他業種から遅れること5年。トラックドライバーに対する働き方改革関連法が4月1日に施行された。その影響として、物が届くのにこれまでより時間(日数)がかかることが懸念され、「物流の2024年問題」としてメディアで紹介されているのはご存じだろう。

 世間が懸念する、「物が届くのに時間(日数)がかかる」のは、つまるところ「ドライバー不足」を意味するのだが、国による人手不足対策の多くが、将来、第一線の現場に甚大な悪影響を及ぼすと、筆者は危惧している。

 なかでも人手が足りなくなった途端に始まった、大型トラックの高速道路における法定速度の引き上げや、ドライバーとしての外国人労働者の受け入れなどといった「規制緩和ラッシュ」は、現場を知らない国や有識者たちによって引き起こされる、業界の破壊行為であるとさえ感じる。

 そんな中、先日も警察庁がある規制緩和を行うと発表した。それが、中・大型車に対する「AT限定免許の新設」だ。

 自動車の免許と言えば、長く普通免許と大型免許の2種類だった。道交法の改正により2007年に「中型免許」(最大積載量4.5〜6.5トン未満、乗車定員11人以上29人以下)、17年には「準中型免許」(同2〜4.5トン未満、乗車定員10人以下)が創設された。多くのトラックドライバーが乗る「中型」、そして大量に荷物を運ぶ大型車へのAT限定免許の意味はどこにあるのか、考えてみたい。

AT限定免許とは

 一般的に自動車には、「マニュアル車(MT車)」と「オートマチック車(AT車)」の2種類がある。MT車は速度を変えるごとに左手と左足を使い、シフトチェンジをする必要がある。一方、AT車は誤解を恐れず言うと「ゴーカート」のように右足一本で変速できるため、運転が比較的楽にできる。

 現在、普通自動車免許を取得する際は、MTかAT限定かを選択することができるが、中・大型免許には現在のところいずれもMTしか選択肢がない。しかし、警察庁はこの中・大型車に対し、AT限定免許を2027年に導入する方針を明らかにしたのだ。

 さらに同免許導入に伴い、教習所などでの中・大型車教習は、たとえMT免許を取得する場合でもAT車で行い、クラッチ・ギア操作の教習時のみMT車で実施するという。

 警察庁は導入の理由として、中・大型車の運転が、MTに限られていることが人材確保の障壁となっていると考えているようで、今後AT免許を創設することでドライバーの裾野を広げ、物流業界における人手不足を軽減させようとしているわけだ。

 しかし、現場のトラックドライバーからは「中・大型AT限定免許導入は反対」とする声が非常に多い。かく言う筆者自身も同じように反対している。いや、反対というよりもむしろ、2024年問題対策における「国の現場感覚の欠如」に、憤りを覚えるといったほうが正しいのかもしれない。

 確かに現場では、中・大型AT車の需要はかなり高くなってきている。今回、SNSでトラックドライバーや運送事業者に「自社トラックのAT車とMT車の割合はどのくらいか」聞いたところ、AT車は大型車で7割ほど、中型車では2割ほどだった。

 また去年、筆者が大学生約200人に聞き取りを行ってみたところ、約65%がAT限定免許を取得、または取得中と回答。4年前から聞き取りを始めているが、その割合は少しずつ多くなっているようにも感じる。

 こうした現状のなか、それでも現場が中・大型のAT限定免許に反対なのは、いくつか理由がある。

プロがMT車に乗れないでいいのか

 物理的な理由として挙げられるのは、現場で未だに存在感を示す「MT車の存在」だ。先述したように、現場ではAT車の割合が増加しているのは間違いない。だが、これは裏を返せば、大型車では約3割、中型車では7割ほどのMT車が存在していることを意味している。

