第106回全国高校野球選手権への出場を懸け、全国各地で6月22日から地方大会が続々と開幕している。高校球児にとっては唯一無二の夢舞台。PL学園(大阪)のエースとして、春夏5度出場した巨人・桑田真澄2軍監督(56)が、今年で100周年を迎える甲子園球場について語った。春夏通算20勝は前人未到の最多記録。歴史と伝統を継承する必要性に加え、次なる100年に向けての改革も提言した。

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 −甲子園球場が誕生から100周年を迎えた。

 「自分も高校時代にプレーさせていただいた。本当に幸せ者です。長く続いているのは戦前、戦中、戦後と、時代背景が反映されてるからだと思います。先人が大切に育ててきてくれた日本の文化。この良き素晴らしい文化を、また次の100年につなげていってもらいたいと思います」

 −今大会では開幕から3日間、酷暑対策として二部制が導入される。

 「すごくいいと思います。大人の都合で選手たちの健康、コンディショニングを悪くするのは良くない。野球界が一つになって考えれば、大切な金の卵である高校球児を守ろうとすることは、いくらでもできる。高校野球をさらにいい文化にしていくという意味では、一歩…半歩、前進しているかなと思います」

 (続けて)

 「ただ、まだまだやれることはたくさんあると思います。例えば日程でも、いろんな方法がある。午前中は高校野球やって、夜はナイターでプロ野球やるというのも可能。プロ野球の一番の供給源は高校野球、高校球児だと思います。その選手を壊すことなく大事に育てるには、いろんな考え方があって、どんどん試していった方がいいと思うんですよね」

 −甲子園だけじゃなく、分散開催という案も。

 「それも一つの案ですが、個人的には、自分が高校球児なら甲子園じゃない球場でやっても、どうなのかなと思いますね。甲子園だからこそ意味があるんですよね」

 −総合的に考えれば、期間を伸ばすのが得策。

 「そうですね。資金繰りが大事だと思います。その資金はどうやって工面するか。プロ野球が協力してもいいわけですよ。商業主義廃止ということでやっていますけど、僕は時代に即したというのもすごく大事じゃないでしょうか。今の時代に、高校野球はどうあるべきかという議論は、していくべきだと思うんです。簡単なことで言えば入場料を上げるとか、放映権料を取るとか、いろいろな試みはできると思うんですけどね」

 −20年のセンバツ大会から「一週間で500球以内」の球数制限を設けた。これについては。

 「一歩ではなく、半歩ですね。導入は素晴らしいと評価できますが球数が500球。一週間に500球ということは、3連投しても500球以内で終わります。3連投を避けるところにはいかない。その球数制限って本当に必要ですかね。ここに球数制限+登板間隔というのが入っていると、もう10歩くらい前進するんじゃないですか」

 −具体的な間隔とは。

 「投げた球数にもよりますが、100球だったら何日で、110球だったら何日…80球だったら何日というね。アメリカでは10年以上前から『ピッチ・スマート』という指標が提示されています。そういったものは、どんどん導入していくべきだと思いますね」

 −高校時代にはPL学園で5季連続出場。

 「初めて足を踏み入れた時の雄大さって言うんですか、大きさにまずは圧倒されましたね。芝生と土、ソースのにおいが混ざった独特の香りと言いますか。なんとも言えない、大阪の人はよく分かるソースのね、ソースと芝生と土が混ざった香りがするんです。それがすごく忘れられない香りでもありますよね。今でも甲子園に行くと、同じ感じがしますよね」

 −そんな独特の香りから浮かぶ思い出とは。

 「当然、夏は暑さとの戦いです。僕も意識がもうろうとなりながら、マウンドに立ってた時もあります。緊張、重圧、孤独感、恐怖心が湧くんです。そこに立ち向かっていく勇気やメンタル、タフネスですかね。精神力、そういったものが非常に大事だと思います。そこに向かって挑戦したことによって、今の自分がある。あの時逃げずに挑戦したことが、非常によかったなって思いますね」

 −甲子園で初めて入場行進をした時の感覚は。

 「入学前は3年間で一回、出られたら良いと思っていました。それが1年生の夏でいきなり出場。あの時、行進するのにライトの後ろ…アルプスの下くらいで待っていました。今もそうですかね。あの時、阪神園芸のおじちゃんに『お前か、PLの1年坊主は』って。『甲子園は風を見て投げろよ』と言われたんです。『何言ってんねん、このおっさん』と思ったんですけど(笑)。でも、入場行進した時に風をすごく感じたんですよね。『そうか、あのおっちゃん、こういうこと言っていたんだ』と思って。浜風ですよね。それでセンターの旗を見ながらよく投げていました。入場行進の思い出はあまりないですけど、思い出すのは阪神園芸のおっちゃんのインパクト。甲子園の特徴を、教えてもらった15歳の夏でしたね」

 −準決勝では池田高と対決した。前評判は池田が圧倒的だったが、結果7−0でPL圧勝。あの1勝で変わったことは。

 「絶対に諦めちゃいけないということを、あの試合で学びましたね。1年前、中学生の時にテレビで見ていた水野さんや、江上さんが三塁側のベンチにいるわけですよ。信じられないですよね。先輩には『10点以内に抑えろ、大阪の恥さらすな』と言われて、なんとか9点に抑えようと。9点ということは、1イニング1点まで大丈夫かなんて思いながらです」

