前編【料理をしたら文句、カード明細で発覚した闇…そして、妻との関係が決定的に壊れた“出来事”とは【悩める60歳夫の告白】】からのつづき

 神永祐揮さん(60歳・仮名=以下同)は、現在、病と闘いながら、居場所のない家庭で踏ん張っている。10年前にした不倫の“禊”を、いまも済ませることができないためだ。妻の智絵美さんとの結婚生活は、一男一女に恵まれたものの、徐々に溝が生じていった。彼女のホストクラブ通いが発覚しさらに義両親の施設入所を「あなたには関係ない」と知らされなかったことに、祐揮さんは大きなショックを受けたという。

 子どもたちには心を向けながらも、祐揮さんは「妻との関係」をどう立て直したらいいのかわからずにいた。彼が育った家庭は、ごく普通の両親と妹ひとりで、べったりした関係ではなかったが家庭の居心地は悪くはなかった。両親はときおり口げんかをしていたが、いつの間にか仲直りしていて、家族は毎日のように一緒に食事をし、言いたいことを言って暮らしていた。家族とはどうあるべきかを考えたこともなかったという。

 彼の妻への悩みは解決することなく、時間だけが刻々と過ぎていった。

「娘が中学生3年生になり、進路でいろいろ迷っていたようなんです。彼女は理系が好きで、薬学を研究したいという思いを抱えてきた。でもママが反対するんだよねと僕に打ち明けてきたんです。女の子は研究なんてしなくていいって。古くさいと僕は一蹴しました。やりたいことに向かって突き進め、と。高校までは公立でと言ったけど、行きたい学校があるなら私立だっていいよとも言いました」

 妻はあとから「娘を焚きつけないで」と言ってきた。やりたいことに向かうのが若い者の特権だろうと彼は言った。あの子はそんなに利口じゃないと妻が言ったので彼は激怒したこともあった。娘をバカにするな、と。

「妻は現実的だから、そのころの娘の成績から判断したんでしょう。でも人はやりたいことに向かえば、努力できるし予想以上の力もついてくるはず。僕は娘を信じたかった」

“元カノ”との再会で…

 娘は結局、公立校に入ったが、入学後から目指す大学に向かって努力し始めた。ちょうどそのころ学生時代の集まりがあり、祐揮さんは久しぶりに行き、卒業以来初めて、当時つきあっていた季衣さんに再会した。

「卒業と同時に自然消滅したので、会いづらかったんですよ。だけど顔を見たら、あの頃がわーっと蘇ってきて、本当にうれしかった。彼女のほうも同じだったようです。話してみたら、あのころと会話のリズムが変わってない。うれしかったですね」

 それは恋心が蘇ったわけではなかった。恋は脱けて、熟成した情が噴出した感じだったと彼は言う。だが、そこからまた恋が始まってしまうのが男女の興味深いところだ。最初は懐かしさだけで、その後、今のお互いを認め合うことになり、過去の恋心に今の気持ちが上乗せされ、濃密な関係になっていく。

「40代後半、お互いに失ったものと得たものとを比べるような時期だったのかもしれません。彼女も結婚していたけど、ひとりっ子の息子はもう大学を卒業して遠方にいるとかで、『夫はもうただの同居人よ』と笑っていました。でも彼女は幸せだったんだと思う。きれいな笑顔だったから。僕のほうは悩みと迷いにまみれていましたが『今のほうが素敵よ』と季衣に言われて肩の荷が下りたような気もしました」

 そして50歳になったとき、季衣さんは突然、「私、離婚しちゃった」と笑った。慌てた祐揮さんだが、「そう来たか、と僕も腹をくくりました」。

何もいわなかった妻

 家を出てひとりになりたい、生活費は送る、子どもたちにはいつでも会うと妻に告げた。妻は何も言わなかった。トランクひとつで出て行こうとしたとき、娘が「パパ、行かないで。私たちを捨てるの?」と絶叫した。「パパはずっときみたちのパパだよ。心から愛してるから、いつでも連絡して」と一言告げ、娘の「パパ!」という声を振り切った。