 つまり、AT限定免許を取得したトラックドライバーが誕生した場合、各会社にそのドライバー「乗れない=運転できない車両」が存在することになるのである。

 現場で「技術や知識はあるが、使用しない」のと、「元々技術・知識がない」のとでは雲泥の差がある。ましてや慢性的に人手不足の職種。むしろ選択肢が狭い人より、技術をひとつでも多く持っている人がいる方が、現場はうまく回る。

 ドライバーたちからも、

「AT車はMT車に比べて故障が多い。その際、ドライバーがAT限定免許取得者で、会社にMT車しか残っていなければ、仕事はあるのにトラックもドライバーも動けなくなる」

「自分は普段からAT車に乗っているが、MT車が乗れるうえでAT車に乗るのとAT車しか乗れないのとでは全く違う」

「よく考えたら、あんなに大きなクルマがアクセル踏んだだけで前に進むって怖い。プロならばせめてMT車でクルマの構造を知ったうえでAT車に乗れるようにはしておくべき」

 といった声が聞かれる。

 先にも述べた通り、今回の改正では大型MT免許を取得する場合でもAT車を使用するとされている。そうなれば、新規のドライバーはますますMT車の感覚を得る機会を失うことになるのだ。

 本来、教習所というのは「免許を取得するための場」である以上に「技術を学ぶ場」であるはず。現場でAT車にしか乗らないにしても、職業ドライバーが教習所でMT車の感覚を体に覚えさせておくことは、現代を生きる我々が、学校で歴史を学ぶのと同じくらい、必要不可欠な経験だ。

 こうした「いらない技術は学ばなくてもいい」という論は、大失敗に終わったあの「ゆとり教育」の弊害を筆者に想起させるのだ。

 現在、普通車のAT限定免許を取得した人が、中・大型免許を取得するには、4時間の限定解除講習と技能試験を受ける必要がある。こうした制度を、国や有識者らは「障壁」としたわけだが、これは大きな間違いだ。

 というのも、普通免許しか持っていない人が中・大型のトラックドライバーになるには、その普通免許がMTであろうがATであろうが、どのみち教習所に通うという手間は発生する。そもそも同じAT車であっても、普通車と中・大型車はもはや全く違う乗り物であるため、「普通AT免許をもっていれば中・大型ATにすぐ乗れる」、「障壁は低くなる」、と考えること自体間違っている。

 何より、たった4時間(取得にかかる日数でも2、3日)の講習が「障壁」ならば、その後ドライバーとして日々対峙することになる、荷主の一方的都合による「長時間の荷待ち」は、もはや「エベレスト」であるといえるだろう。

技術向上により失われる安全性

 もう1つ、現場にAT車が普及することで懸念されるのが「安全性」だ。

 機械の自動化や高性能化は、決して「安全」が保証されるものではない。むしろ機械への依存で人の作業が単純化すると緊張感が失われ、漫然運転や作業、最悪の場合は死亡事故に繋がる。自動車でいうと、「AT車普及によるブレーキとアクセルの踏み間違い」はまさにその典型だろう。

 踏み間違い事故では2019年4月19日、東京・池袋で起きた高齢ドライバーによる踏み間違い事故が知られているが、その2日後に兵庫県神戸市にあるJR三ノ宮駅付近で大型バスによる踏み間違い事故が起き、2名が亡くなっている。

 当時の報道によると、その時のバスの速度はわずか10数キロでAT車だった。もしこのバスが、クラッチ操作が必要なMT車だったら、たとえ踏み間違いが起きても犠牲者が出ることはなかったかもしれない。

 こうした大型車による事故について触れると、毎度「クルマの性能は向上している」という声を聞くのだが、大型車が絡む追突・死亡事故は毎日のように起きている。職業ドライバーはどこも高齢化。今でも70代の長距離トラックドライバーや、大型車の運転に不慣れなドライバーが増えていく業界でAT車に一本化していく動きは、果たして正しい道なのだろうか。

