●小倉隆史(元日本代表FW)

「名選手、名監督にあらず」という言葉があるように、サッカー選手として優れていたからといって、優れた指導者になるとは限らない。愛する古巣を崩壊させてしまう、そんなケースもしばしばだ。今回は監督としては大きな成功を収められなかった日本代表クラスの元Jリーガーたちを紹介する。
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生年月日:1973年7月6日
主な監督歴:名古屋グランパス(2016)

 現役時代「レフティーモンスター」の異名をとった元日本代表FW小倉隆史だが、監督としては名声を高めることはできなかった。

 1992年に名古屋グランパスへ加入した小倉は、オランダへのサッカー留学を経験したのち、1994年に名古屋へ復帰。翌1995年には、アーセン・ヴェンゲル新監督の元で躍動し、セルビア代表FWドラガン・ストイコヴィッチと共に天皇杯優勝に貢献した。

 順風満帆なキャリアを歩むかに思われたが、1996年に右足後十字靭帯断裂の大怪我を負ったことでその輝きを失うことになる。名古屋では最終的に公式戦112試合に出場して、29ゴールをあげる活躍を見せたが、この負傷以降は目立った数字を残すことができなかった。

 そんな小倉は、2015年6月にゼネラルマネジャー(GM)補佐として古巣・名古屋に復帰する。そしてクラブが「改革元年」と位置付けた2016年には、「GM兼監督」という大役を任された。が、この人事がクラブ史に残る大失敗を招く。

 名古屋は開幕からまずまずの滑り出しとなるが、5月から状況が暗転。1stステージ第11節のヴィッセル神戸戦から勝てない時期が始まると、2ndステージ第9節まで白星なしという泥沼の状況に陥った。この結果を受けて、小倉が「8月23日をもって休養する」ことがクラブから発表され、レフティーモンスターの監督挑戦はわずか7ヶ月で幕を閉じた。

 その後、名古屋は後任のボスコ・ジュロヴスキー監督の元で勝ち点を積み重ねたが、時すでに遅し。最終節・湘南ベルマーレ戦に敗れたことで、クラブ史上初となるJ2降格が決定した。

●釜本邦茂(元日本代表FW)

生年月日:1944年4月15日
主な監督歴:ガンバ大阪(1993-1995)

 言わずと知れた日本サッカー界のレジェンドである釜本邦茂もまた、「名選手、名監督にあらず」を体現してしまった1人である。

 現役時代には日本代表のストライカーとして、公式戦76試合に出場して75得点という驚異的なスタッツをマーク。この記録は現在も日本代表歴代最多得点となっている。1968年に開催されたメキシコ五輪では、アジア人史上初となる得点王(7得点)に輝いた。

 そんな輝かしい実績を持つ釜本は、1993年にガンバ大阪の初代監督に就任。しかし、Jリーグ発足1年目となる1993シーズンは年間7位、2年目の1994シーズンは年間10位と成績は低迷し、わずか2年で監督を解任されることになった。主力選手との確執があったとされ、監督としての力量は十分ではなかったと言わざるを得ない。監督としてのJ1戦績は80試合31勝49敗となった。

 それでも、釜本が日本サッカー史に名を刻むレジェンドプレイヤーであることに異論があるはずが無く、2005年には日本サッカー協会が選ぶ「第1回日本サッカー殿堂」入りを果たしている。

●宮本恒靖(元日本代表DF)

生年月日:1977年2月7日
主な監督歴:ガンバ大阪(2018-2021)

 かつて日本代表でキャプテンを務めた宮本恒靖だが、監督としては大きな成功を収めることはできなかった。

 宮本はガンバ大阪のアカデミー出身。ガンバ大阪でプロサッカー選手になったのち、2006年にはレッドブル・ザルツブルク(オーストリア)に移籍して欧州トップレベルの舞台を経験している。その後、2009年に日本へ戻ってくるとヴィッセル神戸でプレーし、2011年に現役引退。日本代表としては公式戦71試合に出場し、ワールドカップを2度経験している。世代別代表からA代表まで、全てのカテゴリーでキャプテンを任されたのは、宮本が類まれなリーダーシップとコミュニケーション能力を持っていたからだ。

 現役引退後は2016年にガンバ大阪のユースを率いることになり、2018シーズン途中からトップチームの監督に就任。2020シーズンにはリーグ2位までチームを押し上げたが、充実した戦力の割にはギリギリの勝利が多く、若干の物足りなさも。4年目となる2021シーズンに、第10節終了時点で18位(1勝4分け5敗)と低迷したことを受けて5月に解任された。新型コロナウイルスの流行によって、序盤にチームが2週間の活動中止となるなど、これまでにないイレギュラーなシーズンを任されたことは不運だと言えるだろう。

