4月28日に投開票が行われた衆議院東京15区の補欠選挙は9人の候補者による乱戦だった。当選したのは4万9476票を獲得した立憲民主党の新人・酒井菜摘氏(37)。次点となったのは元格闘家で前参議院議員の須藤元気氏(46)で、完全無所属ながら2万9669票を得たことに驚きの声が上がっている。大善戦の背景は? 地元で居酒屋を経営する父親の正英氏(72)に聞いた。

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 須藤氏は選挙期間中、こんな演説をしていた。

「私はですね、江東区生まれ、江東区育ちです。東陽町で生まれて南砂で育ちました。実家はですね、江東区東陽町にある『磯幸』という居酒屋です。その倅として育ち、江東区立第四砂町小学校、江東区立第二南砂中学校を卒業し、関東一高でレスリングを始めました……」

――その居酒屋「磯幸」にお邪魔した。店の前には《まぐろぶつ600円 どじょう柳川600円》と庶民的なメニューが書かれており、中には《本日のサービス品 マグロステーキ380円 ホタルイカ380円》なんてのも。安い!

正英:4品ある380円メニューは20年以上やっているかな。安くしないとお客さんは来てくれないからね。

――近年は物価高も続いているから大変では?

正英:消費税込みの表示にもなったしね。この界隈でも畳んだお店は少なくないですけど、仕入れと調理の努力でなんとか続いています。

――お父さんもこちらの生まれですか?

正英:私の生まれは福島、育ちは茨城の日立です。上京したのは中野の調理師専門学校に通うため。中野に住んでいたんだけど、木場にいる友達の家に遊びに来たら、こっちのほうは安いじゃない。それで結婚してすぐに、こっちに店を出したんです。今年でちょうど50年になります。

――一代で50年とは大したものだ。正英氏は現在、東陽町で2店を経営している。

46にもなって……

正英:元気はここで生まれてここで育って、友達にも恵まれた。だから3万票近くも投票してもらったんでしょうね。

――元気さんは電飾の付いた自転車で江東区を走り回って選挙活動をしていた。

正英:最初は普通の自転車だったんだけどね、元気の友達が「このほうが目立つ」と付けてくれたんですよ。

――お父さんも応援に駆けつけたのだろうか。

正英:俺は行かないよ、政治のことは分からないし、店だって忙しいからさ。事務所開きの時だけ「来てくれ」と言われたので、近所だから顔を出したけど。そしたら一言挨拶してくれって言うんで、「元気が小さい頃、何でもやれって言ったけど、46にもなって、まだ好きなことをやってる」って話したんですよ。

――元気さんはどんなお子さんだったのでしょうか。

正英:元気って名前はね、ボクシング漫画の「がんばれ元気」の主人公・堀口元気から取ったんですよ。優しくて思いやりのある主人公だったから、そんな人間に育ってほしいと思って。

――お父さんの世代なら、ボクシング漫画といえば「あしたのジョー」では?

正英:そうそう、いちばん好きな漫画は「あしたのジョー」なんですよ。でも、息子が矢吹丈みたいになっちゃってもね。ウチの元気は小さい頃は大人しい子だったんですよ。買い物に行って近所の人に「元気くん」なんて呼ばれても、女房の後ろに隠れちゃうようなところもありました。

――それが格闘技にはじまり、パフォーマーを経て政治家である。

入場パフォーマンスは恥ずかしかった

正英:小中学校の時は、やりたいことは何でもやれと育てたんです。習い事も何でもやらせたし、飽きれば辞めていいとね。剣道、ボクシング、ギター、三味線、トランペットもやったかな。でもね、中学卒業の頃、親に内緒で少年自衛官(現・陸上自衛隊高等工科学校)に申し込んだんですよ。いきなり自衛隊の人がウチに来て、こっちは何も知らされていなかったからびっくりしました。さすがにあの時は、高校を出てからでも遅くはないだろうと説得しました。

――元気さんが高校に進学して始めたのがアマチュアレスリングだ。

正英:他の子は中学の頃から始めているらしいんですけど、関東一高レスリング部の恩師・七尾秀敏先生に認められて、その気になったんでしょうね。すぐに東京都で2位になり、国体にも出たし……。小中学校では好きなことをやらせていましたが、「高校・大学の7年間の過ごし方で、その先が変わってくる」と元気によく言っていました。

――格闘家になったのは自然な流れですか。

正英:そうですね。大学時代、96年の全日本ジュニアオリンピックで優勝し、アメリカで修行していましたから。帰国して総合格闘技団体でデビューしましたが、入場のパフォーマンスはちょっとね……。私の世代は力道山でしょ、みんな真剣に歩いて入場していたわけですよ。ところが元気は頭にライトつけたりして、こっちが恥ずかしくなっちゃった。

――元気さんのお母さんはどうだったんですか?

正英:女房は一回も元気の試合を見たことがないですよ。心配性だからね。

――2006年、元気さんは格闘技からの引退を表明する。

正英:あいつは結構、先読みが早いんですよ。当時は毎年、大晦日に複数のテレビ局で格闘技を放送していましたが、「そろそろピークアウトが来る」と言っていました。次は何をやるのか尋ねると、「わかんないけどやってみる」と言っていましたね。

――09年、パフォーマンスユニット「WORLD ORDER」を結成する。

正英:何だかよく分からなかったけど、話題になったそうだからね。格闘技で10年、WORLD ORDERで10年、第3の人生をどうするのかと思ったけど、政治家とは思わなかった。「本当に出るの?」って聞きましたよ。

元気は今後どうするのか

――19年7月、参院選の比例区に立憲民主党公認で立候補し初当選。だが、翌年の都知事選を巡り、党の方針と意見が合わず離党した。

正英:参院議員のままならあと1年続けられたのに、今年になって今度は衆院選に出るというから、「え? 辞めちゃうの」と。

――元気さんは昨年末に母親が亡くなったことも、今回の出馬のきっかけになったと語っている。

正英:何か思うことがあったんでしょう。母親に背中を押された気持ちがあったかもしれないね。今年、店が50年なら、女房とは金婚式だったんですよ。娘と元気がお祝いしてくれるはずだったんだけど、叶わなかった。

――もっとも、元気さんは選挙に敗れた。

正英:あいつはね、負けてから強くなるヤツなんですよ、総合格闘技の時も。キックボクシングの時は小比類巻(貴之)に負けて人気が出た。今度だって負けて良かったのかもしれないよ。

――選挙期間中、各候補に選挙妨害を繰り広げた「つばさの党」も元気さんには何もしなかった。怒らせたら怖いからだろうか。

正英:それはどうかなあ。元気は「逆に応援してもらった」と言っていたよ。

――元気さんは政治家を諦めてはいないようだ。

正英:参院議員だった時にね「政治家の給料は俺たちの税金なんだから、無駄なことに使ったりするんじゃねーぞ」って言ってやったんだ。そしたら「お父さんとは違うよ」って。確かに俺は金遣いが荒いんだけど、元気は「自分のスキルを上げるために使うんだ」って言うんだよ。どうせ政治家になるなら、夢を持たせるような政治家になってもらいたいね。これから元気はどうするのか、楽しみでもあり、不安でもあるね。あいつは何をやっても食っていけると思うけど。

デイリー新潮編集部