 これまで存在したルールや規制は、現場の安全や秩序を守るために作られ、現場もそれを信じて必死に守ってきた。それを、2024年問題の解消のためにと次々に緩和される現状を前にすると、「今までの規制は一体何のためにあったのか」という思いに駆られる。

 ましてや「働きやすくするため」ではなく「人手不足だから」という、結果的にドライバーではなく「荷物目線」の国の対策に、現場は憤っているのではないだろうか。

準中型免許廃止がより効果的

 今回のAT免許創設の狙いは、運転をしやすくして女性や外国人労働者、特に「若者」の業界参入を促そうとするものであることは明らかだ。

 しかし、本当に若者を入れたいのであれば、真っ先にすべきは「新免許の導入」ではなく、「準中型免許の廃止」や「そもそもの免許制度の見直し」である。筆者が現役のトラックドライバーだったころ、普通免許があれば、現在の中型トラックに乗れた。つまり18歳で普通免許を取得すれば、すぐに4トン車に乗れたのである。

 それが現在では、安全性を理由に中型免許が創設された。中・長距離輸送でよく使われるのは中型車以上のトラックだ。しかし、中型免許を取得するには、普通免許を取得してから2年以上、大型免許は3年以上経過していなければならず、高校卒業後に社会人になる学生から、運送業界が進路先として選ばれなくなってしまい、今度は免許取得年数の制限がない「準中型免許」を導入した。

 結果的に「普通」「準中型」「中型」「大型」の4種類に細分化されたのだが、これこそがコストや手間という、若手が参入するのに厚い「障壁」となっているのだ。

 国は一昨年、普通免許を取得して1年後に中・大型免許を取得できる特例講習を新設した。ここでも「今までの規制は何だったのか」というくらい、極端な規制緩和がなされたわけだが、多くの若者たちへ業界参入を促すには、今回のような中・大型AT限定免許の導入ではなく、抜本的な免許制度の見直しをすべきなのだ。

 筆者が毎度個人的に思うのは「なんでも緩和すれば現場の問題が解消されると思ったら大間違いである」ということだ。

 元々「ブルーカラーの花形」とまで言われていた運送業界がこれほどまでに稼げなくなった理由は、過去に業界の大改悪とも言われた「規制緩和」がある。新規参入のハードルを下げ、過当競争が発生した結果、現場は低賃金・劣悪な労働環境に様変わりした。

 そんな過去の経験があるにもかかわらず、国は2024年問題対策として規制緩和を乱発。高速道路の速度引き上げや、外国人労働者受け入れ、そして今回のAT限定免許の導入などは、「とにかく頭数さえ揃えればいい」と、手あたり次第人材をかき集めているように映る。

 そもそも、若者や新規でトラックドライバーになりたい人たちにとって「障壁」になっているものは、「MTかAT」でも「教習期間の長さ」でもない。「劣悪な労働環境と賃金の安さ」にあるのだ。

 毎度外堀ばかりを埋めたり、入口を緩めたりしても、参入して現実を知った新規の労働者はすぐに辞めていく。「入る障壁がなくなる」、ということは「辞める障壁もなくなる」ということを、国はどこまで真剣に考えているのだろうか。出入りの激しい業界は、成長だけでなく安全性や秩序も保てなくなる。こうした愚策が、結果的に現場の労働環境や社会的地位を下げる原因になるということに、いつになったら気付くのだろうか。

橋本愛喜(はしもと・あいき) フリーライター。元工場経営者、日本語教師。大型自動車一種免許を取得後、トラックで200社以上のモノづくりの現場を訪問。ブルーカラーの労働問題、災害対策、文化差異、ジェンダー、差別などに関する社会問題を中心に執筆中。各メディア出演や全国での講演活動も行う。著書に『トラックドライバーにも言わせて』(新潮新書)、『やさぐれトラックドライバーの一本道迷路 現場知らずのルールに振り回され今日も荷物を運びます』(KADOKAWA)

デイリー新潮編集部