インタビュー前編

 小学6年生の時、「国民的美少女コンテスト」でグランプリを受賞し、華々しくデビューした俳優の小田茜(45)。28歳の時に一般男性と結婚し、2年後には長男を出産した。その後は芸能界からは遠ざかっていたが、18年に離婚したことを機に、芸能活動を再開した。結婚、出産、離婚を経て、小田がたどり着いた境地とは。

 25歳を過ぎたあたりから、いいご縁があったら結婚したいと思っていました。女優業はすごく面白い仕事だとは思うんですが、不安定なところがあります。だから、何か、支えとなるようなものが欲しいなっていう思いがありました。その時に出会ったのが、元夫です。

 08年、29歳の時に結婚して、徐々に芸能の仕事を休んでいきました。しばらくして、北海道・美瑛に移り住みました。私は栃木県真岡市出身で、大自然の中で育っているので、もともと田舎が好きだったんです。10年には長男も生まれ、田舎で伸び伸びと育ってもらいたいという思いもありました。美瑛には一度、旅行で行ったことがあって、景色がきれいで好きな場所でした。旭川も近くて、便利なんです。

 移住先では親切にしてもらい、お友達もできて、楽しく過ごせました。本当にごく普通の生活です。もちろん、家事も自分でやっていました。インドア派なので、家にいる時間も全然1人で楽しめちゃうんです。よく何にもできなさそうに見られるんですが、結構、家でテキパキ動きますから。本当に普通の主婦でした(笑)。

 長男は今、中学3年生で14歳です。一時期に反抗期みたいな時もありましたけど、やっぱり可愛いですよ。母親の私に言えることがあったら、なんでも話してねっていう風に向き合っています。

離婚後、体調崩す

 色々あって、18年に離婚しました。39歳の時です。その後は体調を崩してしまって……。誰かのせいだということは決してなく、自分の問題だとは思います。もともと、ストレスを溜め込みやすい性格なんです。振り返ると、離婚してから今日に至るまで、結構、私の中では紆余曲折でした。一筋縄ではいかない、苦しいことの連続だったと思います。

 離婚して芸能活動を再開しようとしたのですが、10年のブランクがありました。思ったように仕事はできず……厳しい現実を突きつけられたのは事実です。自分に何ができるんだろうと模索しながら、ここまで何とかやってきました。

 仕事が思うようにいかない間、時間がたっぷりありましたので、自分の人生を振り返って、猛省したりもしました。人間、外ではいい顔していても、内側は完ぺきではないと思うんです。これまで、語れない血みどろのようなものがあったわけで……。

 そんな時にヨガと出会って、自分を立て直すことができました。直近の3年は女優業、ヨガのインストラクターをしています。最近は、宮藤官九郎さん企画・脚本・監督のテレ東系ドラマ「季節のない街」に出演しました。クドカンさんとは20代の頃、連ドラに出演して以来のご縁です。今回、10何年ぶりかの再会となりました。

 ヨガを始めたきっかけは、30代後半の頃です。気持ち的に鬱々とした、すっきりしない感情がありました。その時に何か運動を取り入れたいと思って、ママ友に相談したら、教えてくれたんです。最初はピンとこなかったんですが、1度体験レッスンに行ったら、モヤモヤが晴れました。

 ヨガインストラクターの若い子たちは、キラッキラしていて、「こんにちは」って声をかけてくるんです。最初は、「なんだ、この人たち」って、少し圧倒されたんですけど……。実際にやってみると、なるほど、そういうことなのかと思いましたね。

 その体験レッスンから、私の人生が少しずつ、開かれていった気がします。北海道に住んでいた時は、冬の間、常に寒いので、家に引きこもっていました。その時にホルモンバランスが崩れていたかもしれません。

 今は確実に歳をとっていますから、健康を維持するのは本当に大変です。比較的に肌も強かったし、ニキビなどで悩まされたことはなかったですが、今はいっぱいあります。白髪が出てきたな、とか。代謝も落ちていますから、油断すると、太りますしね。出産後が一番太っていて、今よりプラス20キロでした。

 今後は女優業にもしっかりと取り組んでいきたいですね。これまでやったことのないような役、例えば、犯罪者の役とかもやってみたいですね。笑いながら、涼しい顔して……怖い感じになる役。たぶん、私、できると思うんですよね(笑)。今までのイメージと全然違う“悪女”です。人生1度きりですから、色んなことをしてみたいですね。

後編【「ガッツ石松か、小田茜か」地元がお祭り騒ぎになった国民的美少女コンテストGP秘話】へつづく

デイリー新潮編集部