 −初回、0点に抑えられたことで波に乗った。

 「そうですね。あの回、スコアボードに0がポンと一つ付いた。1点は取られてもいいと思ったところが0だったので、あれ2点取られてもいいイニングが、次でもいいんだみたいなね。あの時2死一、三塁で、投ゴロだったんです。あの打球が抜けていたらおそらく逆の、ボコボコにやられた試合だったいます」

 −桑田氏の好フィールディングで防いだ。

 「今でも選手たちに伝えるのは、投げてもアウトを取れるけど、守備でもアウトは取れるよ、と。だから守備も磨いていこうと話します。アウトの取り方ってたくさんあるんです。あの試合で併殺もたくさん取ったと思うのでね。すごい先輩たちに向かっていきながら、どうやったらゴロを打たせられるかとか、いろんなことを駆使して勝てました。自分の中ではたくさんの教訓があった試合でもあるんですね」

 (続けて)

「向かっていくしかないという気持ちで挑戦して、結果、ああやって勝てました。絶対、無理だって思ってしまいますけど、こういうことが起こるんだと…ある意味、野球の怖さですよね。自分が逆の立場になっても、絶対にゲームセットまで諦めなかった、気を緩めなかったっていうのは、あの池田戦があったからでしょうね。当然、プロに入った後もです。諦めずに最後まで戦えたのは、その教訓があったからかも知れないですね」

 −甲子園球場では「伝統の一戦」の地としても戦った。また違う感覚。

 「そうですね。高校野球と、プロ野球の甲子園は、全く別物だと思います。高校野球はアマチュアリズムと言いますか、高校生らしさが色濃く反映されている。それがたくさんの人の感動を生んで、今でも変わらず大人気なのではないですかね。プロ野球での甲子園、巨人−阪神戦は伝統の一戦と言われます。また違ったプロフェッショナルと言いますか、技術力。技術と技術との戦いみたいなイメージですね」

 −「巨人軍の桑田真澄」としての甲子園とは。

 「厳しさはプロの方が厳しいです。1球の失投も許されない。この1球で負けた、この1球で勝ったとかね。勝負の厳しさはプロ野球の方が、10倍以上はあるんじゃないですか。よく『野球の神様がいる』と言うんですけど、甲子園大会であれば、ある選手、あるチームに降りてくるんです。とんでもない力を与えてくれるんですが、プロ野球でもありました」

 (続けて)

 「僕、迷ったらマウンドを降りて、水を巻くホールの上に乗るんです。野球の神様からメッセージが降りてこないかなって、よく待ってたんですよ、ボールを見ながらね。そうすると『ここはカーブを勝負球にしろ』とか、『思い切ってインサイド、シュートを突いていけ』とか。そういう言葉がポンッと降りてきて、よくピンチを脱したこともあったんです」

 −巨人のエース時代。

 「あの頃を振り返っても、とんでもないトリプルプレーをしたりですね。ホームランも打ったんですけど、偶然じゃなくて。打席で構えたら『カーブを狙いなさい』って。『いや、カーブは来ないよ』とか会話をしているんですよね。分かりましたって、カーブを狙ったら本当にカーブ。そういう体験がたくさん甲子園ではあるんです。東京ドームでもよく投げていますが、そういう第一感が降りてくる、感じ取れる場所は甲子園だけかも知れないですよね」

 −甲子園初出場から41年がたった。時の流れを感じることもあるか。

 「毎年、思いますよ。恐ろしいですよね。時代の流れと言いますか、そんな前に自分が出ていたのか、と。15歳の時ですから、もう41年前か。恐ろしいですよね」

 −全国各地で夏の大会が始まっている。高校球児に伝えたいことは。

 「負けたら終わりというね、本当に究極の戦いをしています。過酷な状況で戦っている高校球児のみなさんには、やはり団結力、チームが一つになって助け合う、協力し合うということが、勝利への一番の近道だと思います。攻撃でも守備でも、力を合わせるということを意識して戦ってもらいたい。そして大事なことは、ゲームセットまで、最後の最後まで諦めないということです。ぜひ、甲子園の土を踏めるように、頑張ってもらいたいなと思いますね」

 −桑田氏にとって甲子園はどんな場所か。

 「高校野球の聖地であり、例えると砥石(といし)なんですよね。自分を磨いてくれる。甲子園大会っていうのは厳しいですよ。でも、そこに向かっていろんなことをチャレンジして、自分も磨いていくというね。そういう意味では砥石でもあるんじゃないかなと思います」

 −多くの球児が甲子園球場を目指す。そういう場所が野球界にはある。

 「場所も大事です。ただ、僕自身は甲子園に出たから偉いとか、偉くないとかではなくて、甲子園を目指すこと、大きな目標に向かって努力をしたり、挑戦したことが非常に大事だと思います。甲子園に出られなかった先輩も、後輩も仲間たちもいますが、彼らもそこを目指した。甲子園という場所を目指した大事な仲間です。頑張った仲間だからこそ高校時代もそうですが、卒業した後、それぞれの人生でも頑張れる仲間でいたいなと思います。悩んだ時、苦しい時に甲子園を思い出すと頑張れる。それぞれの人生に対して、モチベーションが上がると言いますか、目標になる場所が甲子園球場じゃないかなと思いますね」