県最南端の離島から島の魅力を発信する
佐伯市の蒲江から南へ9キロ。1日4便の定期船が往復する、大分最南端の深島。島で唯一のカフェと宿泊施設、深島みその製造・販売を手がける〈でぃーぷまりん〉を営む安部あづみさんと達也さん夫妻を訪ねました。
ひょうたん型ともいわれる深島のくぼみの部分にある定期船乗り場から歩いて5分。東に海が見える場所に、この夏リニューアルオープンした〈inn&café でぃーぷまりん〉はあります。
外壁にも内装にも木材をたっぷり使ったでぃーぷまりんの扉を開けると、「こんにちは」と笑顔のあづみさんが迎えてくれました。
建物の一角にある〈café むぎ〉のランチメニューには、深島みそを使ったパスタやリゾット、佐伯でつくられた干物、おおいた和牛を使ったカレーに、デザートもオンリスト。ジュースやフルーツサイダー、クリームソーダにコーヒー、紅茶、アルコールも揃うので、ゆっくりカフェ利用にもぴったりです。
テーブル席、カウンター席、小上がり席のほか、広いテラス席も備えたカフェスペースは、〈inn えびすねこ〉に宿泊する際の食事スペースにもなります。
1日ひと組限定、1泊2食付きの宿の夕食は、深島や佐伯でとれた魚介、山菜や自家栽培の野菜、深島みそなど、地元の美味をたっぷり取り入れたコース仕立て。夏なら海鮮BBQ、冬の魚しゃぶしゃぶも人気です。食材を集めるところから参加できる、島の暮らしをもう一歩深く知ることのできるうれしいオプションもあります。
地産地消を体感するメニューの監修は、湯布院〈ラ・ヴェルヴェンヌ〉の渡辺亨シェフ。夫妻の古くからの友人です。調理を担当する達也さんは、日々厨房に立つのはもちろんのこと、畑でハーブや野菜を育て、あづみさんの実家や佐伯の知り合いの農家から届く野菜も使います。
達也さんが海に出てとる魚やイセエビなどの魚介類は、カフェで提供されるほか、みそ漬けなどの加工品にも使われます。
やさしい木の香りが漂うinn えびすねこの客室には、セミダブルベッドふたつ、ソファーベッドひとつ、ロフトには布団を敷くこともでき、大人数のファミリーなども滞在できる設備。広々と気持ちのいい空間にはダイニングテーブルが置かれ、夕食、朝食をここでとることも可能です。大切な人との特別な時間を過ごしてほしいという夫妻の思いが伝わります。
大きな窓の向こう、ウッドデッキの先には、海と四国、淡々しい水平線が広がります。夜になれば、ずっと見ていられるほどの星の瞬き。途絶えることのない波の音が、慌ただしい日常や喧騒を洗い流してくれるかのようです。
深島に魅せられたあづみさんと
帰ってきた達也さんの、島への思い
幼少期の数年を深島で暮らし、蒲江に転居後も頻繁に行き来して、「幼い頃から、ただただこの島が好きだった」という達也さんが、島に戻って食堂を始めたのが2014年。2年後の結婚を機にあづみさんも移り住み、夫婦で一棟貸しの宿泊施設をスタートします。
そして2023年の夏、食堂と宿は数メートルだけ位置を変え、inn&caféでぃーぷまりんとしてリニューアルオープンしました。
「新しいことをしているという意識はなくて、深島のために必要なことはなんだろう? 私たちがいなくなったあとも深島が続いていくために必要なものはなんだろう? といつも考えているんです」(あづみさん)
島のすべてが「日豊(にっぽう)海岸国定公園」に含まれ、海中公園にも指定されている深島。2023年10月現在、12人の住民のうち、最高齢は92歳。最年少の世代が、安部さん夫妻の3人の子どもたちです。
大分の由布市で生まれ育ったあづみさんが、いずれは自分も田舎暮らしをしたいと考えるようになったのは広島大学に通っていた頃。農業経済を学ぶうちに、「田舎に住みたい」「現場のプレイヤーになりたい」という思いが募っていきました。
大学を卒業し、一度は就職したものの、研究の道への憧れと田舎で生きていく糧を得るため、大学院への進学を決めます。深島に通いながら、大分大学の大学院で農業経済学、特に農村女性起業について研究し、修士号を取得しました。
かつての夢だった水族館のトレーナーや動物園の飼育員、そして農家に嫁いで民泊を営みたいというさまざまな夢を、かたちは違えど叶えてくれたのが深島での暮らしでした。
深島への移住について、「島の神様に呼ばれたとしか思えないタイミングだった」と語るあづみさん。深島に強く惹きつけられ、島の将来を考え、いずれは島にまつわる歴史証言を書き残したいと願うほどの強い思いは、どこから生まれてくるのでしょうか。
