7月26日開幕のパリ五輪まで約3か月。バレーボール男子日本代表の主軸・高橋藍(らん、22)=モンツァ=は、世界最高峰リーグ・イタリア1部セリエAで躍進中だ。シーズン中の左足首負傷から復帰を果たし、自身初となったプレーオフでモンツァを23季ぶりの決勝に導いた。特別コラム「百花繚藍(ひゃっかりょうらん)」の第6回はイタリア奮闘記。1972年ミュンヘン大会以来となる男子日本の52年ぶり五輪金メダルへ、世界の舞台でつかんだ「自信」を熱く語った。

 モンツァは決勝進出を決めました。(自身初の)プレーオフを戦うことで僕自身、すごく自信を得られました。勝たなければいけない状況での勝負強さとか、MVPも取ることができましたし、難しい試合でパフォーマンスを出せたことが一番自信になりました。パリ五輪はさらに緊張感が上がると思いますが、この舞台で戦える選手だと自信を持つことは、五輪にもつながっていくと思います。

 OQT(出場権を獲得した昨夏のパリ五輪予選)を終えて、今季はチームの「軸になる選手」となり、「引っ張っていく」ところを意識してきました。そのためにはパフォーマンスを維持することが重要でした。以前は波があり、いい時はいいけど、悪い時は交代したり。今季は調子が上がってこない日は求めすぎず、大事な場面での一本に集中。チームスポーツなので自分が決めなくても、他の選手がいると考え、ボールをつなげることに意識を持つなど(安定したのは)常にメンタルをコントロールできたことが大きいと感じています。

 1月のベローナ戦(2●3)では左足首を捻挫してしまいました【注1】。これまで捻挫して立てなくなったことがなかったので「これは悪いかも…」と。シーズン後半にかけて調子を上げていくところで「この流れでか…」と最初はショックでした。(日本代表のフィリップ・)ブラン監督からすぐに連絡が来て「焦らず治して」と。石川(祐希)選手も見てくれていて「がっつりいったね」とメッセージを下さいました。チームメートも声をかけてくれて。OQTから休みなく来たので、いい休みの期間だとポジティブに捉え、復帰した時に100%で臨めるようにと(リハビリに)取り組みました。

 (2月のミラノ戦で実戦復帰し、石川との日本人対決に臨み)石川選手は日本人選手ですが、セリエAで当たり前にやっているトップ選手だと改めて感じましたね【注2】。9シーズン戦ってきた経験や、石川選手が築き上げてきた地位は、本当にすごいなと刺激をいただきました。

 この春に日体大を卒業しました。これからもプロバレーボール選手として夢に向かって集中し、自分がやりたいことを全力でやっていきます。(目標の)五輪のメダルに懸かってくると感じるので(代表では)レシーブ力に加え、一本を取りたい場面で託される選手になっていかないといけないと思います。今季、自分自身が求めてきた「軸となる選手」というところでチームに貢献していきたいです。

【注1】1月24日の後半5節のベローナ戦。高橋は第3セットまで先発し、チーム3位の13得点と好調だった。だが、モンツァが2セット連取し第3セットの17―16の場面で、レフトからスパイクを打って着地した際に左足首を痛めて倒れ込み、ベンチに下がった。MRI検査を受け、捻挫と診断。高校時代以来の負傷後は、松葉づえでの歩行も経験。レシーブ練習から再開し、地道なトレーニングで復帰を目指した。

【注2】2月14日の後半8節、石川が所属するミラノ戦。高橋はセット途中から守備要員で出場。レシーブで貢献し、左足首負傷後、リーグ3戦ぶりのコート復帰を果たした。一方、ミラノの石川は、全4セットで先発し、チーム最多の14得点でけん引。昨年12月には石川が腰の状態不良で欠場しており、リーグでは今季初の日本代表同士の対決が実現した。試合はモンツァが3―1で勝利した。

 ◆高橋 藍(たかはし・らん)2001年9月2日、京都府生まれ。22歳。小学2年でバレーを始め、京都・東山高3年時の19年度に全日本高校選手権で優勝。日本代表初選出は20年2月。同年4月に日体大に進み、2年時に初出場した21年東京五輪で8強。同年11月にセリエAのパドバと契約し、今季、モンツァに移籍。今春に日体大を卒業。最高到達点は343センチ。188センチ、83キロのアウトサイドヒッター。