写真はイメージです(Getty Images)

 新しい生活が始まった4月のこの時期、各地の主要な駅で見られる光景がある。名刺交換だ。スーツ姿の若い男性や女性が「新人研修の一環で名刺交換をしています」と次々と声をかけていく。かわいそうだから名刺くらい、と交換すると、実は後で面倒なことになったり、後悔したりするようなことにもつながりかねないという。当事者たちに話を聞いた。

 高層ビルが並び建つ東京駅の日本橋口。平日の夕方は、日が沈むにつれて帰宅ラッシュが激しくなる。駅近辺の会社に勤務する40代の男性は午後7時ごろ、ここで若い男性に名刺交換をお願いされたという。

「帰り道にいきなりスーツ姿の男性に『いま時間ありますか?』と話しかけられて、『新人研修の一環で名刺交換をしてください』と頼まれました。面識もないし、不審に思ったので名刺交換はしませんでしたが……」

■ひっきりなしに名刺交換を求める男性

 40代の別の男性は、

「時間がないと(声がけを)振り払った。明らかに怪しかったので相手にしなかった」

 と打ち明けた。

 声をかけてきたという男性を記者が確認し、1時間ほど見ていると、男性はひっきりなしに声をかけて名刺交換をお願いしていた。彼らは何者だろうと、直接直接、本人に話を聞きに行くと……。

「新卒2年目で、渋谷にある不動産会社に営業職として勤めています。たまたま東京駅付近で商談があったので、帰りに名刺交換してお客様を増やしたいなと思って、話しかけています」

 年齢を聞くと20代だと言う。会社の新人研修などではない、という男性だが、やはり誰からかの指示で駅で名刺交換をしているんじゃないかとの疑念が拭えず、再度聞くと、

「あくまで、私が勝手にやっているだけです」

 との返答。さらに、

「ウチ(の企業)は広告費にお金をかけていないことから、名刺交換を駅前でするんです。目立ちますし、飛び込み営業みたいな感覚ですね」

 と語った。

 ただ、配っている場所が駅構内でもある。この場所で営業行為を行うことは問題ないのだろうか。

東京駅の日本橋口。不動産関連企業の男性はこの中の構内で名刺交換のお願いをしていた

 JR東日本に問い合わせると、「認めていません」とのこと。

 では、20代の男性は許可を取っているのだろうか。男性に再度尋ねると、

「取っていません。知らなかったです」

 男性は、渋谷に本社を構える不動産関連の企業に勤務する会社員であり、主に首都圏にある単身者向けのマンション売買を行っているという。

 その男性に話を聞き終えて、筆者がその場から離れると、同僚と思われる男女2人が駆け寄って、その男性と話をしていた。

 こうした“名刺交換”は首都圏以外の地方都市でも同様の事例があるという。

 たとえばJR仙台駅でも、駅の利用者からJR関係者に、

「駅構内で若い男女に名刺交換を持ちかけられた」「構内で研修みたいなことをやっていいのか」「改札を出たらやってきて、断ってもしつこく言ってきた」「JRのキャンペーンかと思った」

 といった問い合わせや苦情が一定数、寄せられているという。

 なぜそこまで名刺交換をするのか。

 東京都の主要駅で名刺交換をしていた経験があるという不動産営業職の男性は、自身の会社の内情について、

「名刺交換が上司の指示の場合もある。課長クラスになるまでは、駅前での名刺交換をし続けなければいけないケースもある」

 と打ち明けた。そして、

「駅構内でやってはいけないと知っていますけど、仕方ないです。ノルマが厳しいので」

 と続けた。

■「かわいそうと思って……」

 この男性によると、名刺交換をする際は1人のときもあれば、2〜3人でするときもあるといい、上司が少し離れたところから見ていて、たまに指導を受けることもあるという。

 駅の構外で名刺を配るだけならまだ問題はないのかもしれないが、その後にトラブルにつながっているケースもあるようだ。

 国民生活センターに取材すると、そうした名刺交換を受けて、「迷惑」との声が多く届いていた。一部を紹介すると、都内に住む40代の男性は昨年2月、都心部の繁華街で若い男性から、

「私は新人です。どなたか名刺交換をしてください」

 と言われ、かわいそうと思って名刺交換した。

 ところが、それ以降、

「投資用マンションを買わないか」

 と営業の電話が相次いだという。

 また、名刺交換をもちかける企業について、インターネット上にはこのような口コミが寄せられている。

「『新人研修の一環です。名刺交換をしてください』と言われて交換をしたら、2〜3日後に勤務先から電話があった。電話番号を着信拒否しても別の番号でしつこく連絡してきます」

 駅で名刺交換している人すべてがそのようなケースに当てはまるわけではないのだろうが、同じような経験がある人は多くいる。

■これからの時期に最も多くなる

 一部では迷惑行為と受け取られている駅での名刺交換。不動産の業界紙の記者は、

「名刺交換は毎年恒例のようなもの。最も多くなるのは4〜5月。これからがピークです」

 と語る。

 大手の不動産会社で営業職の30代男性は、名刺配りについてこう語る。

「彼らは年収550万円以上をターゲットにしています。銀行がその年収以上でないと、住宅ローンを組みたがらないからなんです。だから東京駅近辺で帰宅途中の会社員や、繁華街で高そうなスーツを着ている人に絞って声をかけているのです。彼らも営業ノルマがある世界なので、結果を出していない人は、特に街中で“飛び込み営業”ならぬ名刺交換をして、その後に営業電話をするわけです」

 東京駅周辺には名だたる大企業が本社を置いており、関連会社も多い。必然的に高収入の会社員と名刺交換できる確率も高くなる。

 前出の国民生活センターの担当者によると、名刺交換をする相手は40〜50代が最も多く、経済力がありそうで、善意で受けとってくれそうな人が狙われるのだという。

 国民生活センターにも、名刺交換後に不動産投資の営業電話が相次いで困るといった声が届いているという。

 鉄道各社でも警鐘を鳴らす。東京メトロの広報担当者は、

「お客様よりご意見などをいただいた際に随時アナウンスを行っております」

 と話した。

■構内で発見したときは駅員に

 JR東日本の広報担当者は、

「鉄道営業法により、許可無しに駅構内で営業行為をすることは禁止されています。不動産投資の営業を目的とした名刺交換であれば、認められません。お客さまのご指摘や当社社員の巡回により発見した場合は、速やかにそうした行為をやめるよう指導しております。なお、常時社員が監視・巡回できないケースがあるため、そのような行為を発見した際は、駅員らにお申し付けください」

 と話した。

 本来の投資の営業を明らかにせず、新人研修とうたって名刺交換し、個人名や電話番号、会社名などを得ることは違法にはならないのだろうか。

 個人情報保護委員会の担当者は、

「彼らは個人情報取扱事業者ではないため、個人情報保護法の対象にはならず、違法とは言えません」

 と説明する。

 前出の国民生活センターの担当者は、

「名刺は、氏名や電話番号、連絡先など個人情報の塊とも言えます。なので、むやみに渡してはいけません。新人研修などでかわいそうと思っても、本当に渡していいのかどうかを善意だけで判断しないでください」

 と注意を促している。

(AERA dot.編集部・板垣聡旨、小山歩)