外国人からコメント殺到 「とにかくお腹がすいてきた」

 3年半前に、離婚を機に自炊の動画をSNSに投稿したところ、みるみるうちにフォロワーを増やしたのが動画クリエ−ターのケンティー健人さんだ。4月1日現在の総フォロワー数は900万人で、ファンは全世界に広がる。特段の料理経験もなかったケンティーさんは、なぜこれほどの成功を収めたのか。昨年12月、『ケンティー健人の世にもおいしい一人飯』(光文社)を発売したケンティーさんに、これまでの人生と転機について聞いた。

 ホットプレートにぶつ切りした鶏肉を並べ、にんにくや調味料で味付け。調理の音が食欲をそそる中、豪快に焼き上げていく。半分ほど食べたら今度はパスタと水、鶏がらスープの素、トマトケチャップを投入する。ふたを取り、チーズをのせると完成だ。「チーズ入れすぎたな……」と言いつつも、最後まで完食した。

 ケンティーさんがTikTokに投稿した動画には、英語で「とにかくお腹がすいてきた」「彼はすべて2本のはしで食べるのか」「すばらしい料理だよ! メキシコより」などの声が相次ぐ。TikTokはフォロワー530万人のうち、日本人は約3割。その他は外国人で、米国からのフォロワーが最も多い。映像だけでおいしさが伝わる内容が視聴者の心をつかんでいる。

 3年半前までは福井に暮らす普通の会社員だった。一変した人生に「まさか本当にこういうふうになるとは夢にも思っていなかったですね」と実感を込める。

 どんな人生を歩んできたのか。

 子どものころはとにかくよく食べる少年だった。

「食べるのが大好きで、とってもおデブやったんですよ。体操服を着たらピチピチで、3段腹とかも表に見えてしまう。短めの短パンはいたらブルマーに見えちゃうぐらい、本当におデブでした。ご親戚に、『将来お相撲さんやね』って言われていましたね」

 現在からは想像もつかないが、小学校時代は肥満だった。大皿で出される実家の料理はいつも人一倍食べた。お腹がすけばお菓子に手を伸ばす。ポテトチップスはひと口食べると止まらなかった。夜中に冷蔵庫を開け、きゅうりにマヨネーズをかけてかぶりつき、父親にしかられるほど食欲旺盛だった。

 一方、もの作りが好きで、小学校ではクラフトクラブに入り、ガンダムなどプラモデル作りに熱中した。絵を描くことも得意で、高校では、テキスタイルデザイン科に入学し、デザインを学んだ。部活は中学で剣道部、高校では弓道部に所属。厳しい練習に脂肪はそぎ落ちた。卒業後、地元の繊維工場に就職。25歳で結婚し、婿養子に入った。結婚生活は9年で離婚に至った。

 そして、2020年9月、一人暮らしを始めると同時に、TikTokにアカウントを開設した。

「最初は当時はやっていたダンスの動画を投稿していました。でも、多くの方に動画が届かなかったので、変えなあかんなと思い、自炊の様子を投稿したら、少し見てもらえる方が増えたので、これだと思って、そこから今までずっと続けてきています」

 3年半で投稿した料理の動画は700本に上る。驚くのは、経歴を振り返っても、料理の経験がほとんどないことだ。9年の結婚生活でも義実家では台所に立つことはない環境だった。

「私は料理を作ることはせず、作っていただいた料理を食べていました。田んぼなど、そういったお仕事をするのが役割。女性がご飯を作って、身の回りの家事をするのが役割といった風潮がありましたので、私自身が料理を作る、ということとは無縁でした」

 ケンティーさんは、料理をしてみたいという願望は以前からあった。「毎日自炊をするというのは、一人暮らしと同時に決めていました」。アパートを借り、最初はレシピ本を買って、忠実に作ることから始めた。

フォロワー急増の理由 海外の視線集めたワケ

 フォロワーが14万人になったころ、現在の所属事務所から声がかかり、動画のスタイルを一新する。日本語でテキストを加えるスタイルをやめ、手元だけではなく、自撮りしながら顔出しで登場する方法に変更した。さらに食材や調味料はすべて目分量とし、動画のテンポを重視する戦略を取ると、そこからは上昇の一途となった。

「3か月ぐらいで、14万人から一気に100万人まで増えました。まさか自分がこんな人になるとは思ってなくて、それこそ、本当に道で声かけられるのかなとか、ちょっと思うようになりました。実際に東京で声かけてもらえたり、福井でも近所のスーパーとか歩いてたら声かけてもらえたりとか、ちょっとみんなに知ってもらえてるんだなっていうのを感じた瞬間が、14万から100万人に増えたときでしたね」

 YouTubeのフォロワーも190万人を数える。「テキストを使わず、見ただけで分かる動画スタイルは海外の方も興味持って見てくれるので、世界中に動画が広がって、世界中の方がフォローしてくれています。うれしい気持ちでいっぱいです」。配信する動画はどのSNSでも共通の内容だが、「見ている層がわずかに違うので、フォロワー数が増えるんです」。“脱日本語”による効果ははかり知れないほど大きかった。

 調味料を目分量としているため失敗もある。そのときは正直に感想を伝えるようにしている。「動画の最後で微妙な顔をしたり、コメントで、『これはおいしくないのでちょっとまねしないほうがいいです』とか、ちゃんと書くようにします」。実直な人柄も好印象を与えている。欠かさない習慣は、完成後の検証で、「客観的に見て、退屈なものになっていないか、最後まで見たいと自分が思う動画になっているかを見返します」。視聴者目線を意識し、細部まで調整している。

 クリエーターとしての活動が軌道に乗り、17年勤めた会社を退職。「楽しくてしょうがないです。もう1人暮らしを謳歌(おうか)しています」と笑顔を見せる。

追い求める親子丼 まだ再現はできていない

 一方で、今でも追い求めている味がある。

「僕の一番思い出に残っている料理が、おばあちゃんが作ってくれた親子丼なんですよ。休みの日、部活して帰ってきたときとか何もないときに、うちにおばあちゃんがいて、よく作ってくれました。とてもおいしくて、すごく思い出に残っています」

 実は自炊して、レシピ本を見ながら最初に作った料理も親子丼だった。

「おばあちゃんのあれ、作りたいなと思って。おばあちゃんのような独特な、ちょっと甘い味には仕上がらなかったんですけど、でも、十分おいしすぎる親子丼が作れて、自分でも1人でレシピ本を見ながら作れば、ちゃんとおいしくできるんだって思ってちょっと感動した記憶はあります」

 味の再現はまだできておらず、「レシピ本を見てたらその味はたぶん再現できないので自分なりに追求できたらいいですね」と挑戦は続いている。

 最後に今後の目標を聞いた。

「2つあるんですけど、1つは動画投稿を通して一度でもいいので、自分がはやりの中心になってみたいなって思うんですよ。僕自身もいろんな方の料理を参考にしますし、それをまねているんですけど、自分の作った料理のレシピや動画が1年間を通してはやるぐらい世界中に広がって、みんなの心に伝わったらうれしいなって思うんですよね。クリエーターとして一度でもできたら、この活動ではもう自分は満足だなって思います」

 そして、もう一つの夢は地元福井の魅力を世界に発信することだ。

「福井県に住んでいるので、こういうものが福井にあるよとか、福井にしかない食材を使って自分なりに発信していけたらいいですね。今ちょいちょい自分なりにやってはいるんですけど、自分の地元のことを、より多くの方に知ってもらいたいなって思います」と結んだ。ENCOUNT編集部/クロスメディアチーム