天皇皇后両陛下は、英国ご訪問の最終日となる28日、ともに留学生活を送った思い出の地、オックスフォードを散策される。30年以上の時を経て訪れる母校や街の景色に、お二人は何を思われるのだろうか。同大で脳科学の研究員として20年以上勤務する楠(くすのき)真琴さん(65)に、オックスフォードの「今」と両陛下と大学に関する“秘話”を聞いた。
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オックスフォード大学は今、卒業式とオープンキャンパスの季節を迎えている。楠さんによると、式を終えた学生たちが公園で大騒ぎしたり、天皇陛下が留学していたマートン・カレッジにも受験生がひっきりなしに出入りしたりと、街は若者であふれ、「自転車で走るのも大変なくらい」のにぎわいを見せているという。
留学時代を過ごしたのは、天皇陛下が1983年〜85年、皇后雅子さまが88年〜90年だ。大学や街並みはどう変わったのだろうか。天皇陛下の著書である留学記『テムズとともに――英国の二年間』(紀伊國屋書店)を参考に、楠さんにひもといてもらった。(【】内は著書からの引用)。
【私が初めてオックスフォードで自転車に乗った日、これを見たある学生が、私に「ああ、君もこれで本当のオックスフォードの学生になったね」と言ったが、それほどに学生と自転車は切りはなせないものとなっている】
【中世のたたずまいを今に残すオックスフォードの町並みを、ガウンに蝶ネクタイの姿で歩くのもなんとはなしにオックスフォード的でよい】
オックスフォードは今も昔も、自転車があれば十分回れるほどの小さな町。学生たちは買い物をする時も映画館やパブに出かける時も、相変わらず自転車を乗り回しているという。
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とはいえ、「ここ10年くらいでオックスフォードも変わってきた」と、楠さん。古い建物を改修しつつ守り継ごうとする人がいる一方で、「ちょっと周りと合わないモダンで芸術作品みたいな建物」が建ったり、大きなショッピングモールができたり。郊外の放牧地や森は開発が進み、数百軒単位で各地に新しい住宅が作られている。街中では車と自転車がぶつかる事故も増えているそうだ。
楠さんは、「経済的に大きくなりつつあるオックスフォードを見て、陛下も驚かれるかもしれませんね」と推察する。
■両陛下が通われた中華料理店は今…
【一九八五年の三月には弟の秋篠宮がオックスフォードを訪ねてくれたので、〜中略〜夜は私が時々行く中華料理店に案内した。弟は大学で覚えた中国語で店員と上手に会話をしていた】
今回の両陛下英国訪問に際し、お二人が何度か訪れたという中華料理店の店主がメディアのインタビューに応じている。報道では、天皇陛下がマーボー豆腐とライスのセットをお好みだったことや、雅子さまが友人と北京ダックを召し上がっていたことが明かされていた。
当時は「Opium den」という学生にも人気の本格中華の店を営んでいたが、コロナ禍を機に閉店。店主はその後一念発起し、今は小さなヌードルショップ「TSE NOODLE」を営んでいる。楠さんも時折ランチを食べに訪れるといい、「中国人も好んで通う本場の味」は今も健在のようだ。
学生たちのキャンパスライフには変化はあるのだろうか。
【(寮の)ベッドの上の窓枠の隙間から入り込む風は異常に冷たかった】
【自分用の風呂があることには感謝すべきであるが、浴槽に約半分ほど給湯すると湯が出なくなってしまい、およそ温まるという状況には程遠い有様である】
【私はここ(大学の食堂)で出されるゆで過ぎとも思われる芽キャベツが大好きで、いつも多く取っていたが、ある時そばにいたイギリス人の友人から何でこんな物がそんなにおいしいのかと聞かれたことがあった】
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「寮は築数百年の建物なので、みんな『暖房が入らない』とかしょっちゅう文句を言ってますよ(笑)。陛下がお好きだったという芽キャベツは、少し苦みと辛みがあって、クリスマス料理の付け合わせのイメージですね」と、楠さん。イギリス人は野菜をとろっとやわらかくして食べるのが好きで、日本人には相変わらず「ゆで過ぎな感じはある」そうだ。
■テニスの代表選手に選ばれた陛下
