アフリカ・コンゴ民主共和国の治安が悪化している。今年2月以降、反政府武装勢力「M23」の攻撃が激しさを増し、東部の主要都市ゴマを包囲する勢いを見せている。そんな中、25年にわたり現地で活動してきた世界最大級の国連平和維持活動(PKO)部隊の撤退が承認された。理由の一つに挙げられたのが「PKOの文民保護任務の失敗」だ。何が起きているのか、コンゴ情勢に詳しい米川正子さんがPKOの抱える課題を解説する。

コンゴ東部の治安が悪化している。そんな中、3月5日、ノーベル平和賞受賞者のデニ・ムクウェゲ医師はコンゴに派遣されているPKO撤退の見直しを求めた公開書簡を国連安保理に送った。

侵略戦争と、地域が過剰に軍事化している状況において、駐在する国連平和維持要員とMONUSCO(国連コンゴ民主共和国安定化ミッション、モニュスコ)と介入旅団が急速に減れば、治安に空白状態が生じるおそれがあります。これはコンゴそのものの存続にとってこの上なく危険で、文民保護と安定にとって災厄です。(中略)私たちはMONUSCOが責任あるサステナブルな撤退に向けた適切な条件を整えるため、マンデート(任務)と配置を変更することを要請します。 ムクウェゲ医師の公開書簡(原文)

RITA-Congoによる公開書簡全文の和訳はこちら

MONUSCOの撤退は数年前から、コンゴ政府や国連の間で議論されていた。

2023年9月、コンゴのフェリックス・チセケディ大統領が国連本部で演説した際に、MONUSCOの即時撤退を要請していた。それはMONUSCOが同国東部の紛争を抑制できず、  また文民(住民、民間人)保護という優先すべき任務を果たせていないことに対する住民の不満が、コンゴ国内で大規模な抗議デモにつながっていたからだった。

安保理は2023年12月、MONUSCOの段階的な撤退に関する決議を承認。 今年2月28日に撤退を開始し、コンゴ軍に引き継がれた。  

MONUSCOは、前身である国連コンゴ民主共和国ミッション(MONUC)が1999年に派遣され始めたので、2024年までで計25年、駐留したことになる。この間、年間10億ドルの予算を持つMONUC/MONUSCOはさまざまな改革に取り組んだ。

文民保護の任務は徐々に強化され、2008年以降はMONUCの第一の任務となった。2013年、武装勢力を監視し、武装解除させるために、MONUSCO下に強力な介入旅団を創設。同年、民間人をよりよく保護するために、国連史上初の非武装の無人偵察機を飛ばした。 

それにもかかわらず、コンゴの状況は改善されたどころか悪化している。

武装勢力の数は1996年に20以下だったが2018年には130に増え、また1996年、50万人以下だった国内避難民数も2023年12月時点で650万人に膨れ上がった。 紛争下の性暴力も蔓延している。

その上、「紛争後」のコンゴで新政府が設立された翌年の2004年、ルワンダが支援している武装勢力RCDがコンゴ東部の主要都市ブカブを一時的に制圧した。2012年、RCDの後身である武装勢力M23も主要都市ゴマを制圧。どちらのケースも、現地にいたMONUC/MONUSCOは傍観していた。その10年後の2022年11月も、またM23がゴマを制圧する手前で撤退したことがある。このような事件が起きる度に、コンゴと国連本部において国連PKOの存在意義、つまりその無力が問われた。

ではなぜ長年にわたって、MONUC/MONUSCOは文民を保護できなかったのだろうか?PKO軍事要員はそもそも文民保護の意思を持っているのだろうか?

