落馬事故で意識不明だった中央競馬(JRA)の藤岡康太騎手(享年35)が10日に亡くなったという知らせは、競馬ファン以外にも衝撃を与えた。今年3月にも、高知競馬で騎乗していた塚本雄大騎手(享年25)が落馬し、病院に搬送されるも同日死去している。騎手は常に危険と隣り合わせとはいえ、落馬で命を落とすリスクについて騎手はどう考えているのか。自身も落馬事故で重体となった経験があるという元ジョッキーに話を聞いた。
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「これまで落馬で骨折した回数は15回。最もひどかった事故は全治半年で、意識不明の重体になりました」
こう語るのは、川崎競馬に所属し、自身も落馬事故で重体となった経験がある瀧川寿希也元騎手(28)だ。
2016年1月15日、大井競馬で開かれた第5レースで、7頭が落馬する事故が発生した。3コーナーを曲がった直後、瀧川氏が騎乗していた馬が骨折し転倒。瀧川氏は馬から振り落とされ、後続の6頭を巻き込む事故となった。
瀧川氏は「落ちてすぐに意識が飛び、気がついたら病院でした」と当時を振り返る。落馬後、瀧川氏は時速約60キロメートルで走る400キロ超の競走馬に蹴り飛ばされ、頭部、右上肢、左上下肢の打撲、頸椎(けいつい)捻挫、腸骨開放骨折という大けがを負った。
■「危険でもギリギリを攻めることもある」
瀧川氏のケースのように、馬が突然故障したことが落馬の原因になることが多いが、他にも、騎手が強引に馬群に突っ込んでバランスを崩す場合や、競馬場側の設備問題が関係することもあるという。
「勝負の世界ですから、危険だと思ってもギリギリを攻めなければいけないこともあります。そこは、F1などと似ているかもしれません。やはり安全な騎乗ばかりしていると勝てないこともあります」
もうひとつ、設備の問題とはどのようなケースなのか。直近の事故の事例を紹介しよう。
23年11月19日の日没後、金沢競馬場でのレース中にコース内の照明が突然消えた。競馬場が暗闇に包まれた結果、3頭が落馬。1頭の馬が安楽死となり、2人の騎手が病院に運ばれた。騎手2人は命に別状はなかったが、ファンや馬主などからは「命に関わる問題だ」と批判の声が相次いだ。競馬場を管理する石川県競馬事業局が原因を確認したところ、レース終了後に消灯するはずのタイマーが、誤った時間に設定されていたという。
この設備問題は不可抗力だが、落馬事故を防ぐために騎手たちも普段から自助努力をしているという。
「昔も今も騎手は細心の注意を払って騎乗しています。もちろん、騎手同士で人間関係の良い悪いはあるものの、一緒に走る仲間でもあるので、レースでは声をかけあって事故が起こらないように徹底しています」
■騎手は「天職」だと思っている
JRAの公式Youtubeチャンネルでは、騎手のヘルメットに設置された小型カメラから、騎乗中の様子をリアルに見ることができる。4月7日に公開された、2024年桜花賞(G1)で競走馬・イフェイオンに騎乗した西村淳也騎手の動画では、競走中に西村騎手が「内、まだいます」と声を出したり、時には大声で「います!」と叫んだりする様子が確認できる。
また、競馬場には落馬率が高いコーナーの付近に救急車が設置されていることがある。競馬場の職員も、レースの様子を目視やラジオ、業務用無線などで把握しながら事故が起きても迅速に対応できるように準備をしているという。競馬場内の救護室には医師と看護師が1人以上常駐している。それでも、悲惨な事故が起こってしまうことはある。
「現役時代は、落馬したら骨折するのは当たり前という感覚でした。15回も落ちているので、途中からは覚悟していましたね。騎手の生活は体重管理が厳しく、好きなものも食べられない。八百長防止のため、レース開催中は第三者との接触も禁止されている。とても苦しかったですし、途中で辞めていく人もいました」
しかし、それでも多くの騎手が馬に乗り続ける理由を瀧川氏はこう話す。
「やっぱり馬が好きで、この仕事が天職だと思っている人が多いからだと思います。僕は勉強も得意ではなく、これ(騎手という仕事)しかなかった。父子家庭で育ち、経済的にも苦しかったので、オヤジをなんとか楽をさせたいと考えて、中学校を卒業後に競馬学校へ進学しました。レースに勝てばそれなりのお金がもらえることも動機ですが、やっぱり皆、馬やレースが好きなんですよね。だからこそ、今回、2人の騎手が続けて落馬事故で亡くなってしまったことはとても悲しいです。2人とも人柄がよく、優しくて頼りがいがある人として有名でした。ファンの人たちには、命がけでレースに臨んでいる騎手たちをこれからもより一層応援してほしいと思っています」
(AERA dot.編集部・板垣聡旨)