 監督としては失敗に終わったが、今年3月末には日本サッカー協会(JFA)の第15代会長に就任したことが発表された。JFAによれば、元Jリーガー、そしてFIFAワールドカップ出場経験者が会長に就任するのは史上初とのこと。持ち前のキャプテンシーを発揮して、日本サッカー界をさらなる高みへと引っ張ってもらいたい。

●信藤健仁(元日本代表DF)

生年月日:1960年9月15日
主な監督歴:横浜FC(2001-2002)

 元日本代表DF信藤健仁は、マツダSC(サンフレッチェ広島の前身)で天皇杯決勝進出、ベルマーレ平塚(湘南ベルマーレの前身)では天皇杯優勝を果たすなど、行く先々のチームで活躍した。しかし、監督としてはJ2で88試合23勝12敗53敗と、成功したとは言い難いだろう。

 1995年にスパイクを脱いだ信藤は、2001年に横浜FCの監督に就任した。当時J2昇格初年度だった横浜FCは、成績低迷によりシーズン途中となる9月に永井良和監督が退任。後任として指揮を任された信藤にはチームの立て直しが求められた。最終的に全12チーム中9位でシーズンを終え、監督1年目としてはまずまずの成績を残した。

 問題となったのは、就任2年目となる2002シーズンに信藤監督が採用した戦術である。「超攻撃的サッカー」を掲げ、[2-4-4]のシステムで戦うことを決断した。当然、このフォーメーションでは守備陣に大きな負担がかかるため、それを上回る得点を奪わなければ勝ち点を積み重ねることは出来ない。

 しかし、対策してくる相手に有効策が見出せなかったこと、そして攻撃に人数をかけたことで攻守のバランスが崩壊したことで、この試みは失敗に。J2最下位(リーグワーストの81失点)という最悪の結末を迎えてしまった。翌2003シーズンはピエール・リトバルスキー氏と監督を交代している。

 守備の立て直しを期待されたリトバルスキー氏だが、一度完全に崩壊した守備陣を修復することはできず。2003シーズンは昨季を上回る88失点を喫している。一見すると魅力的に聞こえる信藤の超攻撃的サッカーだが、その代償に失ったものはあまりにも大きかった。

●都並敏史(元日本代表DF)

生年月日:1961年8月14日
主な監督歴:ベガルタ仙台(2005)、セレッソ大阪(2007)、横浜FC(2008)

 都並敏史は、読売サッカークラブ、その後継となるヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)で活躍し、日本代表でも左サイドバックの絶対的な主力となっていた。しかし、現役時代に受けていた評価とは反対に、監督としての評価は高くない。

 2004年にS級コーチライセンスを取得した都並は、すぐにベガルタ仙台の監督に就任。2005シーズン前半戦は低調なパフォーマンスとなったが、後半戦から意地を見せてチームを最終順位4位(19勝11分14敗)まで押し上げた。しかし、入れ替え戦への出場を逃したことで1年での解任となっている。

 その後、ヴェルディでのコーチ経験を経て、2007年にセレッソ大阪の監督に、2008年には横浜FCの監督に就任したが、どちらも仙台時代と同じく1年で解任されている。

 監督としてはことごとく失敗してきた都並だが、最近になってその評価は変わりつつある。2018年にブリオベッカ浦安(関東1部)の監督に就任すると、2022年にチームをJFL昇格に導いた。昨季はJFL2位の好成績を挙げ、クラブの悲願であるJリーグ参入は確実に近づいている。今季はスタートダッシュに失敗しているが、巻き返すことができるだろうか。

●柱谷哲二(元日本代表DF/MF)

生年月日:1964年7月15日
主な監督歴:北海道コンサドーレ札幌(2002)、東京ヴェルディ(2008)

 今季から久しぶりにJ1で戦う東京ヴェルディが、最後にJ1だったのは2008年まで遡る。その当時ヴェルディを率いていたのが、元日本代表DF柱谷哲二だ。

 日産自動車(横浜F・マリノスの前身)、ヴェルディ川崎(東京ヴェルディの前身)で活躍した柱谷は、1998年に現役引退。試合解説業を経て2002年に北海道コンサドーレ札幌の監督に就任した。しかし開幕から白星を重ねることが出来ず、チームは低迷。シーズン途中の6月に解任されてしまった。

 そして柱谷は、前述した通り、2008年に古巣であるヴェルディの監督に就任する。コーチからの昇格となったが、札幌時代に続いてここでもチームを勝たせられず、気づけば残留争いへ。結局、最終節で勝ち点を得られなかったことにより、全18チーム中17位(10勝7分17敗)でJ2降格となった。それから昨季まで、ヴェルディはJ2で苦難の日々を過ごすことになる。

 その後も水戸ホーリーホックやガイナーレ鳥取などで指揮を取るが、与えられたミッションを達成できず解任に。かつて”闘将”と呼ばれた男は、監督として勝者のメンタリティをチームに植え付けることは出来なかった。

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