その検証をする前に、PKOの基本的知識を簡潔に説明する。

国連創設時に想定されていなかったPKO、任務の変化

PKOとは、国連が紛争当事者の間で停戦や軍の撤退の監視などを行うことで、事態の沈静化、紛争の再発防止、そして紛争当事者による対話を通じた紛争解決の支援を目的とした活動だ。これらは一般的にPKOの「伝統的」な任務と呼ばれる。

PKOは国連創設時には構想されていなかった。国連憲章にも「平和維持活動」の文字は記載されていない。PKOは冷戦下、国連が本来期待されていた集団安全保障構想が実現できず、紛争の解決に現実的に貢献し得る方法を模索する中から作り出された政策手段だ。

PKOに参加する際の基本方針には、①紛争当事者の同意、②公平・不偏(impartiality)、③自己防護、および任務遂行上、必要な場合を除く武力不行使、の三つが含まれている(しかし国連憲章第7章により「確固たる」任務の下では、文民保護のためには武器の使用が認められるようになった)。

 またPKO成功の前提条件として、紛争当事者が平和的に解決したいとの真正の願望があること、国連安保理からの明確な指示があること、国際社会による強力な政治的支援があること、そしてPKOの目的を達成するために必要な人的・物的資源が提供されることが挙げられる。最も重要な平和維持は、政治的プロセスを伴わなければならないことだ。

【日本のPKO参加5原則】(国連PKO等に参加する際の基本方針、外務省公式サイトより)

紛争当事者の間で停戦合意が成立していること

PKOが活動する地域の属する国及び紛争当事者が当該PKOの活動及び当該PKOへの我が国の参加に同意していること

当該PKOが特定の紛争当事者に偏ることなく、中立的立場を厳守すること

上記の原則のいずれかが満たされない状況が生じた場合には、我が国から参加した部隊は撤収することができること

武器の使用は、要員の生命等の防護のための必要最小限のものを基本

国連PKOの始まりは、1948年の安保理決議で派遣された、イスラエルと近隣アラブ諸国間の休戦協定を監視する国連休戦監視機構(UNTSO)。翌年、第一次印パ戦争の停戦のための国連インド・パキスタン軍事監視団(UNMOGIP)も派遣された。その後の1960年に発足した国連コンゴ活動(ONUC)は、初の大規模ミッションとして、最盛期には2万人近くの軍事要員を展開していた。

1948年から1974年の間にPKOが実施されたのはわずか12カ所。しかし1990年代にPKOの数は増加し(1992〜2015年まで年間平均17件未満)、北米を除くすべての大陸に展開された。この増加には二つの要因がある。

第一に、冷戦時代、安保理常任理事国である米国とソ連は、それぞれの領域、特に戦略的に重要な国への外部からの干渉を警戒していた。そのため、その間に配備されたPKOは少なかった。第二に、1950年代のPKOは国家間の紛争の対応を目指していたが、1990年代以降、国内紛争が増えるにつれて、国連は国家内政に直接対処することを求められた(注:ただ正確には、ほとんどの紛争は純粋に国内的な理由によって引き起こされていない)。国連憲章第39条に基づき、内戦は国際平和に対する脅威となり得ることが認められている。

上記の二つ目の理由から、PKOは包括的和平協定の履行を確保する目的で、複合化した任務(選挙監視、文民警察業務、人権監視、法執行支援、社会基盤の整備等)を担うようになった。カンボジア、アンゴラ、ルワンダ、リベリアでは迅速な選挙実施などを伴う平和構築ミッションが「短すぎる」と批判された。

こうして、1990年代後半には、紛争後の平和の持続性に焦点をあてた、より長期的な国家建設を伴う新たなPKOが展開された。西側諸国は「国家の破綻」と「国家の脆弱性」を、人間と国家の安全保障に対する主要な脅威であり、国際的な介入によって「是正」できると認識していた。

文民保護への任務拡大

同時期に、PKOの任務は文民保護にも拡大した。

それは、1990年代にルワンダとスレブレニツァで国連がジェノサイドを防ぐことができず、大量の文民が殺戮されたことで、PKOの文民保護の任務が検討され始めたからだ。文民保護はそもそも国家の義務だが、国家にその能力や意思がない場合、文民保護がPKOの任務に含まれる場合がある。

PKO部隊は文民保護の意思を持てるか

ここで、前述したPKO軍事要員はそもそも文民保護の意思を持っているのだろうか?という問いを検証したい。

国連には自身の軍隊がない。それぞれの活動に必要な軍隊要員・文民要員は、加盟国が提供する。PKO要員の多くは軍人で、南アジアやアフリカ諸国の軍隊が数多く派遣されている。

