平安時代の824(天長元)年、弘法大師・空海が「雨乞いの祈祷」を行ったとされる真言宗寺院・神泉苑(しんせんえん 京都市中京区)で今年(2024年)1月と3月、1200年を記念した法要が開かれた。

 神泉苑は、794(延暦13)年に桓武天皇により禁苑(きんえん・宮中の庭園)として造営された。 平安京(大内裏)の南東隣に位置し、869(貞観11)年には疫病退散を願い始まった祇園祭のルーツ「御霊会(ごりょうえ)」も開かれた。

 当時は日本中で日照りが続き、 穀物や野山の草木が枯れ果てた。

 空海は淳和天皇の勅命で、神泉苑の池畔で8人の弟子とともに雨乞いの祈祷をすると、北インドから勧請(かんじょう/ 呼び寄せる)した善女竜王が現れて三日三晩雨を降らせたとの伝説がある。説話集「今昔物語集」の巻十四にも記されている。
 これ以降、神泉苑の池には善女龍王が住むとされ、神仏習合の時代の面影を色濃く残している。

 神泉苑は、牛若丸こと源義経が静御前と出会った場所としても知られる。一ノ谷や壇ノ浦の戦いなどを勝利に導いた義経が、「雨乞いの舞」を舞う白拍子の静御前を見初めたのが神泉苑だったという伝説も残されている。

 空海の雨乞いから350年あまり経った1182(寿永元)年、日照りが続いたため、後白河法皇が神泉苑の池で100人の僧に読経させたが効験がなかった。そこで100人の容顔美麗な白拍子(※)に舞わせ雨が降るよう祈らせたものの、99人まで効験がなかった。しかし静御前が舞うとたちまち黒雲が現れ、3日間雨が降り続いたという。
 今年も5月3日夕方、神泉苑祭で”静御前の舞”が奉納されるという。

※白拍子〜平安末期から鎌倉時代にかけて流行した男装の歌舞、またはそれを舞う女性