ドイツ1部・フランクフルトの元日本代表MF長谷部誠(40)が17日、今シーズン限りでの現役引退を表明した。日本代表では歴代最多の81試合で主将を務め、10年南アフリカ、14年ブラジル、18年ロシアと3度のW杯に出場。今季はドイツで現役最年長選手としてプレーしてきたレジェンドが、輝かしい選手としてのキャリアに終止符を打つことを決断した。

 すがすがしい表情だった。動画サイトを通し、全世界に生配信された会見にドイツ語で臨んだ長谷部は「長年、いつかその瞬間がくるに違いないと感じていた。もう5、6年もそんな状態が続いていた。今がそれを終わらせる適切な時期だと思う」と、5月18日のライプチヒ戦で最終戦を迎える今季限りで引退を明かした。身体的に回復に時間が必要となったこと、40歳で次のステップに進む準備ができたことなどを理由に挙げた。

 日本が誇るオールラウンダーだ。浦和入団当初は攻撃的MFで頭角を現し、その後はボランチとして開花。08年にドイツに渡り、サイドバック、近年はリベロなどでもプレーし活躍してきた。ドルトムントで大活躍したMF香川真司(現C大阪)とともに、日本人選手がドイツで活躍するきっかけとなった存在だった。

 日本代表主将でも歴代最多の81試合に出場。10年南アフリカW杯直前、岡田武史監督によりゲーム主将を託された当時は26歳だった。そこから8年。14年ブラジルW杯では、1次リーグ敗退の悔しさを味わった。自身最後のW杯となった18年ロシア大会。直前にハリルホジッチ監督が解任となり、西野朗監督の下でベスト16進出。ベルギーとの激闘で敗れた歴史に残る一戦でも、先頭には長谷部がいた。

 ブラジルW杯当時のザッケローニ監督には「本物のキャプテンは(元イタリア代表の伝説的DF)マルディーニとお前だけだ」と言わしめた。ロシアW杯後、長谷部から主将を受け継いだDF吉田麻也は「彼から学ぶことはたくさんあった。どうあがいても長谷部誠にはなれない」と、その代表引退に号泣。唯一無二のリーダーとして歴代の監督、チームメートの信頼を集めた。

 今季リーグ戦出場は7試合で、13日のシュツットガルト戦では先発して後半39分までプレー。「今でもサッカーをとても楽しんでいますが、(今後は)子供たちと一緒に楽しむこともできる」と父親の顔ものぞかせた。フランクフルトとは27年までの長期契約を結んでおり、引退後もクラブに残って指導者を目指す。会見のバックには「DANKE MAKOTO」(ありがとう、誠)との文字。日本、そしてドイツで偉大な足跡を残したレジェンドが、新たな道へと踏み出す。

 ◆長谷部に聞く

 ―引退理由について。

 「家族などと相談して今がいい時期と総合的に判断しました。娘にはまだ言っていません。学校でばらしてほしくなかったからです」

 ―どのぐらいドイツに残るのか。

 「まだ長く残ることが想像できます。ドイツでコーチングライセンスを取得したいです」

 ―自らのキャリアについて。

 「シーズンが終わったら、自分のキャリアについて話せる。私はまだ大きな目標を達成したいと思っています。それは最後のホームゲームの後にヨーロッパ・カップの出場権を獲得し、ファンと一緒に祝うことです」

 ―サポーターに対して。

 「アイントラハト(フランクフルト)を際立たせる最も重要なことは、何が起こってもサポーターが常にそこにいてくれるということです。そして、来季から私もその一員になります」

 ◆長谷部「まだありがとうは言いません」 〇…長谷部は会見終了後にクラブの公式X上で日本のファン向けに動画メッセージを公開。日本語で「シーズンをしっかりとやりきってから(現役生活を)ゆっくり振り返りたい。まだ今の段階では(応援に対しての)ありがとうは言いません。最後まで頑張ります。それでは!」とすっきりした表情で語った。

 ◆長谷部の記録アラカルト

 ▽主将 日本代表出場は歴代7位の114試合。うち、主将として81試合の先発出場は歴代最多。

 ▽チーム最年長出場 フランクフルトでは23年8月に39歳214日で試合に出場。以後、クラブ最年長出場記録を更新し続けている。

 ▽現役最年長 ドイツ1部の現役選手では最年長の40歳。同リーグでは40歳以上で出場した史上10人目の選手として名を刻んだ。

 ▽アジア人最多出場 08年にウォルフスブルク入団以降、ドイツ1部ではアジア人最多383試合に出場。

 ◆長谷部 誠(はせべ・まこと)1984年1月18日、静岡・藤枝市生まれ。40歳。2002年に浦和へ入団し149試合12得点。08年1月にドイツ1部ウォルフスブルクに加入し、13年までで135試合5得点。13年9月、ニュルンベルクに移籍し14試合0得点。14年からフランクフルトで234試合2得点(17日現在)。日本代表は06年にデビューし、W杯は10年南ア、14年ブラジル、18年ロシア大会の3大会で主将で出場。代表通算114試合2得点。180センチ、72キロ。右利き。妻はモデルの佐藤ありさと子供2人。