陛下は『テムズとともに』の中で、余暇としてスポーツに打ち込んだ経験もつづっている。
【ボートの練習は、男女混合のクルーの一員としてコレッジの艇庫からボートを出すことから始まった。私の後ろの女子学生が船を持つ位置や運び方をていねいに教えてくれた。それにしても女性も実にたくましい。きゃしゃな体格でも力は相当ありそうだ】
【テニスの後に、冷えているとはいいがたいビールで喉を潤すのも、これまた気持ちのよいものである】
ボート、ジョギング、登山、スキーなどさまざまなスポーツに挑戦する中、とりわけ熱中されていたのがテニスだ。マートン・カレッジの代表選手に選ばれてカレッジ同士の対抗戦に臨んだこと、体格的なハンディを感じつつも必死で球を打ち返すうちに逆転したこと、試合後は主将がいつも“Well done, Hiro.”と声をかけてくれたことなど、事細かに記されている。
楠さんによると、今もオックスフォードの学生たちは大半がスポーツのサークルに入り、上手に息抜きをしているという。また、大学を出ると大きな公園が広がっていて、郊外には数百年前の姿のままとも言われる美しい田園地帯「コッツウォルズ」が広がる。
そんな豊かな生活が保障された環境で、陛下は心置きなく研究に没頭された。
【(オックスフォード暮らしにおいて)最も大きなウエートを占めていたのはもちろん研究生活である。〜中略〜研究という一つの柱を通して私は数々の貴重な経験ができ、様々な人と出会え、研究者であればこそ味わえる感動を覚えたことも確かである】
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オックスフォードの学生たちは、生活がほぼキャンパス内で完結するほど、研究漬けの日々を送る。学問を志す仲間たちと、寮や食堂や図書館で四六時中顔を合わせることで、カレッジ内の人間関係は濃密なものになるという。
楠さんは、両陛下の留学先として見た時のオックスフォードの利点について、同じ英国の名門大学であるケンブリッジ大と比べても、政治関係者との人脈を築きやすいことを挙げる。卒業生には、マーガレット・サッチャー氏やデーヴィッド・キャメロン氏など英国歴代首相のほか、ミャンマーの民主化指導者アウン・サン・スーチー氏、オーストラリア元首相のマルコム・ターンブル氏など、各国の政界の重鎮が名を連ねる。
「雅子さまが外交官時代に留学されたように、今もさまざまな国の中央省庁から留学生が派遣されています。世界中から優秀な人を集める強力な力を持ち、学びを深めることに特化した、歴史と伝統のある大学です」(楠さん)
■「このまま時間が止まってくれたら」
著名人や王族など世界のVIPたちを輩出するオックスフォードだが、両陛下とは特に強い結びつきを感じさせるエピソードがある。楠さんによると、2001年の愛子さま誕生の際、大学職員のメーリングリストに“Congratulations!”と祝意を伝えるメールが流れたのだ。メーリングリストは学内の連絡事項を共有するためのもので、卒業生に関するニュースが流れたことは後にも先にもなく、印象的だったという。
研究、余暇、そして仲間との親交。2年間にわたる充実のキャンパスライフは、85年10月、幕を閉じる。帰国間際の心境について、陛下はこう振り返る。
【再びオックスフォードを訪れる時は、今のように自由な一学生としてこの町を見て回ることはできないであろう。おそらく町そのものは今後も変わらないが、変わるのは自分の立場であろうなどと考えると、妙な焦燥感におそわれ、いっそこのまま時間が止まってくれたらなどと考えてしまう】
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天皇陛下という立場になった今、再びオックスフォードの地を踏む心中について、陛下と同年代の楠さんはこう察する。
「この歳になると、大学院で得た学びや友人はとても大事なものだったと思うし、陛下も青春時代を懐かしんでいらっしゃるのではないでしょうか。社会に出ると、仕事上の付き合いや利害が発生する人間関係が増えますが、天皇というお立場であればなおのこと。オックスフォードで過ごした日々は、気の置けない友人と自由に過ごす、最初で最後のかけがえのないものだったことでしょう」
念願の再訪で両陛下に許された時間は、わずか1日。時計の針を巻き戻し、当時の思い出に浸る穏やかなひとときとなることを、願ってやまない。
(AERA dot.編集部・大谷百合絵)