「娘も息子も多感な時期だったから、それだけは申し訳ないと思っていました。季衣が用意してくれた部屋に逃げ込むようにして暮らし始めたけど、子どもたちとは連絡を欠かさなかった。息子からは返信はありませんでした。彼は母親の気持ちを慮っていたんでしょう」

 季衣さんも仕事をしていたので、智絵美さんと違って、家の中がいつもきちんと片付いているわけではなかったが、祐揮さんもそんなことはまったく気にならなかった。

「むしろ、そんなことよりふたりで夜遅くまでしゃべったり、映画を観に行ったりして、学生時代のように気楽に過ごせるのが楽しくて 。若かったころの気持ちが蘇りました。妻とは下の子が産まれてからほとんどセックスレスでしたが、季衣とは毎晩のように……。若返っちゃったんですよね(笑)」

「パパの彼女に会いたい」

 学生時代の恋愛関係が、就職と同時になぜあんなに簡単に壊れたのか。それについてもふたりは語り合った。誤解もあったし思い込みもあった。それでも今、こうして一緒にいられることが楽しくてうれしくてたまらなかった。

「娘にはときどき外で会っていました。望み通りの大学に受かったと聞いたときはうれしかった。お祝いに家に帰ってあげたらと季衣に言われましたが、やはり敷居が高い。すると娘が『パパの彼女に会いたい』と言いだしたんですよ。それはどうかと思ったんですが、どうしても会いたいと。季衣も大丈夫かなと言っていましたが、3人で食事に行きました」

 季衣さんは控えめにしていたが、娘からはさまざまな質問が飛んだ。そのひとつひとつに季衣さんは真摯に答えた。「パパを愛してるの?」と聞かれたとき、季衣さんは「実は自然消滅してしまったときから忘れたことはない」とはっきり言った。だったらどうして探し出して一緒にならなかったのと娘は言った。

「当時はSNSもなかった。それに会えないのは縁がないからだと思うしかなかったのと季衣は目を潤ませました。思い返せば、僕も心の中でずっと季衣のことを思っていたのかもしれない。大事な宝箱に入れて封印していたような……。今は楽しいのと娘に聞かれ、『悪いけど、パパは今、きみと同じ年齢くらいの感覚だな』と返すと、娘は大笑いしていました。あの子は子どものころから三島由紀夫や谷崎潤一郎を読むような早熟な子だったから、人の機微に敏い。しょうがない、ふたりのことは見守っていくよと娘に言われて、僕らは照れるしかありませんでした」

 帰宅後、季衣さんは「魅力的な子ね」と感嘆していた。

突然の「余命1年」

 5年ほどそんな生活が続いた。娘が大学を卒業して大学院に入ったころ、祐揮さんは体調がすぐれない日が多くなった。年だなあと苦笑していたが、そのうち食事ができなくなり、ついに病院へ行った。

「高校時代の親友が、大学病院に勤めていたので彼を頼りました。そうしたら大腸ガンで余命1年と言われて。かなりパニックになりましたね。今後の治療予定などを聞かされたけど耳に入ってこない。自分の命の期限を切られることで、あんなに慌てるなんて、人間ができてない証拠だとつくづく思いました」

 手術、化学療法、放射線治療と治療は進むが、あまりのつらさに彼は体力も気力も失いかけていった。それでもできる限り、仕事は続けた。同業の仲間や取引先には、いっさい病気だとは知らせなかった。2年ほどたったある日、帰宅すると季衣さんがいなかった。彼女の荷物もそっくりなくなっていた。

「これ以上、つらくてめんどうを見られない。ごめんなさいと書いたメモだけが残されていました。それを見たら、笑いがこみ上げてきた。結局、季衣は僕が病んだら一緒にいるのが嫌になったわけですよね」