「深島の魅力の軸の部分ってなかなか言葉にできないんです。島のばあちゃんじいちゃんの温かさや、この土地の居心地の良さはずっと感じています。島に遊びに来る人たちとその感覚を共有できたらうれしいですよね」(あづみさん)
猫を守り、島伝統の味噌のレシピを守る
深島は猫の多い島としても知られています。2023年10月現在の人口12人に対して、猫はおよそ70匹。島に上陸して真っ先に出迎えてくれたのはキジトラの猫でした。1歩、2歩と進むうち、あちらこちらから猫が現れたり、ベンチや縁側の下に潜んでいたり。猫たちの毛並みはふわふわと柔らかく、大切にされていることが伝わってきます。
猫の数が多いのは、民家が集まる島の中心部。道のそこかしこで猫がくつろぐ姿が見られます。
深島みその工房前、広々とした芝生や港への道沿いにも猫がたくさん。かけっこしたりじゃれあったり、ごはんや水を分け合う姿に和みます。工房脇を登っていく「北のにゃんにゃんロード」にも、猫たちが待っています。
360度を海に囲まれた深島では、長い間猫が増え続けました。猫の健康を少しでも守り、猫のお世話をする島の人の負担を減らすためには、と考えたあづみさんの主導で、2019年に全頭去勢手術が行われました。
「地域猫や保護猫の活動をされている方、〈どうぶつ基金〉の方々、動物病院の先生方にも相談しながら、去勢手術に踏み切ることにしました。猫をかわいがっている島のみんなにも説明してまわって。島の人はもちろん、たくさんの方のおかげで実現することができました」(あづみさん)
この11月には全頭の健康調査も予定しているそう。みんなが家族のように暮らしている小さな島だからこそ、信頼関係をベースに「島の猫」として猫たちをかわいがり、お世話をすることができる。あづみさんは、さまざまな機関と連携し、地域と猫が共存する新たなモデルケースとして情報を発信していきたいと考えています。
「猫が生きていくためには、キャットフードが必要です。去勢手術やワクチン接種にももちろんお金がかかります。そこで、佐伯市の観光協会と一緒に『深島ねこ図鑑』をつくり、その売り上げを資金に充てました。たくさんの方に支援していただいていて、島民だけでなく島の猫たちを想うみなさんとともに猫の暮らしを守っています」(あづみさん)
深島にはシーカヤックやシュノーケリングなどを目当てにした来島者も多く、達也さんは海遊びのガイドも務めています。そしてもうひとつ、来島者の多くがお土産に買って帰る深島みその製造・販売も安部さん夫妻によるもの。
代々島の家庭でつくられてきた麦味噌が、島の特産品として商品化されたのが1996年。達也さんの祖母を含む島の婦人部のレシピを、いまはおふたりが受け継いでいます。
「味噌はばあちゃんたちがつくっていたもので、これが好きだって言ってくれる人がいるし、島の産業としてこの味噌が残っていることで人がここに住み続けられた。そういう意味でもばあちゃんたちにはすごく感謝しています」と、あづみさん。
「この島で過ごす時間やこの景色が贅沢だと気づけるのは、お客さんとの関わりがあってこそ」と言葉を続けます。2014年の食堂オープン時から長く通う常連さんも多い深島では、お互いの家族の話をしたり、子どもたちの成長を見守ったり。接客する側とされる側ではなく、いつしか親戚のようなつき合いになっていくのだとか。
「私たちも、あの人はこれが好きだったね、この体験に感動していたね、というのをひとつひとつ覚えておけるくらいの関わりを持ちたいと考えています。子どもにとっても、大人にとっても、疲れたときに深島に行こう、深島で元気になろうと思い出してもらえる場所でありたいですね」(あづみさん)
1988年大分県由布市生まれ。広島大学で農業経済を学び、大分大学大学院で修士号を取得。2014年から深島に通うようになり、16年結婚を機に深島に移住。尊敬する人は深島のばあちゃんたち。3児の母。
address:大分県佐伯市蒲江蒲江浦3249-31
tel:080-5289-2280
access:蒲江から佐伯市営定期船えばあぐりいんで約30分
営業時間:café むぎ 10:00〜16:30
定休日:不定休
宿泊料金:1泊2食付き1名27500円〜
web:でぃーぷまりん
*価格はすべて税込です。
credit text:鳥澤光 photo:木寺紀雄