世界を変える人たち

 米証券取引委員会(SEC)は今年1月、暗号資産(通貨)で時価総額が最大のビットコインの現物ETFを承認すると発表した。暗号資産をめぐっては交換業者の破たんなど、売買に関する信頼性への不安がつきまとってきた。が、現物ETFならば株式などと同様に証券口座を通じて売買できるし、当局の承認を得たということでそのステータスはあがることになる。

 暗号資産は、日本では財テクの商品の一種のように捉えられがちだ。一時期、これに手を染めたお笑い芸人たちも「儲かった」「大損した」などとネタにしていた。しかし、その本質は、決して単なる金儲けの道具などではない。国家、あるいは世界のあり方を変えかねないものなのだ。

 大げさな、と思われる向きもいるだろうが、『言ってはいけない』などで知られる作家の橘玲さんは、新著『テクノ・リバタリアン 世界を変える唯一の思想』(文春新書)で、暗号資産の持つ「ヤバさ」を解説している。そもそもの前提が、国家を否定するアナキズムの思想があるというのだ(以下、同書をもとに再構成しました)。

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 インターネットによって世界中のコンピュータが接続されると、国家・政府はもちろん、組合や企業のような中央集権的組織も不要で、完全な自由を保証された個人のネットワーク(自生的秩序)だけがあればいいとする、より純化したアナキズムが登場する。これが「クリプト・アナキズム(暗号アナキズム)」だ。

“陰謀”的な運動

 2008年にサトシ・ナカモトらによって発明されたビットコインやイーサリアムのようなブロックチェーンを使ったデジタル通貨は英語圏では“cryptocurrency(クリプトカレンシー:暗号通貨)”の呼称が使われる(日本でも「資金決済に関する法律」では「暗号資産」とされている)。

“crypt”は聖堂の地下室のことで、“crypto-”とすると「秘密の、隠された」という意味になる。“cryptograph(クリプトグラフ)”は隠されたメッセージ、すなわち「暗号」のことだが、それと同時に“crypto”には「地下室に集まって陰謀をめぐらす集団」という含意もあった。「クリプト・アナキズム」とは、暗号(クリプト)を使って政府や中央集権的な組織を必要とない社会を実現しようとする“陰謀”的な運動のことだ。

 日本ではほとんど理解されていないが、ブロックチェーンやビットコインは、暗号テクノロジーによって個人と個人をつなぎ、中間形態としての組織を不要にしていこうとするクリプト・アナキストたちがつくった社会実験のツールなのだ。

非中央集権化する「社会変革」の試み

 米ドルや日本円のような通貨は、それを発行する国家・政府への信用によって成立している。それに対して暗号通貨は、国家を信頼するのではなく、データが正しいことをアルゴリズムによって検証できるようにしている。これによって、取引相手のことをなにひとつ知らなくても、騙される心配なしに電子的な通貨をやり取りできるようになった。

 クリプト・アナキストは、取引に信頼が必要なければ、(信頼を保証する)国家など中央集権的な組織が存在する理由もなくなると考える。こうして、ブロックチェーンを使ってあらゆる領域で取引を分散し、非中央集権化する「社会変革」の試みが次々と現われた。これは近年、Web3.0と呼ばれている。

 クリプト・アナキスト(サイファーパンク)の理想世界では、テクノロジーが指数関数的に「加速」することで、いずれ国家や企業のような中央集権的な組織はなくなり、一人ひとりが「自己主権」をもつことになる。

何が起きても補償はいっさいない

 ブロックチェーンを使った暗号通貨の取引では、ユーザーは秘密鍵(公開鍵暗号のパスワード)で自分のウォレットを管理する。同様に「自己主権アイデンティティ(SSI:Self-Sovereign Identity)」では、身分証明やアクセスデータなどのアイデンティティ(個人情報)はブロックチェーンに記録され、それを国家やグローバルテック(プラットフォーマー)のような中央集権的な組織ではなく、ユーザー一人ひとりが管理することになる。これによって、自分についての情報を自分だけが所有する「完全なプライバシー」と、自己主権を好きなように行使できる「完全な自由」が実現するのだ。

 だが、光が強ければ強いほど影も濃いように、クリプト・アナキストが描く「明るい未来」には暗い影が差している。

 問題は、非中央集権化されたWeb3.0の世界では、究極の自由を与えられる代償として、誰もが「自分のアイデンティティを適切に管理する」責任を負わなくてはならないことだ。はたしてわたしたちは、「自己主権」を管理できるほど賢いだろうか。――このシステムでは、秘密鍵を紛失してしまえば口座に何億円、何十億円の暗号資産があっても取り戻すことができないし、秘密鍵を奪われて他者にアイデンティティを偽装されるのは自己責任で、何が起きても補償はいっさいない。

暗号化を利用して根底から揺るがしたい

 クリプト・アナキストであるティモシー・メイは1994年に発表したサイファーパンクのマニフェスト「サイファーノミコン」で、「私たちの多くははっきりと反民主主義であり、世界じゅうの民主政治と称するものを、暗号化を利用して根底から揺るがしたいと思っている」と宣言した。メイのようなリタバリアンが「反民主主義」なのは、デモクラシーと自由が両立しないと考えているからだ。

 メイは国家を前提としたデモクラシーを否定し、暗号技術によって、市民たちがオンラインの利益共同体をつくり、互いに直接関係を結んで、国家とまったく無関係に生きることができる社会(自己主権をもつ自由な市民による真のデモクラシー)を構想した。

 だがメイはこのマニフェストで、「クリプト・アナキズムとは、機会を掴むことのできる者、売れるだけの価値のある能力を持つ者の繁栄を意味する」とも書いている。それから十数年たって、イギリスのジャーナリスト、ジェイミー・バートレットがその真意を訊くためにメイを訪ねた。

 メイの答えは、バートレットの著書『闇(ダーク)ネットの住人たち デジタル裏社会の内幕』(CCCメディアハウス)からそのまま引用しよう。

《「私たちは、役立たずのごくつぶしの命運が尽きるところを目撃しようとしているんですよ」とメイは冗談めかして言った。「この惑星上の約40〜50億の人間は、去るべき運命にあります。暗号法は、残りの1パーセントのための安全な世界を作り出そうとしているんです」》

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 積み立てNISAやら投資信託、あるいは競馬や競輪の延長線上に考えてはいけないものなのである。

デイリー新潮編集部