ドラフトで史上最多となる8球団から指名を受けた野茂英雄

 半世紀以上にわたるドラフトの歴史の中で、これまで最も多くの球団が1位指名で競合したのは、1989年の野茂英雄(新日鉄堺)と翌90年の小池秀郎(亜大)の8球団。抽選の結果、野茂は近鉄、小池はロッテが交渉権を獲得したのはご存じのとおり。それでは、抽選に敗れた7球団は、外れ1位で誰を指名したか?野茂と小池の代わりに指名された14人を振り返ってみよう。
 

 まず89年のドラフトで野茂を外したのは、ロッテ、大洋、日本ハム、阪神、ダイエー、ヤクルト、オリックスの7球団。このうち、野茂とともに名球会入りをはたしたのが、大洋の外れ1位・佐々木主浩(東北福祉大)だ。

 高校時代から腰痛に悩まされていた佐々木は、「プロの練習についていけない」と社会人入りを表明。将来はアマチュア野球の指導者を希望し、両親もプロ入りに反対していたが、担当スカウトに熱心に説得されると、「よし、やるとこまでやってやれ」と腹を括って入団した。

 1年目は先発中心の起用も、2年目に故障離脱の遠藤一彦の代役で抑えに回ると、“ハマの大魔神”の呼称が定着した95年から4年連続最優秀救援投手に輝き、98年にはチームの38年ぶり日本一に貢献した。

 もし、プロ入りを拒否していたら……。もし、大洋が野茂の抽選を外さなかったら……。結果的に最良と思われる野球人生を歩んだ佐々木を見るにつけ、運命的なものを感じさせられる。

 野茂は獲れなかったが、結果的に大成功のドラフトとなったのが、ヤクルトだ。外れ1位・西村龍次(ヤマハ)は、社会人屈指の即戦力右腕で、ヤクルトとは相思相愛。1年目から4年連続二桁勝利で、2位・古田敦也(トヨタ自動車)とともに野村ヤクルト黄金期の大きな戦力になった。

 一方、ロッテ・小宮山悟(早大)は、ドラフト前に「プロならどこでもOK」と表明。「外れ1位といっても、12人の中の1人ですからね」と最高評価を喜んだ。当時は「何も1位でなくとも」の声も出たが、1年目から抜群の制球力と打者の読みを外すクレバーな投球で即戦力となり、44歳まで現役を続けた。

「在京球団」の希望が叶った日本ハム・酒井光次郎(近大)も、1年目に先発で10勝。新人王は野茂に譲ったものの、特別表彰を受けた。93、94年には中継ぎとして40試合以上に登板し、通算23勝1セーブを記録した。

 高校時代は前出の佐々木の控えだった阪神・葛西稔(法大)は、2年目に8勝。その後、リリーフに転向し、野村克也監督時代には、左サイドの遠山奨志との変則的なワンポイント継投“遠山・葛西スペシャル”で名を馳せた。

 異色の外れ1位は、オリックス・佐藤和弘(熊谷組)。「まさか指名されるとは思わなかった」と驚きの表情を浮かべながらも、「自分の心は(プロ入り)ひとつです!」の名セリフで一躍人気者に。

 在籍5年間で通算149試合、打率.273、3本塁打、26打点とそれほど活躍できなかったものの、94年に仰木彬監督の勧めでイチロー(鈴木一朗)とともに愛称のパンチを登録名にしたことでも知られている。

 野茂だけではなく、外れ1位も意のままにならなかったのがダイエーだ。巨人入りを熱望しながら、大森剛(慶大)に1位を譲る形になった元木大介(上宮)を強行指名。かつて巨人入りを夢見ながら、意中ではない阪神に入団した過去を持つ田淵幸一監督が「本当に野球を愛しているのなら、絶対来るべきだ」と熱く口説いたが、元木は入団を拒否し、一浪の道を選んだ。

 次は90年のドラフトを見てみよう。小池を外したのは、阪神、ヤクルト、中日、日本ハム、近鉄、広島、西武の7球団。

 前年の西村同様、外れ1位で成功を収めたのがヤクルトだ。岡林洋一(専大)は、1年目は12勝12セーブ。92年にはキャリアハイの15勝を挙げて、チームの14年ぶりVに貢献し、西武との日本シリーズでも3完投と奮闘した。

 阪神も「即戦力という点で小池と同等の評価」(中村勝広監督)の湯舟敏郎(本田技研鈴鹿)を指名。92、93年に連続二桁勝利を記録するなど、低迷期のチームを支えた。

 中日・小島弘務(元住友金属)は、前年ドラフト外で西武と契約しながら、野球協約違反で契約無効となり、1年間、孤独のトレーニングを続けてきた。「一浪の結果がこうなって、うれしい」と新人王を目標に掲げ、1年目に6勝を挙げた。

 小池を外したら達川光男の後継捕手と決めていた広島は、瀬戸輝信(法大)、日本ハムもターゲットを即戦力野手に切り替え、住吉義則(プリンスホテル)を指名。また、西武は中央では無名の長見賢司(伊丹西)、近鉄は甲子園で活躍した寺前正雄(北陽)といずれも高校生右腕を外れ1位で指名したが、主に第2の捕手として14年間プレーした瀬戸以外は、活躍できずに終わっている。

 前年に比べて外れ1位の成功組が少ないのは、89年は単独1位指名も広島・佐々岡真司(NTT中国)、西武・潮崎哲也(松下電器)、中日・与田剛(NTT東京)と逸材揃いで、のちに“黄金ドラフト”と呼ばれたのに対し、90年は小池が唯一の目玉と言ってもよいほどの不作年だったことも影響したようだ。

 その小池も「一番行きたくない球団」ロッテを拒否し、2年後、相思相愛の近鉄に単独1位指名で入団している。(文・久保田龍雄)