ドライバーの待遇改善と社会的認識

 2023年、米国のトラックドライバーが高収入であるという記事が世間を騒がせた。小売り大手のウォルマートは、新人ドライバーでも最高約1400万円、物流大手のUPSのドライバーは最高年収2500万円以上だ。

・米国の給与水準は、日本よりも高い。
・米国のトラックドライバーはオーナードライバーが大半(日本でいう「持ち込みドライバー」。つまりトラックはドライバーの自己所有)

このような違いはあるものの、さすがにこの高待遇には、ホワイトカラーを中心に、やっかみの声が上がっているという。

 この背景には、ブルーカラーであるドライバーは、ホワイトカラーよりも価値の劣る仕事をしているという差別的な認識がある。つまり、

「ドライバーのくせに、私たちよりも稼いでいるなんて許せない」

というわけだ。では日本ではどうか。先日、運送大手の福山通運(広島県福山市)・小丸成洋(しげひろ)社長は、日本経済新聞のインタビューに答え、次のように答えている。

「人手不足はドライバーがいないからではなく、低賃金や労働環境の悪さが要因だ。今後の最低基準は集配車のドライバーで年収600万円以上、長距離ドライバーで700万円以上。基準に満たないドライバーもおり最優先で取り組みたい」

 岸田内閣は国民の所得増加に向けて、「物価高を上回る所得増へ」を掲げているが、それでも、これまで平均が

・大型トラックドライバー:477万円
・中小型トラックドライバー:438万円

だったドライバーの収入が、ここまで上昇するとなると、間違いなく全産業の平均を大きく上回ることになるだろう。日本でも、高待遇を得たドライバー(もちろん全員ではないだろうが)に対するやっかみが、米国同様に生じることは十分に考えられる。そして、これには昨今の

「ドライバーをテーマにしたニュース」

にも問題がある。あくまで筆者(坂田良平、物流ジャーナリスト)の肌感覚ではあるが、物流、とりわけトラック輸送をメインテーマとして執筆するライターは、2020年頃から急増した。

 増えたライターが執筆する記事の多くが、トラックドライバーの窮状(最たるものは、長時間労働と低賃金)を訴えるものだった。その効果は間違いなくあり、結果として、例えば

「ドライバーさんたちがかわいそうだから、再配達は避けないとね」

といった機運が消費者のなかにも広まるようになった。だがもし、ドライバーが“かわいそうと思える存在”ではなくなったら――。

 全産業の平均をはるかに上回る収入を得られるようになり、また長時間労働に代表される労働状況が改善され、健全化されたら。消費者(そして企業)の意識が変わり、

「それだけ高待遇を得ているんだったら、しっかりと働けよ」

と逆風が吹き始め、再び過重労働を求められるようになることを、筆者は懸念している。

物流トラック(画像:写真AC)

「送料無料表示」「再配達」を隔てるもの

 EC・通販における送料無料表示について、岸田内閣が推し進める「物流革新」政策では、見直しを検討していた。過去形で表現したのは、事実上、送料無料表示を容認することになってしまったからである。

 2023年6月に政府が発表した「物流革新に向けた政策パッケージ」には、次のように記されている。

「運賃・料金が消費者向けの送料に適正に転嫁・反映されるべきという観点から、『送料無料』表示の見直しに取り組む」

だがこの主張は、同意見交換会に出席したEC・通販業界団体等から否定された。「送料無料が誤解を招くというのは根拠がない」というのだ。

 そもそも、送料無料表示の撤廃(あるいは規制)については、消費者の間でも意見がわかれていた。「当然送料は必要なもの(発生しているもの)だから、無料表示はおかしい」という意見もあれば、「送料が別に掛かるようであれば、EC・通販での購入を控える」という意見もあった。

 再配達の防止については、おおむね消費者の理解が得られていることを考えると、送料無料の見直しが消費者、そして業界団体に受け入れられなかったのはなぜか。

 ポイントは、消費者やEC・通販事業者に痛みが生じるかどうかである。送料無料表示をやめることで、

・売り上げが下がることを恐れた「業界団体」
・見かけ上の負担が増えることを嫌った「消費者」

がこぞって反対をした。痛みを生じる行為に対し、人はどうしても非協力的になってしまうのだ。

「ドライバーがかわいそう」というモチベーション付けだけでは、痛みをともなう変化・改善への協力は得られない。「ドライバーさんもかわいそうかもしれないけど、私のほうがもっとかわいそうだから」となれば、多くの人(企業)は協力してくれない。

 なお、送料無料表示の見直し見送りに関しては、運送業界を代表して同意見交換会に出席したはずのヤマト運輸、佐川急便、日本郵便らが、一様に送料無料表示の見直しに懐疑的な態度を取ったことも、大きかったと筆者は思う。

 この3社には、運送業界を代表するという意識が乏しく、自社クライアントであるEC・通販業界団体への忖度(そんたく)を優先しているように見えるのは筆者だけだろうか。

物流トラック(画像:写真AC)

既に発生している「痛み」

「物流の2024年問題」を筆頭とする物流クライシスにおいて、痛みは既に始まっている。これらの痛みは解消できるものばかりではなく、消費者には今、痛みを受け入れる行動変容も求められている。

 例えば最近、スーパーマーケットなどの店頭に並ぶ一部の加工食品の賞味期限がやけに短いことに気がついている消費者もいるのではないか。筆者は、スティックパンや子ども向けのパンをよく購入するのだが、以前であればある程度の余裕があった賞味期限が、最近では2〜3日程度の余裕しかないことが多くなったと感じている。

 ほかにも、スーパーマーケットやコンビニエンスストアでも、最近商品棚に空きが目立つことに気がついている消費者もいるのではないか。前者は、食品業界の商慣習であった1/2ルール・1/3ルール撤廃の結果であり、後者は配送回数削減の結果である。

