10年ぶりに日本の音楽シーンに戻ってきたアンジェラ・アキさん

 “ハーフは売れない”“28歳のデビューは遅すぎる”。長い下積みを経験し、デビュー後もがむしゃらに頑張って『手紙』という大ヒット曲を生み出したアンジェラ・アキは、なぜ無期限の活動休止を決意したのか――。その理由は、“夢”だった。10年ぶりに日本の音楽シーンに戻ってきたアンジェラ・アキさんのロングインタビューを届ける。

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 約10年ぶりに日本での活動を再開したシンガー・ソングライターのアンジェラ・アキさん。

 日本人の父親とイタリア系アメリカ人の母親を持つ彼女は、2005年、28歳の誕生日の前日にシングル「HOME」でメジャーデビュー。翌年、日本武道館史上初となるピアノ弾き語りによる単独公演を行い、NHK紅白歌合戦に出場するなど、大きな成功を収めた。その後も「サクラ色」「手紙〜拝啓 十五の君へ〜」などのヒット曲を生み出すなど順調な活動を続けていたが、2014年に無期限活動停止を宣言。ミュージカル音楽を学ぶために渡米した。

「90年代に初めてニューヨークに行ったときに観たミュージカルがすごく印象に残っていて。ハワイで高校時代を過ごしたときにちょっとだけミュージカルに出演したこともあって、『ミュージカル音楽を作ってみたい』という夢はずっとあったんです。2000年以降のアメリカでは、ポップスとミュージカルの溝がなくなって、ミュージカル俳優のアルバムがビルボードで1位を取ることも。『私もそういう存在になりたい』という気持ちが、年を重ねるごとに強くなりました」

 日本の音楽シーンで輝かしい功績を残してきたアンジェラさん。シンガー・ソングライターとしてのキャリアを中断し、リスキリングのために渡米するためには大きな決断が必要だったはず。しかし本人は「ミュージカルの作曲家を目指すためには絶対に必要だった」と語る。

「ブロードウェイのミュージカルに関わる作曲家のほとんどは専門的な音楽教育を受けているし、私のようなシンガー・ソングライターが出る幕はない。大学での勉強はミュージカル作家になるためというより、キャリアのスタート地点に立つための最低条件。日本で活動を続けながら勉強するのは無理だと思いましたし、もし日本の大学に入ったら“なんでアンジェラ・アキがここにいるの?”と先生もやりづらいじゃないですか(笑)。誰も自分のことを知らない、まったく優遇されない状況で自分を試したいという気持ちもありました」

日本での活動休止後は渡米し、南カリフォルニア大学とバークリー音楽院で音楽を学んでいたアンジェラ・アキさん

■LAでは100%学生の生活

 名門・南カリフォルニア大学に入学した理由は、アラニス・モリセットのプロデューサーとして知られるグレン・バラードの勧めだったとか。家族でLAに移住し、子育てをしながら「100%学生」の生活を送ったという。

「子どもが小さかったので、デイサービスを利用して、大学に通って。授業が終わったら子どもをピックアップして、家に帰ったらまた勉強という生活でしたね。大変だったけど、大人になってから勉強し直すのはすごく意味のあることだと思いました。自分自身が興味を持っていることを学ぶわけだから、苦でもなんでもないんですよ。ただ学費がすごく高かったので、少しでも元を取ろうと思って(笑)、クラスの最前列で質問しまくってました」

 2年間のカリキュラムを終えたあとは、バークリー音楽院のオンライン講座を受講。音楽の勉強を継続しながら、少しずつミュージカルに関わる仕事をスタートさせた。特筆すべきはディズニーの短編ミュージカル作品「アウト・オブ・シャドウランド」。ミュージカル「ファン・ホーム」でトニー賞を受賞した作曲家ジェニーン・テソーリの楽曲に作詞家として参加したのだ。

「ジェニーンは現代のブロードウェイ・ミュージカル界のなかでも3本の指に入る作曲家。この業界で『ジェニーンと仕事をした』と言えば誰もが驚くし、『自分が進んできた方向は間違ってなかった』と思える奇跡のような出来事でした。ジェニーンとは今も関係が続いていて、新作のオープニングパーティに招待してくれることもあって。ブロードウェイのミュージカルがどのように成り立っているかを間近で見ることができたのもすごく良い経験となりました。日本に比べたら、ミュージカルの世界で仕事をしている女性の数も多いんですよ。もちろん女性の立場を勝ち取ってきたムーブメントの成果だし、それは今も続いていますね」

約12年ぶりとなるアルバム「アンジェラ・アキsings 『この世界の⽚隅に』」

■「この世界の片隅に」で日本での活動を再開

 そして昨年、2024年5月から日本各地で上演されるミュージカル作品「この世界の片隅に」(原作マンガ:こうの史代)の音楽を担当することを発表。10年ぶりに日本での活動を再開させた。太平洋戦争末期の呉を舞台に、大きな時代の流れに巻き込まれながら、必死で日常を生きる人々を描いた「この世界の片隅に」は、2016年にアニメ映画化され大ヒットを記録した。

