24歳にして紆余(うよ)曲折のラガーマン人生を過ごしてきた大嶌一平選手。プロを目指して入学した高校で思うような結果が残せず、大学ではチームメートとのやる気の差に失望。それでも希望を捨てず、信念と根性でチャンスをつかみ一発逆転! 「信じる者は救われる」と信じさせてくれる彼の半生をプレイバック。

--行き場のない“やる気”に頭を抱えた大学時代
僕、ラグビーを除いたら、取り柄が一切ないんですよ。5歳で始めてからラグビーしかしていないし、ラグビーのことしか考えずに生きてきたので。そんな僕に文句一つ言わないどころか「お前の好きなようにしたらいい」とサポートし続けてくれた家族には頭が上がりませんね。

ラグビー人生で一番つらかった時期は、大学時代。ラグビーで生きていく!と決めて入学した高校で思うような結果が残せなくて……。勉強もまったくしてこなかったので、志望していた大学に入れなかったんですね。強豪校から一転、大学のチームメートのほとんどは「ラグビー=趣味」というスタンス。練習の内容から部員のモチベーションまで、ギャップがすごすぎて……果たしてここで成長できるのだろうか、と頭を抱えました。

でも、どうしてもラグビー選手になる夢を諦められなかったんですよね。とりあえず自分にできることから始めよう!と、技術を磨くことに集中しました。とはいえラグビーはチームスポーツ。自分だけがどれだけ頑張っても勝利にはつながらず、負けるたびに悔しさばかりが募りました。

--人一倍の努力が、チームメートの心に響いた!
1年生の僕が1人で先輩たちを言葉で説得するのは到底無理なこと。しかも人見知りで口下手ですし(笑)。どうやったらみんなを巻き込んでいけるだろう……と考えたときに、態度で示すしかない!と。誰よりも早くグラウンドに出たり、誰よりも長くトレーニングをしたり。同学年のチームメートには、積極的に「もう少しやろうぜ!」と声をかけていましたね。

そんなことを地道に続けているうちにみんなの練習態度が徐々に変化して、居残りするメンバーも増えていった。人って、頑張れば頑張るほど、結果が欲しくなるものなんですよね。そして勝ちたい、という気持ちが強くなれば、そのぶん練習への熱量も高くなる。そんな相乗効果で、年を重ねるごとにどんどん順位が上がっていき、4年次にはなかなかいい結果を残すことができました。

たしかにつらい経験ではあったけれど、このおかげでコミュニケーションスキルがだいぶ上達しましたね。当時のチームメートはみな普通に就職していますが、プロになった僕をとても応援してくれていて。試合前にはSNSで連絡をくれたり、名古屋で試合があるときには駆けつけてくれたり……彼らの存在が大きな励みになっています。そして何より、諦めずに頑張ることの大切さを、身を持って実感できた。この学びは今も大切に心に刻まれています!

--ラグビー馬鹿な僕を最後まで信じてくれた両親と兄
4年生の試合も終わり、チームメートは一斉に就活モードに。でも僕はやっぱりまだ、プロ選手の道が諦められず……。そんな僕を見かねてか、監督が留学の話を持ちかけてくださったんです。これが最後の賭けだ!と、ニュージーランドへの留学を決心。当時の僕はひいき目に見ても、プロになれる可能性はほとんどなかったでしょうね。それでも両親は、「行きたいなら行ってこい」と言ってくれて。当時すでに働いていた兄まで加わって、家族みんなで費用を出してくれたんです。

ちなみに僕がラグビーを始めたきっかけは兄です。今も消防士として働きながら、地元のクラブチームでラグビーをしているんですよ。僕の試合にもしょっちゅう顔を出してくれて、僕もオフシーズンに地元へ帰って兄のチームの練習や試合に参加することも。プロになれなかったら、兄と同じように消防士になろうと思っていたほどです(笑)。

