「イチローより速い男」の異名

 ソフトバンク・周東佑京の『足』が速いというのは、もはや周知の事実でもある。

 東農大オホーツク北海道時代には「イチローより速い男」の異名を取り、ソフトバンクのスカウト陣が視察していた沖縄キャンプでの練習試合で、一塁走者の周東はレフト前ヒットで三塁を陥れた。自分の前方にゴロの打球が飛んだとき、基本的にはその先の塁には進まないというセオリーを超越した俊足ぶりに、スカウト陣は即、獲得を決めたという。

 ルーキーイヤーの2018年は、まだ背番号は3桁の「121」。育成選手ながら『足』が評価され、その年のU―23日本代表の24選手として選出されている。

 2年目の2019年に支配下登録されると、ここまですでに盗塁王2回。50盗塁をマークした2020年には「13試合連続試合盗塁」で、メジャー記録を上回る“世界最高記録”もマークしている。

 記憶に新しいのは、日本代表として名を連ねた2023年3月のWBCだろう。

 準決勝・メキシコ戦で1点ビハインドの9回、無死一、二塁のサヨナラ機に一走の代走として登場。村上宗隆(ヤクルト)の中越え適時打で一走の周東が一気にホームを陥れ、決勝進出を決めているが、そのスタートの良さとスピードは、二走の大谷翔平(ロサンゼルス・ドジャース)を追い越しかねないほどの勢いだった。

 その『足』で数々の逸話を作ってきた男が、またもや新たな“俊足伝説”を生み出したのは、2024年3月31日のことだった。敵地・京セラドーム大阪で迎えた開幕カード、オリックスとの3戦目のことだった。

「今年のテーマは我慢です」

 7回を終え、3‐1でソフトバンクがリード。ともにカード勝ち越しがかかる接戦での終盤2イニングともなると、互いにレベルの高いリリーバーが出て来るため、そう簡単に連打も長打も出ない。つまり、点が取りづらい、我慢の試合展開になってくる。

 ソフトバンクにすれば3点差に引き離す、オリックス側から見れば1点差に迫る、試合の局面を大きく動かすことになる、その“次の1点”をどちらが先に取るのかが、勝敗を分ける、重要なカギになってくる。

 その「4点目」を、周東の『足』がもぎ取った。8回1死から、7球粘った末に、周東がまず四球で出塁した。

「あそこで、四球を取れたのがデカかったなと思います」

 カウント3‐2からの四球は「我慢です。今年のテーマは我慢ですから」。

 2月の宮崎キャンプ。周東は事あるごとに、城島健司・会長付特別アドバイザーから、捕手視線での“俊足の生かし方”をアドバイスされていた。

 塁に出る。ヒットでも、四球でも、失策でも何でもいい。とにかく、周東のスピードをもってすれば、相手バッテリーが最も嫌なのは、塁に出られることなのだ。

出塁によって生まれる“周東効果”

 この試合でも、3回に2024年のシーズン初ヒットを三塁線へのバント安打で決め、次打者の今宮健太の初球に、すばやく二盗を決めている。

 そのスピードが、相手バッテリーには残像として、その脳裏に焼き付いている。僅差の終盤。だからこそ、よけいに盗塁はされたくない。スタートを切らせたくない。

 ゆえに、次打者の今宮に対して、スピードの落ちる変化球ではなく、ストレート中心になってしまうのがバッテリー心理だ。

 これも、出塁することによって生まれる“周東効果”の一つでもある。今宮も、もちろん分かっている。初球は141キロ外角球。狙いすましたかのように、右翼線へ流し打った。

