茨城県筑西市出身の陶芸家、板谷波山(1872〜1963年)を顕彰する同市甲の板谷波山記念館で、波山ゆかりの石碑がにわかに注目を集めている。地元住民が波山に贈った石碑の一部に、波山と交流のあった鋳金家で歌人の香取秀真(ほつま)(1874〜1954年)が詠んだ和歌が刻まれていたことが判明。三重県桑名市博物館が秀真の日記に石碑の記述を見つけ、連絡を受けた記念館が碑面に和歌の一部を確認した。

秀真は千葉県船穂村(現印西市)出身で、波山が進学した東京美術学校で鋳金を学んだ。古典的で品格高い香炉や花瓶などの作品が評価され、パリ万国博覧会(1900年)に参加するなど国際的に活躍。金工史の研究で多くの著書もまとめており、53年には鋳金家として初の文化勲章を受章した。俳人の正岡子規門下の歌人としても活躍し、歌集も残している。

石碑は縦100センチ、横140センチ、厚さ90センチ。碑面の中央に「板谷波山先生誕生地」とあり、その横に和歌の一部が確認された。秀真の日記「里山辺より鵠沼(くげぬま)」によると、和歌は「誉(ほまれ)ある 名を後(のち)の代に 語りつぎ 云(い)いつくべみと 石文(せきぶみ)をたつ」。日記には石碑の絵に加え、「新聞切抜あり」とも記載があるが、詳細は不明という。

記念館によると、石碑は地元住民が48年、波山の生家に建立した。財団法人「波山先生記念会」が63年に生家とともに譲り受け、80年に記念館を開館した。これまでは和歌の情報がなかったという。

2022年に波山と秀真の企画展を開いた三重県桑名市博物館の鈴木亜季さん(34)が準備作業中、東京文化財研究所(東京都)が所蔵する秀真の日記に石碑の記述を発見した。波山を研究するしもだて美術館の学芸員、橋本空樹(うつき)さん(28)が連絡を受け、石碑の朽ちた部分に和歌の「誉」や「石」などの文字を確認した。

波山と秀真は長く親しい友人で、共に東京・田端を拠点に活動。同時期に文化勲章を受章したり、皇室の美術を制作する「帝室技芸員」に任命されたりと共通点が多い。秀真は日記の中で、波山と三重県桑名市に汽車で向かったことや、戦後間もなく波山の妻まるから食べ物などの小包を受け取ったことも記している。

鈴木さんは「波山の名を世に語り継ぎたいと(和歌を)詠んだのだろう」と指摘。橋本さんは「2人の交友関係の深さを示すもの。いつか市を挙げて波山と秀真を紹介する企画展ができれば」と話した。