キョンは住宅地にも出没し、家庭菜園を食い荒らす=千葉県自然保護課提供

「ギャー」と悲鳴のような不気味な声で鳴き、農作物の食害などが問題になっているシカ科の特定外来生物「キョン」が、房総半島を北上している。繁殖力が強いために、駆除に取り組む自治体も拡大を止めきれない状況で、すでに利根川を越えた茨城県内でも見つかっている。地元の猟師らは駆除したキョンの有効活用方法を提案して、キョンの阻止を訴えている。

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「この地域には、キョンがいっぱいいる。人間より出合うんだから」

 太平洋に面した千葉県いすみ市。地元の石川雄揮さん(46)に連れられていった竹林で、体長70センチほどのキョンがうずくまっていた。脚には、くくりわなに使った細いワイヤが巻きついていた。

 キョンは日本のシカより小型で、中国東南部や台湾に生息する野生動物だ。本来は日本には生息していないが、勝浦市内にあったレジャー施設「行川(なめがわ)アイランド」(2001年に閉園)」で飼われていたものが逃げ出し、1960〜80年代に房総半島に定着したとされている。

 その後、生息域が拡大し、県は2000年に「県イノシシ・キョン管理対策基本方針」を策定。地元自治体が駆除に取り組んできたが、生息頭数や分布域の拡大は止まらなかった。県の推計によると、06年度は約1万頭だったが、22年度には約7万頭に。同年度の農作物被害は約3億円にのぼっている。

 生態系や農業被害の拡大を受け、環境省は05年にキョンを特定外来生物に指定している。
 

「くくりわな」で捕らえたキョン=千葉県いすみ市、米倉昭仁撮影

 シークヮーサーを栽培している農家の女性は、キョンの食害に悩まされていると訴える。

「キョンは毎日やってくる。みんなまるまる太っている。人の顔を見ても逃げないし、本当に憎たらしい」

 食害に苦しむ農家などの依頼を受けて、キョンの駆除と活用に取り組んでいるのが石川さんだ。生き物を殺す作業は精神的にもつらいが、

「それでも続けてきたのは、獣害に遭ってきたおじいちゃんやおばあちゃんが泣きながら『ありがとう』と言ってくれるからです。誰かがやらなければ、という使命感が僕を支えてきた」

 と話す。
 

千葉県いすみ市で、キョンの駆除と活用を進める石川雄揮さん=同市、米倉昭仁撮影

■「報奨金で儲かる」ことはない

 生息数を増やしているキョンの対策として、県内の自治体の多くが、キョンを捕殺した猟師に1頭あたり6千円の報奨金を支払っている。

「報奨金では、まったくもうからないですよ」

 と、石川さんは引きつった笑みを浮かべた。

 捕獲に使うくくりわな1個1万円弱。ねらったキョンではなく、力の強いイノシシがかかるとすぐに壊されてしまい、修理の手間や費用がかかる。

 さらにやっかいなのが、アライグマだ。体は小さいが獰猛で、わなにかかると徹底的に噛んで使い物にならなくしまう。しかも生息数がかなり多い。

「アライグマにわなを壊されると、気力が失せます」

 さらに毎日、設置したわなを見回らなければならないので、ガソリン代もばかにならない。

 有害鳥獣の駆除は、ボランティアに近いのが実態だという。
 

千葉県で大繁殖するキョン。約7万頭(2022年)いると推定されている=千葉県自然保護課提供

■命がただ「処分」されている

 石川さんはもともと報道番組制作会社のディレクタ―で、テレビ朝日の「サンデープロジェクト」や後発番組の「サンデーフロントライン」などにも携わっていた。

 14年に狩猟免許を取得し、翌年に東京からいすみ市に移り住んだ。現在は狩猟体験やグランピングなどを提供する合同会社「Hunt+(ハント・プラス)」を経営しながら、地域の獣害低減に取り組んできた。石川さんのもとには、千葉県の有害鳥獣の担当者も相談に訪れるという。
 

 石川さんは、捕殺したキョンの活用を訴えてきた。その一つがジビエだ。

 台湾でキョンの肉は高級食材として扱われているといい、赤みが主体の肉はとても上品な味だ。

 最近は駆除した有害鳥獣を食肉処理する施設も、ジビエを提供するレストランも増えてきた。しかし、一般的な食肉としての需要がなかなか伸びていかないと、石川さんは嘆く。

千葉県で捕獲したキョンのなめし革に染色を施して漆で模様を描いた「印伝」=千葉県いすみ市、米倉昭仁撮影

 さらに石川さんは、地元で捕れたキョンの革の利用を模索してきた。

 キョン革の繊維は非常に細かく、強度と柔軟性、汚れの吸着性を併せ持つ。そのため、宝飾品やメガネ、楽器などを拭く最高級品のセーム革や、弓道の「ゆがけ」と呼ばれる手袋の材料として利用されている。

 シカの革を使った関東、近畿地方の伝統工芸品「印伝」(いんでん)にも、キョン革が使われている。なめし革に染色を施して漆で模様を描き、革袋などが作られる。

 現在の印伝の製品は、ほぼすべてが中国から輸入されたキョン革が使われているが、石川さんは「房州印伝」の商標をとるなどして国産化を試みてきた。

「年間数十万頭ものキョンの革を中国から輸入していながら、国内で捕獲したキョンはほとんど利用することなく、その命の多くをただ処分しています。この状況を少しでも良くしたい」

 千葉県も今年度から、県の事業で捕獲したキョンの肉や加工品、革製品をふるさと納税の返礼品として用意するなど、活用に力を入れ始めた。
 

千葉県産のキョン革で作った財布=千葉県いすみ市、米倉昭仁撮影

■茨城県にも迫る

 房総半島内で、拡大を続けてきたキョン。

 千葉県は21年度に、半島中央部の東西に位置する一宮町と市原市を結んだ「分布拡大防止ライン」を設定。キョンの北上をはばむ「防衛ライン」として、この付近での捕獲を集中的に進めている。

 しかし、すでに県北部の成田市や柏市の周辺でも、キョンの目撃は相次いでいる。県自然保護課の市原岳人副課長は、

「ラインの北側に、キョンの生息域は広がっていないと認識しています」

と説明する。「防衛ライン」を越えて確認されているのはオスばかりで、メスは目撃されていないためだ。キョンは群れをつくらずに単独で行動することが多く、さらにオスはメスよりも行動範囲が広いと考えられている。
 

キョンを捕獲する「箱わな」を設置した石川雄揮さん=千葉県いすみ市、米倉昭仁撮影

 一方、さらに北側の茨城県では昨年12月、利根川を越えた下妻市でキョンの死がいが見つかった。22年に石岡市、23年にも筑西市でも確認されており、県内で4例目となる。すべてオスだという。

 茨城県環境政策課の飯村勝輝課長補佐は、

「対岸の火事どころではない状況です。かなりの危機感を持って対応を考えています」

 と話す。来月には有害鳥獣の捕獲対象にキョンを追加し、自治体で駆除ができるようにするという。
 

 房総半島で被害を増大させながら、生息域を拡大してきたキョン。

 今後、半島内の「防衛ライン」を突破し、さらに利根川も越えてしまえば、もうだれも止められない――。「脅威」が、静かに広がっている。

(AERA dot.編集部・米倉昭仁)