 鋭い当たりがライトの定位置と、右翼線の間あたりで跳ねた。

 オリックスの右翼・杉本裕太郎が、右翼線の方へ回り込みながら打球を処理する。特に戸惑ったわけでも、緩慢だったわけでも何でもない。ごく普通の打球処理だ。

 これで一、三塁。誰もが、そう思った。ところが、周東は止まらない。三塁を蹴って、本塁へ突っ込んでいく。

 えっ? カットマンのセカンド・西野真弘が慌てて本塁へ送球したが、ヘッドスライディングの周東の手が、先にホームベースに届いていた。

「標準」タイムより約3秒も速い

 記録は二塁打。しかし、明らかに「シングル」の当たりだった。つまり、一塁からヒット1本でホームインしたのだ。分かっていたこととはいえ、何とも恐るべき『足』だ。

 打者がボールをバットでコンタクトした瞬間、つまり「打球音」を合図にストップウォッチを押し、ベースにどちらかの足が触れるまでの到達タイムを測定する。

 一塁まで4秒3、二塁まで8秒3、三塁まで12秒3。

 左バッターの場合、このタイムを切るのが「標準」とされ、さらに一塁までなら4秒、二塁までなら8秒、三塁までなら12秒を切れば「俊足」と分類される。

 周東が“右前打”で一塁から生還したタイムは、私の手元のストップウォッチでは「9秒58」を示していた。

 打席とは違い、一塁ならばリードも取っているし、打った瞬間、即スタートを切れるゆえに、単純比較はできないのだが、三塁打での「標準」より、約3秒も速いのだ。

 周東がバントヒットを決めた3回、その時の一塁到達タイムは3秒47。セフティー気味ゆえに、打席内で“走り打ち”のような形になっているため、普通のスイング時より一塁到達タイムが速くなるとはいえ、これも標準タイムより1秒は速い。

 塁間は27.431メートル。これをバントヒット時の3秒47で換算すれば、秒速7.90メートルになる。標準の4秒3なら秒速6.38メートル、つまり、1秒違えば、およそ1.5メートルの差がつく。

 周東の“3ベース分”の走りで生んだ「3秒」のアドバンテージは、およそ4.5メートルという距離の違いになる。

 だから、もし周東と“並みのスピードの走者”が一緒にスタートを切ったとしても、周東がヘッドスライディングで生還した時には、まだ本塁手前でスライディングの態勢に入るくらいのタイミングだろう。

異次元の“足”

 恐るべきスピードでつかんだ4点目。最終スコアは5―2でソフトバンクの勝利だったから、それこそ周東の『足』が効いて、開幕カードの勝ち越しを決める白星になった。

「とりあえず、最後までスピードを落とさず、ということだけでした。あそこの1点はよかったと思います」

 そう振り返った周東は、開幕3連戦でいずれも「1番」でスタメン。初戦は4打数無安打の3三振。2戦目は1回の第1打席で四球を選ぶと、すかさず二盗を決めている。

 3戦目は、3回に三塁前へのバント安打と二盗。四球で出塁した8回の“生還劇”は、先に詳述した通りだ。

「なかなか塁に出られない中でも、1番で出してもらっているんで、何とかしたいなと思っていたんです」

 開幕3連戦で、ヒットは1本だけ。それでも、1番・周東の存在感は輝きを放っていた。3年ぶりのV奪回へ、その異次元ともいえる『足』は、ソフトバンクにもはや不可欠な存在になったと言っても、過言ではないようだ。

喜瀬雅則(きせ・まさのり)
1967年、神戸市生まれ。スポーツライター。関西学院大卒。サンケイスポーツ〜産経新聞で野球担当として阪神、近鉄、オリックス、中日、ソフトバンク、アマ野球の各担当を歴任。産経夕刊連載「独立リーグの現状 その明暗を探る」で2011年度ミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。産経新聞社退社後の2017年8月からは、業務委託契約を結ぶ西日本新聞社を中心にプロ野球界の取材を続けている。著書に「牛を飼う球団」(小学館)、「不登校からメジャーへ」(光文社新書)、「稼ぐ!プロ野球」(PHPビジネス新書)、「ホークス3軍はなぜ成功したのか」、「オリックスはなぜ優勝できたのか 苦闘と変革の25年」、「阪神タイガースはなんで優勝でけへんのや?」、「中日ドラゴンズが優勝できなくても愛される理由」(以上いずれも光文社新書)

デイリー新潮編集部