客の「ツケ」を記録した白い紙

 長年にわたる米国による経済制裁はイランの人々の生活にどれほどの影響を与えているのか?2020年4月から2023年1月まで朝日新聞テヘラン支局長を務めた飯島健太氏は、著書『「悪の枢軸」イランの正体』のなかで、経済制裁による生 活苦の実態について言及している。貧窮にあえぐイラン国民のリアルな声を『「悪の枢軸」イランの正体』から一部を抜粋して解説する。

■おびただしい数の白い紙

 米国による経済制裁がイランにどのような影響を及ぼしているかという問題は、私が在任中、継続して取り組んだ取材テーマである。2020年11月、首都テヘラン北部の住宅街にある青果店を訪れた。どこの街角にもあるふつうの店だ。

 店主の男性(38)は暗い顔をしていた。

「1日あたり300人は来ていたお客さんはいまや半分、いや、100人も来ない日があるかもしれないなあ」

 値段はこの1年の間に2〜4倍以上になったという。店主に値上げの構図を聞いた。

 農家が畑で使う肥料の価格、野菜や果物を収穫したあとに詰めるプラスチック製のパックの代金、畑から市場へ、市場から店頭へ運ぶ運送費といったあらゆるコストが上がっている。しかも、肥料やパックは輸入に頼っていることが多いという。

 そもそも経済制裁の影響によって全体の輸入量そのものが減り、モノが不足している。それに伴って幅広い商品やサービスといった価格を全体的に押し上げているのだ。さらに、対米ドルの為替レート(実勢)の暴落が追い打ちをかける。私が在任中に1ドルは15万リアル程度が40万リアルまで下がった。

 レジの真横にある陳列棚を囲う金属板には、20〜30枚の白い紙がゴム製のクリップで留められていた。紙はレジで打ち出したレシートで、客の「ツケ」の金額が記録されていた。常連客のなかには給料が大きく減ったり、支給が止まったりするケースが増えているという。

 家計の負担が重くなる一方なのは私も実感していた。自宅から徒歩5分の所にスーパー「デイ・マート」がある。日常で必要なものは何でもそろう便利な店だ。ナンと呼ばれる平たいパンを私は朝食用に買っていた。しかし、これも現地で生活している間に3倍に値上がりした。また、鶏肉や牛肉、卵、牛乳やバター、ヨーグルト、チーズといった食卓に欠かせないものも例外なく値段が上がった。

 果汁100%のジュースやコーヒー豆、ピスタチオ、ドライフルーツといった品はもはや「贅沢品」になり、買い控えるようになっていった。

■奪われる生活の楽しみ

 地元の人たちの物価の高騰に対する怒りや不満が相当に高まってきていると感じたのは、貧困層が多く暮らすテヘラン南部の住宅街を訪れた時だ。細長い道路が伸びる路地裏の一角にある工房から、焼きたてのパンの香りが漂ってきた。ラバーシュと呼ばれる薄い生地のパンで、イランでは食卓やホテルの朝食によく出る。

パン工房

 しかし、こうした日常の食べ物も例外なく値段が上がっている。原料である小麦そのものの価格が急騰しているのだ。ロシアがウクライナに侵略をはじめたあとに小麦の供給量が世界的に減ったことも影響しているとみられる。イラン政府はこれまで、小麦の輸入業者やパン製造業者に補助金を割り当てていたが、2022年4月下旬にいきなり打ち切ると発表した。    

 政府は理由について、補助金によって割安になった小麦が密輸出され、不当な利益を得ている業者がいるためだと説明したが、実際は制裁の影響による財政難が原因だと多くの国民は見抜いていた。補助金が削られると、パンやパスタの店頭価格は一気に3倍へ跳ね上がった。

 パン工房から歩道に出てきた主婦サウアズ・ヘイリ(28)は、8歳の長男と5歳の長女を連れていた。

「節約してどうにかやりくりしています。状況がこれ以上悪くなれば、生活は必ず行き詰まります。子どもたちの将来が心配です」

 食費を確保するため、外食や家族旅行といった楽しみを我慢し、子ども服の買い替えを控えているという。生活の楽しみを奪われ、子どもの未来も安心できない様子だった。

■欠品だらけの医薬品

 我慢や節約で済まない状況があると思い知らされたのは、私の家族が病気になった時である。新型コロナウイルスの流行がやや落ち着いた2022年3月27日、私は妻と7歳になる長女、1歳7カ月を過ぎた長男をテヘランに呼び寄せた。

 ところが、長男は地元の保育園へ通園をはじめてから3日目の夜に発熱し、39.5度まで上がった。翌日以降、長男は空腹を訴えている割におかゆやスープを作ってもほとんど口にせず、下痢もするようになった。私と妻の心配は限界を超えた。発熱から4日目の朝、総合病院のデイ・ホスピタルに連れて行った。薄暗い廊下の壁に沿って置かれた長いすでは、高齢者のほか、保護者に抱かれた赤ちゃんがずらりと待っている。

デイ・ホスピタル

 ようやく案内された診療室で問診を受けるも、英語でうまくやり取りできず、長男の様子は医師に正しく伝わらなかった。触診では、ベッドに横にさせた長男の腹部を数秒なでた程度だった。医師は「一般的な風邪ですね」と診断し、計3種類の解熱剤と整腸剤を処方すると説明した。机の上にあったメモ用紙を手に取り、ボールペンで薬の種類を書いてスタンプを押す。「こんな簡単なメモが処方箋か」とげんなりしつつ、その紙切れを院内の薬局に出した。

 落ち込んでいた気分は絶望感に変わる。シロップの整腸剤は在庫がなかったのだ。病院の外に出て別の薬局を探す。目に付いた店舗に入ってみるが、どこも在庫を置いていない。ようやく4軒目で処方薬を見つけられた。

 後日、改めて薬局を取材で訪れると、販売員のカーベ・エスラムドスト(27)が言った。

「薬不足は常態化し、在庫が切れてもすぐに補充できません。やはり制裁の影響が大きいです」

 本来、医薬品は人道上の観点から制裁の対象外ではある。ただ、外国の製薬会社は制裁を科されるリスクを極力避けようとするため、イランと取引するのを控える傾向が強いようだ。一方、国産の薬はあるものの、原材料の多くを輸入に頼っている。制裁のあおりを受けて国内の製薬会社も手元資金が少ないうえ、為替レートで通貨リアルの暴落もあり、原材料の入手が滞っていると聞いた。

 病院を受診してから2〜3日が経ち、長男の体調は戻ったが、そのあとも、長男をはじめ、長女もたびたび、咳や下痢、発熱、体の発疹に悩まされることになった。

 処方箋を出された時はそのたびに、薬局を2〜3軒まわってどうにか薬を手にできた。在庫がなく、処方薬とは異なる別の薬を渡されたこともあり、薬を得られないかもしれない不安や恐怖は常に消えなかった。