●日常「当たり前じゃない」 

 「父で最後にしてほしかった」。昨年5月の奥能登地震で唯一の犠牲者となった内灘町の増田信二さん=当時(65)、珠洲市出身=の次男(33)が4日までに、発生から1年となる現在の心境を語った。「もう誰も地震で亡くならないで」と願っていたが、元日に能登半島地震が発生。同じように家族を奪われた人が大勢いることに心を痛め、「一日一日を『当たり前じゃない』と思って生きていきたい」と、何気ない日常の尊さをあらためてかみしめた。

 増田さんは昨年5月5日午後2時42分ごろの地震発生時、珠洲市正院町の倉庫を修理していたところで激しい揺れに襲われ、はしごから転落した。近くに妻の実家があり、休みのたび、群発地震で傷んだ家屋の手入れのため珠洲を訪れていたという。

  ●徐々にさみしさ

 あの日から1年、増田さんの次男は「亡くなった当初は悲しむ余裕もなかったが、今は日々、さみしさを感じている」と吐露。「頼りになる父だった。いなくなった喪失感がある」と突然の死を嘆いた。

 増田さんの遺骨は四十九日法要の後、珠洲の墓へ納められた。以降、次男は、家族とともに被災した珠洲市内の母親の実家へ何度も足を運び、家財道具を運び出した。作業を終え、解体を待つ中で、能登半島地震が起こった。

 元日は内灘町の自宅で被災し、「みんな無事であってほしい」と祈った。しかし、時間がたつにつれ大勢の死者が確認された。「自分たちと同じか、それ以上に悲しい思いをした人たちがいると思うと言葉にならない」

  ●墓にブルーシート

 能登半島地震では、父が眠る珠洲の墓も崩れた。遺骨が雨風にさらされる状態になったが、珠洲に住む親戚がブルーシートで覆ってくれた。次男は「自分たちが被災したのに、私たち家族のことまで心配し、気に掛けてくれた」と感謝。能登の人たちの優しさを、あらためて感じたという。

 能登には、大型連休を利用して大勢のボランティアが現地入りするなど今も懸命の復旧作業が続く。次男は「関わってくれる全ての人に感謝を伝えたい。父や地震で亡くなった方々の冥福を祈り、能登に日常が戻るよう願っている」と話した。