 そこへ娘から連絡が入った。「帰っておいで」と娘は言う。だが今さら、妻の元へは帰れない。

「大丈夫。ママも帰っておいでって言ってるからと娘が言うので、ちょっと顔を出してみました。げっそり痩せていたので、妻はびっくりしたようですが、何も言わなかった。戻ってきていいかと尋ねると、妻はかすかに頷きました」

 ひとりでいるときに倒れたらどうしようという不安も大きかったので、彼は荷物を整理して家に戻った。アパートはすでに季衣さんが解約手続きをすませていた。

「あれから娘に励まされて闘病を続けています。3年目で再発したり、いろいろあったけど、親友である医師によれば『奇跡的だよ』というくらい回復して。最近、ようやく体調が安定してきたので、仕事もかなり以前に近いくらいバリバリやっています」

 以前の写真を見せてもらうと確かに今のほうが痩せてはいるが、肌の色艶は悪くない。家に戻って3年ほどがたち、彼自身は「期限つきの命だったけど、一応、その期限はなくなった」とホッとしているそうだ。

「でもやはり一寸先はどうなるかわからないといつも思っています。再発のリスクはずっとあるわけだし、1度は宣告された身ですから」

最近わかった“真相”

 娘が同居してはいるが仕事で遅くなることも多い。妻は彼の分の食事は作らないから、彼はほぼ自炊だ。たまに1品、娘に残しておくこともある。妻とはきちんと話し合っていないが、娘を介して「あなたの世話はしません」と言われている。

「許せないんでしょうね。そりゃそうですよ。だけど僕だって本当はホストにはまった件を持ち出したいときがありますよ。お互いごめんね、というわけにはいかないんだろうかと考えたりもしますが、かえって単なる同居人だと割り切ったほうがいいのかもしれない。やっとそう思えるようにはなってきました」

 季衣さんに“捨てられた”傷も癒えてきたところだったのだが、つい先日、娘から季衣さんと別れさせたのは自分だと衝撃的なことを言われた。

「私はママが、今もパパを思っているんだと勘違いしていた。病気になっていちばんつらかった時期のパパのことを季衣さんから聞いていた。ママも心配していると思っていたから、このあたりでパパを帰してもらえないかと季衣さんに頼んだ。季衣さんは自分が二人三脚で病気を治してみせるとはっきり言ったけど、それは妻であるママの役目だって私が言ってしまった。季衣さんが出ていったのは私のせい」

 娘はそう言って泣き崩れた。やっぱりそうか、と彼は感じたという。あの季衣さんがあっさり別れるはずがない。

「娘は、『ママにかこつけて私がパパを取り戻したかったのかもしれない。でも、わかった。ママにはもう愛はない。パパが好きなようにして。季衣さんには私から連絡をとるから』と。でもこれ以上、季衣を振り回したくないんですよ。もういいよ、と娘に言いました。『ママのパパへの態度はひどすぎる』と娘は言うけど、それももういい。近いうち枯れ果てる命なら、今、ここで波風を立てたくないのが本音なんです」

 彼ももう一度、季衣さんを追いたい気持ちはあるようだ。だが、今さらとも感じている。このあと娘は、父のために季衣さんに連絡をとるつもりなのか。再度、彼が家を出ることもあり得るのか。時間が解決するのかしないのかわからないが、自分からは動く気力も体力も今はないと彼は言った。

「季衣とのあの5年間は本当に幸せだった。あれがあるから、今もがんばっていられる」

 ということは、やはり季衣さんには会いたいのだろう。その気持ちを必死に抑えているのか、テーブルの上に置かれた彼の握りこぶしが少し震えていた。

前編【料理をしたら文句、カード明細で発覚した闇…そして、妻との関係が決定的に壊れた“出来事”とは【悩める60歳夫の告白】】からのつづき

亀山早苗(かめやま・さなえ)
フリーライター。男女関係、特に不倫について20年以上取材を続け、『不倫の恋で苦しむ男たち』『夫の不倫で苦しむ妻たち』『人はなぜ不倫をするのか』『復讐手帖─愛が狂気に変わるとき─』など著書多数。

デイリー新潮編集部