 食品の1/2ルール・1/3ルールとは、製造日から賞味期限(あるいは消費期限)の期間のうち、1/2ないし1/3以内の期間に小売店まで届けなくてはならないという業界の商慣習であった。配送回数の削減について、例えばローソンでは2023年12月から弁当・麺類・おかず・サンドイッチなどのチルド・定温商品の店舗配送頻度を、それまでの1日3回配送から2回配送に切り替えている。同様の試みは、他の小売店でも順次開始されている。

 食品に限ったことではないのだが、これまで物流業界は、消費者や企業の「今欲しい」に対応するため、顧客が欲しいタイミングで輸送を行っていた。その結果、賞味期限まで余裕を持った食品が店頭に、しかも常に豊富に並んでいた。

 だがこのやり方では無駄が生じる。極論だが、例えば弁当ひとつ、例えば卵1パックしかなくても、トラックを走らせる必要があり、これが積載効率の低下につながるからだ。配送のリードタイムに余裕を持たせたり、あるいは配送の回数を減らしたりすることで、今まで分散していた荷物を集約し、より積載効率を高めることができる。

 結果、トラック輸送の効率を高めることができるのだが、その副作用が、「賞味期限の短いパン」であったり、「空きが目立つスーパーやコンビニの棚」であったりするのだ。

物流トラック(画像:写真AC)

今「物流クライシス」が必要な理由

 現在、日本社会が直面している2024年問題を筆頭とする物流クライシスの原因のひとつは、

「消費者のわがまま」

である。消費者の「もっとこうしてほしい」を実現するための手間や苦労を、メーカー・商社・小売りなどの荷主は、トラックドライバーや運送会社、倉庫会社が押し付けてきた。結果、ドライバーは

「2割長くて、2割安い」(全産業の平均労働時間よりも2割長時間労働で、収入は2割安い」

という状況に陥った。この境遇をより多くの人に知ってもらうために、「ドライバーはかわいそう」という訴え(≒ニュース)が、大きな効果を発揮したのは確かだろう。

 だが、ドライバーが健全な収入を得ることができるようになり、健全な労働環境で働くことができるようになったとしたら、消費者は、「ドライバーがかわいそうだから」とは思わなく……というよりも「思えなく」なる。つまり、物流クライシスによって生じる痛みを受け入れる理由がなくなってしまう。

 繰り返しになるが、むしろ「ドライバーって今は稼いでいるんだろう。だったらもっとちゃんと働けよ」と逆風が吹き始め、結果的に以前のような過重労働をドライバーであり運送会社に対し、強いる風潮が復活することを、筆者は懸念する。

 ドライバーの待遇を改善し健全化するのは……もっといえば、今、物流クライシスによって生じる痛みに耐えなければならないのは、持続可能な日本社会を作るためだ。私たちの子どもや孫の世代に、健全な日本社会を引き継いでいくために、物流クライシスの痛みに耐えることが必要なのだ。

「物流は産業の血液」と呼ばれる。物流が滞れば、産業が滞り、ひいては日本社会が停滞する。リクルートワークス研究所の試算によれば、このまま物流クライシスを放置すれば、2040年には

「日本の1/4の地域」

は、荷物が届かなくなり、事実上居住不可能になるという。これを防ぐために、私たちは今までの考え方や行動を改め、物流クライシス対策にともなう痛みを受け入れなければならないのだ。そして、今までの考え方や行動を改めるのは、あくまで自分自身(あるいは私たちの子どもや孫の世代)のためであって、「ドライバーがかわいそうだから」という理由を主たる理由にしてはならない。

 繰り返すが、そんな他責の理由では、社会は物流クライシス対策にともなう痛みに耐えられないだろう。

物流トラック(画像:写真AC)

「ドライバー」を食い物にするメディア

「ドライバーがかわいそう」という論調が広まったのは、メディアの“功績”でもある。だがメディアが近年、「ドライバーがかわいそう」というニュースを報じたがるのは、

「数字が取れるから」

という側面があることも事実だ。インターネットの普及によって、情報過多になった今、情報そのものの価値よりも、「人々の関心・注目」を集めることが経済的価値を持つ、アテンション・エコノミー(関心経済)が広がった。

「もっとエモい記事を書いてください」
「そのテーマは、数字(閲覧数)が取れないので却下です」

筆者がメディア(これは文字メディアの場合もあれば、テレビ・ラジオの場合もある)担当者から要求される、この言葉こそが、アテンション・エコノミーの本質だ。そして低賃金で長時間酷使されてきた、「かわいそうな」ドライバーは、アテンション・エコノミーの

「格好の餌」

である。昨今ライターが増え、そして(特に)トラック輸送をテーマとしたニュースが一般メディアでも大きく取り上げられる機会が増えたのは、「かわいそうなドライバー」をテーマにすると、数字が取りやすいからである。

 余談だが、物流従事者がテレビで取り上げられる物流ニュースについて、

「宅配やECばかりだよね」

と不満を訴えることがあるが、これもアテンション・エコノミーゆえである。消費者からイメージしやすいEC・宅配に比べ、物流の大半を占める企業間輸送は数字が取りにくく、したがってニュースにしにくいのだ。

 話がずれてしまった。2024年問題を筆頭とする物流クライシスは、日本社会の将来を左右する一大事である。これを乗り越えるためには、「ドライバーがかわいそうだから」という、

「うわべだけの動機付け」

では、やがて限界が生じる。物流クライシスは、私たちの日常を徐々に侵食し始めている。この痛みを乗り越えるためには、「ドライバーがかわいそうだから」ではなく、

「なんのために今、痛みをがまんしなければならないのか」

その本質を多くの人がしっかりと理解する必要がある。