--選手生命を賭けて、ニュージーランド留学へ
ニュージーランドでは、クルセイダーズというチームのアカデミーに半年間在籍していました。英語なんて一言も話せない状態で行ったので、当初は不安でいっぱいでしたが……一瞬で吹き飛ぶほど楽しかった! ニュージーランドでは公園に行けば小さな子供たちがこぞってラグビーをしていたり、街のいたるところにゴールポストがあったり、ラグビーが生活の一部なんですよ。そんな環境でプレーできることが、うれしくて、うれしくて。

チームメートと言葉でのコミュニケーションがとれないから、とりあえずここでもまた誰よりも練習を頑張りました(笑)。さすがプロの集団とあって、ラグビーに熱心な僕の姿を見てみんなとても暖かく迎え入れてくれました。毎日練習するうち、なんだかんだ意思疎通ができるようになっていった。後半ではみんなで旅行をするほど仲が良くなり、今でもSNSで連絡を取り合っています。

--失敗を恐れない、NZラグビーのメソッドに感動!
ニュージーランドのラグビーで一番印象に残っているのが、失敗を恐れずにチャレンジする姿勢。日本では確実に成功するパスを推奨するコーチが多く、リスクの高いパスは禁物なんです。でも向こうでは、いやいや無理やろ!っていうパスがガンガン飛び交う。おのずとミスも増えるわけですが、向こうではパスを投げた人だけでなく、取れなかった方も悪いと考えるんですね。

投げる方と受ける方、お互いが協力し合ってパスをつないでいくべきだという教えを日本で受けたことがなかったので、ハッとさせられました。1人の責任にならないからみんな恐れずにどんどんチャレンジできるし、結果、めきめきとスキルアップしていく。これは今後、日本のラグビー界を担っていく一員として、ぜひ浸透させていきたいメソッドです!

--一発逆転! 人生最大の幸運が舞い込む
ラグビーでも私生活でも実りの大きなニュージーランド留学だったのですが、ラストに最大のラッキーが待ち受けていたんです。いつものように練習をしていたある日、視察に訪れていた三菱重工相模原ダイナボアーズのコーチから声を掛けていただいたんですよ!! 帰国したら、うちのチームの練習に参加しないか、と誘われて。参加するなかで正式にオファーをいただき、念願のプロに! ……改めて、奇跡のような話ですよね。自分で話しながら感動しちゃいました(笑)。

プロ選手になった今、まだまだ思うように試合には出られていませんが、やる気と根気だけは誰にも負けない自信があります。練習やトレーニングにかける時間もそうだし、同じポジションで試合に出ている選手のプレーを徹底的に研究したり、自分の持ち味のスキルを磨いたり。理想とする先輩がたくさんいる環境で、大好きなラグビーを仕事にできる幸せをかみしめる毎日です。

--”ラグビー一本”の人生はそろそろ卒業!?
僕はラグビー一本で育ってきたのに対し、先輩方は趣味も多彩なのがスゴイ! 最近、少しずつ余裕が出てきたので、“大嶌といえば!”という趣味を探している最中です。これかな?と手応えを感じているのが、家具のDIY。自宅のアイランドキッチンに並べるテーブルを探していたんですけど、ぴたっとハマるサイズがなかなか売っていなくて。ホームセンターをハシゴするうち、自分で作った方が早いんじゃないか?と思い立ったんです。

実際に作ってみたら、これがなかなか楽しくて。作ったと言っても、ホームセンターでカットしてもらった木材を組み立てるだけなんですけどね(笑)。思い描いていたテーブルが完成して、一緒に住んでいる彼女も大喜び。やっぱ自分で作ると思い入れも違いますね! それを機に、ソファーテーブルも作っちゃいました。今後のことも考えてドリルも購入。次は下駄箱とテレビ台を作ってみたいんですよ。プロフィールに堂々と書けるくらい上達させて、公私ともに充実した男、目指していきます!(笑)

大嶌一平(おおしま・いっぺい)1995年8月22日生まれ、大阪府出身。ポジション:スクラムハーフ(SH)、172cm/78kg。ラグビーをしていた兄の影響で、5歳のときにスタート。常翔学園高校を卒業後、名城大学へ進学。4年生の時、留学先のニュージーランドで三菱重工相模原ダイナボアーズのコーチから声を掛けられる。帰国後、同チームの練習に参加する中スカウトされ加入。