「現在では使われなくなった地名=『旧町名』は、古い家屋の表札やビルなど様々なものの中に発見することができる」と語るのは、16年以上、全国の旧町名の名残りを探し、その記録をブログなどで発信している102so(じゅうにそう)さん。今回、『旧町名さがしてみました in東京』から東京・千代田区の旧町名にまつわるエピソードを紹介していただきました。102soさんは「旧神田區の町名には何らかの形で神田が付くが、神田という町名はない」と言っていて――。

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三年町

<三年町>

日本の中枢こと永田町・霞が関。実は彼らの名前は明治5年の誕生以来、町名変更する事なく存在しつづけています。

一方で、彼らに隣接し同じ明治5年誕生でありながら消滅した町名もあります。

それが三年(さんねん)町です。官僚の出世争いの如く同期に出し抜かれた悲しみの町名・三年町。そもそも三年とはいったい何の年数でしょうか。

場所柄何らかの任期と思いきや衆議院は4年、参議院は6年。転んだら3年以内に死ぬという俗信を持つ三年坂にちなんで三年町なのです。

死にたくない思いで現地に赴き坂を確認したところ、恐ろしいことに転んでも寿命を全うできそうな安心設計でした。

消滅から3年以内どころか50年以上経っても現地の古ビルに生きつづける三年町。

おそらく三年坂の俗信が間違いであることを自らが証明しているのでしょう。令和5年時点では、もはや五十五年町です。