25日に発生から19年となった尼崎JR脱線事故。事故当時、近くの工場にいて、発生直後の救助活動に加わった中川政樹さん(81)=兵庫県西宮市=は、今年も事故現場で手を合わせた。

■「もっと多くの人を救えたのではないか」後悔の念消えず

 あの日、「ドン」という音を聞き、急いで現場に駆けつけた。横転した電車がマンションの地下駐車場に突っ込み、周囲はガソリンの強烈な臭いに包まれていた。救助に加わり、誰かが持ってきたはしごを必死に押さえた。

 2両目には事故の衝撃でできたとみられる裂け目があった。「ドンドン」。誰かがたたく音がして、女性と思われる手が出てきた。必死に手を伸ばし、手を握った。早く助け出そうと電動工具を使おうとしたが、ガソリンに引火する可能性があるため断念。従業員にはさみやバールなどを持ってきてもらったが、なかなか出入り口は開かなかった。

 「もっと多くの人を救えたのではないか」。19年たった今も、当時の光景がよみがえり、後悔の念が消えない。事故現場で手を合わせると、自然と涙が出た。

 現在も現場近くで鉄工所を営む中川さん。当時のことは、同僚にも積極的に話すようにしてきた。「事故を忘れず、生きたくても生きることができなかった乗客の無念を伝え続けることが大切でしょう」。遠くを見つめ、言葉をかみしめるように話した。(浮田志保)