しかしPKO軍事要員は主に二つの理由から文民保護の意思が低いか、あるいは意思がないと指摘されている。

一つ目は、そもそも戦闘員を訓練する軍隊という組織では、紛争地域における弱者である住民の保護に関心が薄まるような訓練を課される点だ。

米軍とカナダ軍関係者に聞き取り調査をしたフェミニストの研究者によると、軍内で新兵らの市民性は剝ぎ取られ、兵士として再建される。新兵は、「弱虫」「ニガー」 (黒人を指す蔑称) 「お前らは女だ」など、性別、人種、同性愛嫌悪の侮辱に直面する。若い兵士たちは、自分の中の「他者」を否定し、実際に抹殺することを学ぶ。だからこそ、軍隊は長い間、他民族や人種集団のメンバー、ゲイの男性、レズビアン、女性を含む「他者」に抵抗してきたのだ。

このような訓練を受けた兵士としての態度は、米軍とカナダ軍に限った問題ではない。両国軍はPKO派遣国をはじめ世界各国の軍隊を訓練しているため、上記の「他者」扱いなどの態度は他国にも悪影響を及ぼしているだろう。

二つ目は、PKO派遣国が自国軍兵士を派遣する動機として国益を挙げていることだ。どこの政府であれ、PKO派遣を平和貢献のイメージや国の存在感を高めるのに効果的だ。自衛隊でも東ティモール、ハイチや南スーダンで日本政府・企業・NGOと一体となる復興開発援助「オールジャパン・アプローチ」が実施されたが、その目的は日本の顔をよりよく見えるようにすることだと言われた。一般人より軍隊の方がビジビリティーが高いのは、軍隊は集合体で動くため大変目立ち、また軍隊の主要な特徴は指揮系統なので、政府の命令に常に、そして迅速に従うことになっているからだ。

イメージや存在感の向上に加えて「実益」もある。「途上国」と「先進国」どちらの部隊にとっても、PKOへの参加は給料の面でもキャリアの面でも大きな収穫となることはよく知られている。さらに、多国籍PKOの派遣先は軍事的専門知識を交換しあえる場でもある。

その上、派遣先が天然資源の産出地域であれば、資源のアクセスの面でも大変魅力的だ。インド、パキスタンや南アフリカなどが、資源が豊富なコンゴ東部において長年軍を派遣し続けている理由は、まさに利権が絡んでいるからだと指摘されてきた。 

日本ではほとんど知られていないが、パキスタンとインドのPKO部隊がコンゴ東部で武器を鉱物と交換したことについて触れたい。パキスタン軍は2005年から2006年にかけて、金(きん)を取引し、武装解除するはずの武器をコンゴの民兵組織に売っていた。 これらのPKOは、国連主導の軍縮プログラムの下で武装解除されたばかりの民兵を再武装させていた。

しかも筆者がコンゴ東部に勤務中に入手した2008年の国連内部監視局の機密調査報告書によると、インドのPKOは、上記以外に、ルワンダ反政府勢力と弾薬を象牙と交換するために国連ヘリコプターを使用して国立公園に飛来し、また戦争犯罪人と呼ばれた反政府勢力の指導者(ルワンダ政府が支援)に食料、弾薬、軍服、情報を提供していた。それゆえ、インドのPKOは「ルワンダ反政府勢力と常習的に親しくし、武装解除を怠っていた」とされている。

国連調査チームの報告書が国連自身によって発禁処分されたが、それは国連高官によると、最大のPKO派遣国であるパキスタンとインドへの「政治的影響を避けるため」だったという。

さらに筆者が聞き取り調査をした元ルワンダ軍の要員は、ルワンダ政府がMONUCのトラックを使ってコンゴの鉱物をルワンダに密輸し、ルワンダ領内でそのトラックから鉱物が降ろされている様子を目撃した。

これまでPKOとルワンダ政府がそれぞれコンゴの鉱物を密輸していることは国連などの調査で明らかになっていたが、この二つのアクターが協力して密輸していたことはこの聞き取りで初めてわかった。

