悲鳴だけを観客が聞き続ける時間がありますね。また、綺麗なお花がクローズアップされているのと同時に悲鳴が上がるなどの場面も印象的でした。真っ暗闇や真っ赤な画面をしばらく見せるというのは、どういう意図があったのでしょうか。


ミカ・レヴィ:映画のなかで具象と抽象にわかれると思いますが、抽象の部分である音に関していうと、ストーリーのロジックを追ってというより、感覚的に映画を見ながらつくっていったという感じでした。物語へ誘うようにというより、方向性というものを意識しています。このスコアは下に向かって進んでいるのか、このスコアは上に向かって進んでいるのかなど、そういうロジックがあるようでないというか、感覚的につくっていることが多分にあります。


いきなり真っ暗闇の中で音を聞かされるので、たしかに奇妙な感じがすると思います。この作品は「目で観る」というよりも「耳で聞く」映画であると思います。ですので、繊細に聞き耳を立ててほしいという監督の意図があり、そのために観客の耳を慣らす必要があると考えていました。


これは企画の初期段階から打ち立てていたことで、サウンドデザインとして鑑賞者の耳を育てるように設計されているんです。つまり、映画のなかで繰り広げられる暴力をわれわれは見ることはできないけれども、耳でちゃんと拾えている──そこへ誘うように音をデザインしています。


―劇中にはサーモグラフィ・カメラを使って撮影した場面が突然登場しますね。どういう意図で導入したのでしょうか。


ジョナサン:サーモグラフィを使って撮影したシーンでは、鑑賞者が見ているのは光ではなく、熱を感知してスクリーンに映し出されたものなんですね。倫理的にもビジュアル的にもほかのシーンとは対照的なもの、というつもりで導入しました。


また、このシーンを映し出すのに、サーモグラフィがふさわしかったためでもあります。作品は1945年が舞台となっているため、すべてのシーンを自然光のみで撮りたいと思っていました。ただし、自然光で撮影するとなると夜のシーンは少女が映らないので、一つの方法としてもサーモグラフィを使いました。


―なぜこのテーマを、いまこの時代に描こうと思われたのですか。


ジョナサン:いつかホロコーストに関する映画を撮りたいと前々から考えていました。これまでもホロコーストを題材にした作品は多数つくられていますが、二番煎じにならないものを撮りたいと考えたときに、加害者側の視点に立って見えるものを描きたいという意図がありました。


われわれはなぜ学んでこなかったのか? なぜ同じ過ちを繰り返すのか? ということが最も訴えたいことです。これに突き動かされて今回、撮りました。ホロコーストは80年前に起きた出来事であり、歴史で、現代とは関係ない話だというふうに見せるつもりはなく、いまこの現代にちゃんと訴えかけられるような作品になるようにフレーミングしたかったんです。


©Two Wolves Films Limited, Extreme Emotions BIS Limited, Soft Money LLC and


Channel Four Television Corporation 2023. All Rights Reserved.

―戦争や紛争、さらに抽象的にいうと争いに対するわれわれの態度について何かを投げかける映画なのではないかと思います。このことについて、監督自身は日本の観客全員に何か伝えたいことはあるでしょうか?


ジョナサン:私たちは世の中で起きていることを黙認していたり、共犯的な関係でいたりすると思いますが、それは世の中で起きていることと対峙せず、避けてしまうからだと思います。安全安心な領域の中で過ごしていたいからということで、本来は対峙するべき問題なのに、しない。


この作品では、そのように「黙認」すると、最終的にどこに行き着くのかということを極端な例で示したつもりでいます。ヘス家は野心あふれるブルジョワの一家ですが、彼ら家族の中に自分を見出すことができれば、そうした黙認や共犯関係が続けば最終的にどこに行き着くかということに合点がいくと思います。頭で考える作品ではなく、体でずっしり感じる作品にしたつもりです。もう二度と口にしたくないような、苦味を感じてほしい。


日本の観客の皆さんに伝えたいことは、われわれ一人ひとりは黙認や共犯を拒否する力を持っているということです。