「もともと原作の漫画が大好きで、映画も観ていて。この作品をミュージカルにするのなら、ぜひ参加したいと思いました。私は昭和生まれの昭和育ちで、自然が豊かな徳島の出身。『この世界の片隅に』で描かれている風景や状況も、自分の琴線に触れるんですよね。背景には太平洋戦争があるし、単なる人情話とはまったく違うんですけど、作品の世界に共感できたことはすごく大きかったです」

 ミュージカル「この世界の片隅に」のために約2年間で30曲近い楽曲を制作したというアンジェラさん。アメリカで発展したミュージカル音楽への深い理解、そして、日本の原風景に対する共感。アメリカと日本という二つのルーツを持つ彼女がこの作品に関わったのは必然だったと言えるだろう。

「アメリカのスタッフと仕事をしていても、“不思議なバックグランドですね”とよく言われます。英語が話せるから普通に溶け込んでいるんですけど、中身は日本人、徳島人だから、仕草や言葉遣いがアメリカの人たちとちょっと違うんですよね。それが自分の強みになればいいなと思っています。たとえば、“ピクサーが日本を題材にした映画を作る”ということになったとして、“だったら音楽はアンジェラだよね”と結びつくような音楽家になりたいんですよね」

 ミュージカルの開幕に先がけ、4月にアルバム「アンジェラ・アキsings『この世界の片隅に』」を発表。彼女のボーカルアルバムは、じつに12年ぶりとなる。

「ここ数年、シンガー・ソングライターがミュージカル音楽を担当して、その曲を自分でも歌うことが増えているんです。『この世界の片隅に』の音楽を作らせてもらって、すごくいいものが出来たという自信もあるし、舞台を見る前後に聴いてもらえるアルバムを作りたいなと思ったんですよね。ただこの10数年、歌のトレーニングはほとんどやっていないんですよ。デモ音源のために歌うことはあっても、人前で歌ったり、レコーディングもやってなくて。でも、いざ歌ってみたら10年経っている感じはしなかったし、すごく楽しかったですね」

 前述した通り、シンガー・ソングライターとしてのキャリアを中断し、ミュージカル音楽家になる勉強のために渡米したアンジェラさん。それは彼女自身が思い描く音楽人生を送るために必要な行動だったのだが、この10数年の時間は彼女の価値観や人生観にも大きな影響を与えた。その変化は歌の表現にも表れているようだ。

「私はデビュー前の下積みが10年あって、メジャーデビュー後もがむしゃらに歌い続けていたんです。“こうあるべき”と自分で設定した目標に向かって走り続けて、それを達成するために曲を作って、ライブをやって……。“ハーフは売れない”“28歳のデビューは遅すぎる”みたいなことも言われたし、“そんなことはない”と必死にもがいていたんです。でも、今の私にはもう何かを証明する必要がなくて。肩の力も抜けているし、“この瞬間を楽しもう”と思えるようになったんですよね」

 歌うことを楽しめるようになったというアンジェラさん。YouTubeチャンネル「THE FIRST TAKE」で代表曲「手紙〜拝啓 十五の君へ〜」を歌唱したときも、自らの変化を実感したという。

「カメラの前で歌うなんて本当に久しぶりだったし、紅白のときよりも緊張したけど、そのなかでも楽しめている自分がいて。動画を見てくれた人から“歌い方が変わったよね”と言われるんですけど、もしそうだとしたら、歌うことを楽しめるようになったことが大きいんじゃないかな。『手紙』が今もたくさんの人に聴いてもらえていることを実感できたのも嬉しかったです」

「手紙〜拝啓 十五の君へ〜」は、“拝啓 この手紙読んでいるあなたは どこで何をしているのだろう”という歌詞ではじまる。1番が“15歳の自分から大人の自分に宛てた手紙”、2番は“大人になった自分が15歳のあなたに宛てた手紙”という形式で構成されたこの曲は、今も多くの人々の心の拠り所になっている。

「THE FIRST TAKEで『手紙〜』を披露した後、たくさんの人がコメントを書いてくれて。『10代のときは本当につらくて、生きてるだけで精一杯だったけど、今は子供が二人いて笑顔で過ごしています。あの頃の自分に“大人になったら、生きててよかったと思えるよ”と言ってあげたい』みたいなコメントがすごく多かったんですよ。それを読んでいるときに『私もそうだ』と思ったんですよね。メジャーデビューしたばかりの自分、『手紙〜』を書いたときの自分に『よくがんばったね』って言ってあげたいし、抱きしめてあげたいなって」

 アルバム「アンジェラ・アキsings『この世界の片隅に』」に収録された「この世界のあちこちに」は、主人公のすずをはじめ、自分の居場所を探し続ける登場人物たちの心情に寄り添って書かれた曲だという。あくまでの作品のために制作された楽曲だが、〈どんな場所もどんな人も居場所があるんだ〉という一節は、彼女自身の軌跡とも重なって聴こえる。

「40代になっても居場所を探している自分がいますからね。たぶん、それはずっと続くんじゃないかな。有名な音楽番組に出る、ランキングで上位に入ることで自分を証明しようとしてたところがあったけど、それよりも人とのつながり、会話のなかに生まれる温かさ、そのなかで自分がどういうふうに成長できるかが大切。そのなかで作品を作っていきたいなと今は思っています」

(取材・文/森朋之)