映画「幸福(しあわせ)の黄色いハンカチ」(1977年)の原作者として知られる、米国著名作家でジャーナリストのピート・ハミルさん。2020年8月5日に85年の生涯を終えてから、今年で4年が経過します。ピートさんの妻で作家として活躍する青木冨貴子さんは、最愛の夫との大切な記憶を、手記『アローン・アゲイン:最愛の夫ピート・ハミルをなくして』に書き留めました。「ふたたび一人」で生きていく青木さんが、心の筆で綴ったエピソードの一部をお届けします。

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わが家への帰還

「ラスク・インスティテュート(ニューヨーク大学病院内のリハビリ施設)」に入ってからすっかり回復し食欲も出てきたので、ピートは次第に病人用に組まれた献立にも飽きてきた。

近くの18丁目にピザ屋を見つけたわたしがそこのピザを買っていくと「これは美味い!」と大喜び。生地が薄くてこんがりとしたピザは確かに美味しかった。それからほとんど毎日のように、帰り支度をすると「明日もあのマルゲリータ・ピザを買って来てくれ」と頼んでくるようになった。

ラスクに入って3週間ほど経った2014年5月、この後、どこへ行くかが問題になった。

「自宅へ帰すのなら、24時間の介護が必要です。必ず2名がいなければ帰宅は許可できません」と担当医に言い渡された。わたしのほかにもうひとり夜間の介護人と昼間の介護人がいなければ、自宅へ帰せないというのだった。

まずは自宅バスルームに手すりとハンド・シャワーを取り付けた。

その頃、ピートの面倒を見てくれている看護師助手のパメラがそっと声をかけてきた。勤務の後、わが家へ来て夜12時間、働いてくれるという。

一方、姑がブータンから来た女性に長い間とても良く介護してもらっているという話を友達から聞いていた。住み込みで24時間介護しているという。ニューヨークにはブータンから来た移民のコミュニティーがあって彼女は顔が利くと教えてくれた。

昼間の我が家の介護人には男性が良いので、早速、ブータンの男性を紹介してもらい、電話で面接してみた。

「ブータンではどんな仕事をしていたのですか」

ひとりはテレビ局で働いていたといい、2人目は確かセールスと答えた。3人目は、「病院でフィジカル・セラピストをしていました」というではないか。まさに適任者だった。

ドージーという34歳の男性で、早速会ってみると真面目そうな青年だった。働いているクリーニング屋を辞めて、朝9時から夜7時まで1日10時間、月曜日から金曜日まで週5日来てくれることになった。