伝説の始まりとなった「驚愕の最終回」

 3月27日は、アニメ界に伝説が誕生した日です。1995年10月4日にスタートしたTVアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』(テレビ東京系)の最終回が放映されたのが、1996年3月27日でした。

 庵野秀明監督によるオリジナル作品『新世紀エヴァンゲリオン』(以下『エヴァ』)は、作画のクオリティの高さと謎めいた展開から、これまでのロボットアニメファン以外からも注目を集めていました。水曜日の夕方18時30分から19時という時間帯ながら、最終回は10.3%(ビデオリサーチ関東地区)を記録しています。

 最終回の内容は、TVアニメの常識を覆したものとして賛否を呼ぶことになりました。アニメ史に残る事件であり、伝説の始まりにもなった『エヴァ』の最終回を振り返ります。

ついに発動した「人類補完計画」

 事件はすでに、前週放送の第25話「終わる世界」から始まっていました。14歳の少年・碇シンジは、汎用人型兵器・エヴァ初号機に乗り、第24話で最後の使徒を倒します。しかし、そのことから「人類補完計画」が第25話から発動したのです。

 それまでのロボットアニメのフォーマットから大きく逸脱し、主人公・碇シンジの主観による心象風景が2週にわたって描かれていきます。

 TVの画面は、そのまま碇シンジの精神世界です。なぜ自分がエヴァに乗って戦うのかを、シンジは自問自答します。父親である碇ゲンドウに命令されたから、みんなが喜ぶから……。シンジは自分の存在理由を考えますが、彼の悩みは容易には解決されません。シンジの心の葛藤が、静止画やテロップ、モノクロ写真などのコラージュで表現されています。

 同じように、エヴァ2号機に乗る惣流・アスカ・ラングレー、エヴァ初号機に乗る綾波レイ、シンジたちの上官となる葛城ミサトも、それぞれが抱えている悩みを告白します。いわゆる集団カウンセリング、自己啓発セミナーを思わせる展開でした。

 制作が放送スケジュールに間に合わず、当初予定されていたものとは違った最終回になったそうです。静止画やテロップが多用されたため、「手抜きだ」「失敗作だ」と酷評する声があがりました。

 ですが、最終回「世界の中心でアイを叫んだけもの」をアートアニメとしてとらえれば、庵野監督自身の内面をとてもリアルに表現した作品だったと言えるのではないでしょうか。エヴァを操るシンジ少年は、アニメーションの世界に身を投じた庵野監督自身であり、シンジを取り巻くアスカ、綾波、ミサトたちは、当時の庵野監督がイメージする女性像だったように思います。

TV版最終回の「食パン」描写が衝撃だった綾波レイが描かれる、『新世紀エヴァンゲリオン』DVD STANDARD EDITION Vol.2(キングレコード)

「商売っけも全部捨てて、自分の正直な気持ちを」

 TVアニメの常識を、『エヴァ』最終回はひっくり返してみせました。半年にわたる放送を終えた庵野監督は、アスカ役の声優・宮村優子さんとアニメ専門誌「アニメージュ」1996年7月号で対談し、以下のような言葉を残しています。

「でもそこで、商売っけも全部捨ててしまって、自分の正直な気持ちをフィルムにやっておきたかったっていうのが、25、26話だった。ギリギリの選択でしたけど」

 おそらく、玩具メーカーが『エヴァ』のスポンサーだったら、あの最終回はありえなかったでしょう。ロボットアニメとしての常識内で、物語を終えることを制作サイドに求めたはずです。『エヴァ』の場合は、キングレコードが主導する形で製作されました。『エヴァ』のTV放送後は、キングレコードでソフト化し、大々的に売り出すことが決まっていました。一度視聴しただけでは理解できない難解な物語ゆえに、ビデオ化された『エヴァ』は爆発的な人気を呼ぶことになります。

 話題を呼んだ第25話と最終回は、当初はビデオ版で補完される予定でした。しかし、予想以上に反響が大きく、劇場アニメ『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』(1997年)としてリメイクされます。そして劇場版のエンディングは、アニメファンの間でさらに物議を醸しました。

 2007年からは「エヴァンゲリヲン新劇場版」四部作の公開が始まり、『シン・エヴァンゲリオン劇場版』(2021年)として大団円を迎えたことは、記憶に新しいところです。『シン・エヴァンゲリオン』は、エンタメ性と作家性を見事に両立させ、庵野監督の表現者として成熟ぶりを感じさせました。ずっと14歳の少年のままだった碇シンジを、庵野監督自身が解放した瞬間でした。

都市伝説となった「遅刻する食パン少女」

 伝説の始まりとなった『エヴァ』最終回ですが、とりわけ多くの人の印象に残っているのは、制服姿の綾波レイがトーストを口にくわえ、転校先の学校へ猛ダッシュで登校するシーンではないでしょうか。お約束どおり、こちらも遅刻しそうだった碇シンジと曲がり角で衝突することになります。

 いわゆる、少女マンガにありがちな主人公男女の出会いをコミカルに描いた「遅刻する食パン少女」として知られるシーンです。1989年から91年に連載されたメタフィクションマンガ『サルでも描けるまんが教室』(小学館)で、少女マンガのよくあるパターンとして紹介されていましたが、実際の少女マンガではこのようなシチュエーションはほとんど出てきません。

 シリアスモード全開だった『エヴァ』最終回で、唯一のギャグパートだったために、「遅刻する食パン少女」は多くの視聴者に記憶され、そのイメージが広まっていきました。

 お菓子研究家の福田里香さんは、著書『ゴロツキはいつも食卓を襲う フード理論とステレオタイプフード50』(太田出版)のなかで、「遅刻する食パン少女」は今や「口裂け女」や「トイレの花子さん」のような都市伝説のひとつになっていると指摘しています。TV版の主題歌「残酷な天使のテーゼ」の歌詞にあるように、碇シンジや綾波レイたちはアニメ界の神話になったのではないでしょうか。