10年以上続いた避難、そして限定的な解除。東日本大震災と原発事故に翻弄された福島県浪江町・大堀相馬焼の窯元たち。「産地を離れた伝統は大堀相馬焼と呼べるのか」自問自答しながらも伝統を守り続ける窯元たちの今を追った。

<13年ぶりにふるさとへ>
「13年ぶりに大堀に戻ってきました。これからまた100年200年と、この大堀の地で大堀相馬焼が継承されるのかなと思っています」
300年以上続く大堀相馬焼の窯元の一人、陶吉郎窯・近藤学さん。2024年3月15日、ふるさと・福島県浪江町大堀地区に念願の工房と店舗が完成した。

<産地を離れた伝統>
東京電力・福島第一原発から約10キロの距離にある「大堀相馬焼の里」。原発事故後、帰還困難区域となり約20の窯元は故郷を追われた。
「産地を離れた伝統は大堀相馬焼と呼べるのか」・・・近藤さんは、避難先の福島県いわき市で考え続けていた。当時、近藤さんは「やっぱり大堀に戻って、本来の姿の大堀相馬焼を継承しないと、伝統が途絶えてしまうなという思いが自分にあった。どうしても大堀には帰りたい」と話していた。

<伝統は大堀にある>
2023年に一部で避難指示が解除された浪江町大堀地区。解除のエリアは、伝統的工芸品の産地として文化的な価値を守るため窯元の敷地だけとなる“点”の解除だった。
休閑窯の半谷秀辰さんは「はっきり言って国のやり方は頭にきている。大堀の住民、窯元ではない住民がいるわけだ。これを別れさせるような感じだ、二分して。ありがた迷惑だ」と話す。

<生業としてやっていけるのか>
福島県白河市に避難した錨屋窯・山田慎一さんは「帰りたい部分もあるので、大堀の再開というのも考えの中にはある」としつつも「どうやってあそこで生業として生計を立てていくのか、ビジョンが全くみえない状況」と話す。そして…「”いかりや”という屋号は、この地をいかなることがあっても、とどまれるようにと船の錨の屋号をもらった。けれども、そうはいかなかったですね、今回はね」とつぶやいた。

<まるで ひとごと>
2020年代までに「希望する」すべての住民の帰還を目指す政府。「希望しない」住民の自宅や森林などは、今後も帰還困難区域として残る。
陶吉郎窯の近藤学さんは「国で希望者は除染やるけど、希望してない人はやらないなんていうこと自体が、全然この状況にあってない。どこでそういうこと発想してんだって。第三者が他人事のように、ただその物語を決めている」という。

<原点回帰>
2024年4月、福島県いわき市に構えた登り窯に薪を入れる陶吉郎窯の近藤さん。「自然の薪でもって、その炎の力で焼き物を焼いていく原点だよね」と話す。
焼き物の「登り窯」は伝統の礎を築いたシンボル、そして大堀相馬焼の原点だ。近藤さんは「どうしても大堀で登り窯やりたいなという気持ちが、どんどん強くなってくる」と話した。この春、近藤さんは13年ぶりに故郷に戻り、伝統の復活を目指す。
ただ…ほかに戻る窯元はいない大堀地区。原発事故から14年目の現在地だ。