岡本和真にはリラックスしてほしい

 巨人が阪神、中日と続く6連戦を4勝2敗と勝ち越した。貯金は2、首位・阪神に0.5ゲーム差と迫った。

 阪神3連戦の勝ち越しは大きかった。負け越していたら、走らせる糸口になっていたかもしれない。中日戦での山崎伊織の完封勝利も今後を考えると実に良かった。巨人、追撃のチャンスだ。

 だが、相変わらず打てない。8日は1対0で迎えた8回、長野久義の満塁一掃三塁打で突き放して勝ったが、それまでに挙げた得点は1回、坂本勇人の犠飛だった。

 完封負けが多い。タイムリー欠乏症が目につく。本塁打数もDeNA、広島と並んで12本、リーグでは最下位だ。メンバーを見ても、岡本和真以外、本塁打を打てそうな打者がいない。

 その岡本和、3日の阪神戦で一発を放ったがどうにも調子が上向かない。何といっても岡本和待ちだ。打席であれこれ考え過ぎているのではないか。打席に入ったら「少し力んでいるのかな」と気持ちを切り替え、楽な気持ちで甘い球を待つ。見逃さない。

 技術的な部分もあるだろうが、精神的な部分の方が大きいと思う。責任感にとらわれず、もっとリラックスしてほしい。

阿部監督のコメントに驚き

 大城卓三がファーム落ちした。2年ぶりだという。20打席連続無安打、いい球を見逃してボール球を振っていた。ベンチからは覇気がないように映っていたのかもしれない。

 スイングそのものは悪くない。一種のショック療法だろう。甘い球ではなく、難しい球に手を出していたら、そりゃ、打てる確率が悪くなるばかりだ。気持ちを一新して戻ってもらいたい。

 それにしても阿部慎之助監督のこのコメントには驚いた。秋広優人が今季初の1軍昇格を果たした時のことだ。

「良くて上げるわけじゃないんで、全く期待していない」

 こんなコメント、本人、ファーム関係者、ファン、家族、友人らが見たらどう思うだろう。それはないと思う。

 ファームでは34試合に出場して打率2割1分6厘、9打点で本塁打はない。確かに成績は良くないが、1軍に上げたのは確かな理由があったはずだ。

 高卒3年目の昨季は121試合に出場して打率2割7分3厘、10本塁打、41打点の成績でブレイクした。オープン戦で結果を残すことができず、ファームで調整となった。

 阿部監督の期待の裏返しの言葉かもしれないが、これでは「プラス思考」ではなく、「マイナス思考」だ。期待している、頑張ってくれよと声をかけ、またコメントするのが監督としての姿ではないか。こんな言葉を発してどうしたいのか。激励になっていない。

 私だったら「そうまで言うなら上げてくれなくても結構です」と言っている。阿部監督の今季のスローガンは「新風」だ。でも「悪風」を吹かせている。こう思うことが何度もある。

もう一つ気になる発言

 最近では6日の試合後、大量6選手の入れ替えを行った。横川凱、中山礼都、そして梶谷隆幸の3選手が1軍を離れた。

 梶谷は左ヒザ痛再発だったようだが、横川は6日に今季初黒星、中山もまた坂本の代役で三塁に入ったが結果を出せなかった。

 投手がちょっとでも打たれる、野手が思うように働けない。するとすぐに落とす。これを繰り返している。よく分からない。

 開幕前には岡本和、坂本、門脇誠の三人はレギュラーの構想と話していた。要するにこの三人以外はレギュラーではない。こう言いたかったのだろう。でも、いざ始まったら吉川尚輝、丸佳浩を起用し続けている。実績があり、チームにとって外せない選手はいる。吉川、丸は最初からその外せないレギュラーだ。

「三人以外は」……言われた方はいい気持ちがしないだろう。これまた、こんなコメントが分からない。

一丸となって阪神追撃を

 大勢が3日の阪神戦後、右肩の違和感を訴えて出場選手登録を抹消された。大きな異常は見られないとのことだが、力任せで打者を抑えようとしている。あれでは肘や肩に負担がかかる。大勢、もっと肩の力を抜いて8分くらいの力で投げた方がいい球を投げることができる。あの球速と球威だ。コーナーワークでいけるはずだ。

 9連戦プラス6連戦をなんとか8勝7敗で乗り切ることができた。

 10日からは神宮でヤクルト3連戦、1日置いて14日からDeNA2連戦、そしてまた1日空いて17日からマツダで広島3連戦、少しは日程が楽になる。

 とはいえ、巨人は投手陣の踏ん張りでいまの位置にいるが、そうそう続かない。10日後には最下位にいた。こんなことも考えられる。

 打線は岡本和待ちだが、一丸となって阪神を追撃してもらいたい。最後にだが、阿部監督はもう少し言い方を考えてほしい。「言葉は力なり」である。(成績などは9日現在)

柴田 勲(しばた・いさお)
1944年2月8日生まれ。神奈川県・横浜市出身。法政二高時代はエースで5番。60年夏、61年センバツで甲子園連覇を達成し、62年に巨人に投手で入団。外野手転向後は甘いマスクと赤い手袋をトレードマークに俊足堅守の日本人初スイッチヒッターとして巨人のV9を支えた。主に1番を任され、盗塁王6回、通算579盗塁はNPB歴代3位でセ・リーグ記録。80年の巨人在籍中に2000本安打を達成した。入団当初の背番号は「12」だったが、70年から「7」に変更、王貞治の「1」、長嶋茂雄の「3」とともに野球ファン憧れの番号となった。現在、日本プロ野球名球会理事を務める。

デイリー新潮編集部