コンゴでの国連PKOの矛盾した任務

それではMONUC/MONUSCOは、なぜ文民を保護できなかったのだろうか?指摘したいのは、MONUC/MONUSCOが帯びた任務の矛盾だ。

MONUCの主要な任務には、武装勢力の武装解除や治安部門の改革におけるコンゴ軍への支援と、文民保護がある。しかし、この二つは矛盾している。

なぜなら、MONUCはコンゴ政府(軍)への支援を通して民間人を保護することになっているが、支援を受ける側のコンゴ軍の将校や兵士は、他の多くの反政府勢力の高官や兵士と同様に規律に欠けていたり、きちんとした訓練を受けていなかったりして、長期間にわたって深刻な人権侵害や戦争犯罪に関与している者もいるからだ。PKOによる人権侵害の加害者(コンゴ軍)への支援を通して、文民保護が実現できないのは当然だ。

ではコンゴ軍は同朋の住民の保護に意思や関心はないのだろうか?それに回答するために、そもそもコンゴ軍がどのような要員で構成されているのかを知る必要がある。

第一次コンゴ紛争が終了した1997年に、新しいコンゴ軍が創設されたのだが、その際にコンゴ人と外国人を含む様々な集団が新コンゴ軍に潜り込んだ。その中には、ルワンダ政府が創設・支援したコンゴ反政府勢力AFDLの要員、ルワンダとコンゴのツチ、子どもの兵士、旧コンゴ軍の兵士、反乱の進行時にコンゴ軍に徴兵された者などが含まれる。その後も、ルワンダのジェノサイドの加害者とされる旧ルワンダ軍とフツ民兵、そして人数は少ないがウガンダ兵士もコンゴ軍に加入した。なので、コンゴ軍は純粋な「国軍」ではないのだ。

さらに、その新コンゴ軍の参謀長にルワンダ人のジェームズ・カベレベが任命された(その後、ルワンダ防衛大臣に就任し、現在、地域協力担当国務大臣)。そして2004年以降に始まった国連主導の軍統合(反政府勢力要員が国軍に統合して、新しいコンゴ軍を創設するプロセス)の際に、反政府勢力に所属していたルワンダ人が徐々にコンゴ軍に潜入し始めた。PKOはその潜入について把握していたはずだが、黙認していた。1997年以降、コンゴ軍の「ルワンダ化」が進んだため、「ルワンダ軍の傀儡」と呼んでもよいだろう。

ルワンダ軍人がコンゴ軍に潜入したのは、コンゴ東部の住民を弱体化し、同地域が有する資源を確保・支配するためだ。それゆえ、「コンゴ軍」は文民保護の意思があるどころか、逆に文民を排斥してきた。

PKOの公平性の問題に関しては、国連安保理はルワンダ政府関係者が犯した罪を非難できず、ルワンダ政府に偏っていると指摘されてきた(注:ルワンダ政府がM23などを創設・支援してきたなどと報告している国連専門家グループは独立しており、国連全体を代表していない)。例外は、2000年にルワンダとウガンダがコンゴの第三都市キサンガニで戦闘していた際、国連安保理が2カ国の国名を名指しで非難して撤退を要請した一件だろう。 

以上のことから、国連は文民保護の失敗を理由にコンゴでのMONUSCOの撤退を加速させることより、まず上述した課題や矛盾を認識し、PKOが成功する前提条件を整備すべきではないか。

紛争当事者(特にルワンダ政府とM23)だけでなく、PKO部隊自身も平和的解決と文民保護の意思も関心が低い、あるいは関心がないと言える上に、現在、ガザやウクライナに対する注目度と比較して国際社会のコンゴへの「支援疲れ」が見られる。

日本社会、特に国会では、PKOが「平和維持のための必需品」という前提で、自衛隊のリスクや「駆けつけ警護」 の任務を中心にPKO「派遣国」の視点で議論されることが圧倒的に多く、PKO「受け入れ国」の視点が欠けている。PKO派遣国の政治的・経済的動機が優先される中で、PKOが平和維持や平和構築のアクターとしてふさわしいかについても改めて議論を要するべきだろう。

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