パリ五輪開幕まで17日であと100日となった。サッカー日本代表のFW浅野拓磨(29)=ボーフム=が、このほどオンラインの合同取材会で報道各社のインタビューに応じ、8大会連続の五輪を目指してアジア最終予選を兼ねたU―23(23歳以下)アジア杯に挑む後輩にエールを送った。自身は16年リオ五輪に向けた最終予選で活躍。アジアではなく、世界で戦う意識を常に持つ大切さを説いた。(構成=田中 孝憲)

 日本が五輪予選に挑むのは、16年リオ大会以来、8年ぶりだ。今回、アジアからパリ大会への出場枠は、22年カタールW杯(4・5)よりも少ない3・5。浅野は、16年のU―23アジア選手権でリオ五輪出場権獲得に貢献したが、簡単な道のりではなかった。当時の日本は、準々決勝・イラン戦(3〇0)で0―0から延長の末に、準決勝・イラク戦(2〇1)も後半アディショナルタイム(AT)のゴールで制すなど苦難の連続だった。その記憶を思い返した。

 「(開催国枠での出場だった21年)東京五輪も、東京じゃなかったら負けていたかもしれない。リオ予選は相手に勝利が転がっててもおかしくない、劇的な勝ち方して勝ち上がった試合もあった」

 浅野はカタールW杯1次リーグ・ドイツ戦で劇的な決勝点を奪って世界を驚かせた。自身の豊富な経験を踏まえても、やはり「アジアの戦い」は簡単ではないと指摘した。

 「アジア予選から『世界の戦い』という感覚で戦わないと勝てない。僕たちは(今年1〜2月の)アジア杯(8強)で結果を残せなかった。その気持ちが弱かったかと言えばそうじゃないけれど、やはり『アジアの戦い』と思って挑んだらやられる。それは、どのコンペティション(大会)も一緒だ。どの試合も簡単じゃない」

 では、どう戦うべきか。五輪を目指す今回のU―23日本代表には、FW細谷らA代表経験者がいる一方で、MF平河らアジア予選の経験が少ない選手もいる。チーム内で経験値に差があり、その難しさもある。

 「一人ひとりの感覚が違うからこそ、(意思疎通などを)合わせるのはすごく難しい。同じ方向を向いたときに、全員が全力を出せるようなチームにならないと難しい展開になる」

 だからこそ一致団結して先頭に立つ選手が現れ、常に五輪本大会決勝のような気持ちで挑むべきと説く。

 「リーダーがすごく大事になってくる。それについていく人、負けずに引っ張っていく人、いろんなタイプの選手がいると思うけど、全員が日本の勝利のために何をやるべきなのかを考える。アジアの戦いを頭から消して、目の前の試合に対して『五輪で優勝するんだ』という、常に決勝戦のような感覚でプレーできれば、間違いなく日本は予選を突破できる」

 8大会連続の五輪出場へ重圧のかかる戦いが始まった。エールも忘れなかった。

 「五輪に行くためという考えよりも、目の前の一戦に全力を出すこと。あとは運がどっちに味方するかの勝負にもなってくる。僕らの世代は、(サッカーの神様が)ほほ笑んでくれた試合がいくつかあった。とにかく全部を出し切ってほしい」

 今夏のパリで、後輩たちが表彰台に立つ姿を願った。

 ◆16年U―23アジア選手権・リオ五輪アジア最終予選 手倉森誠監督が日本を指揮し、浅野のほか、植田直通、鈴木武蔵、大島僚太、井手口陽介らの主力で挑んだ。1次リーグは3連勝で突破。準々決勝・イラン戦は0―0で90分を終えて延長戦に入り、中島翔哉の2ゴールなど3―0で勝利。準決勝・イラク戦では1―1の後半ATに原川力が決勝ゴールを決めてリオ五輪出場権を獲得した。決勝の韓国戦では、0―2から後半途中出場の“切り札”浅野が2得点するなど3発で大逆転し、世代別のアジア王者に輝いた。

 ◆浅野 拓磨(あさの・たくま)1994年11月10日、三重県生まれ。29歳。三重・四日市中央工では3年連続で全国高校選手権出場。2013年に広島入団。16年にイングランド・プレミアリーグのアーセナルへ完全移籍。以降はシュツットガルト、ハノーバー、パルチザンを経て現在はボーフムに所属。15年の東アジア杯・北朝鮮戦でA代表デビュー。カタールW杯ドイツ戦で決勝ゴール。国際Aマッチ通算52試合出場、9得点。173センチ、71キロ。弟は札幌のFW雄也。

 J復帰「ない」 浅野はボーフムとの契約が今季で終了する。今後については「ボーフムに残ることもあり得るし、他のチームでプレーするのも十分ある」と去就が決まっていないことを明かした。ただ、「はっきり言えるのはJリーグに戻ってプレーしようという気持ちは、今は持っていない」と国内復帰の可能性を否定。その上で「(欧州)5大リーグであれば、どのリーグでもプレーしたい。(イングランドの)プレミアはもちろん、他の4つの国のリーグでもプレーしたい気持ちはある。でも、ドイツからの(自分への)人気が一番あるかな」と話した。