トロイア戦争を描いたホメロスの叙事詩『イーリアス』における甲冑(かっちゅう)は、戦士の体を保護するだけのものではない。「甲冑は、しばしば戦士のアイデンティティとステータスを象徴し、英雄の規範と結びついていました」と、ギリシャ、テッサリア大学の生理学教授アンドレアス・フローリス氏は言う。「つまり、英雄の名誉と武勇を目に見える形にしたものなのです」

 では、ギリシャの青銅器時代の甲冑は、実際の戦場で圧倒的な優位をもたらしたのだろうか? 古くからのこの疑問に、2024年5月22日付けで学術誌「PLOS ONE」に発表された研究で、現代のスポーツ科学が初めて明確な答えを出した。

 研究者たちが調べたのは、1960年にギリシャのミケーネ遺跡の近くで発掘された紀元前15世紀の「デンドラの甲冑」だ。銅合金の驚くべき鎧一式とイノシシの牙でできた兜からなり、出土した村の名前をとってデンドラの甲冑と呼ばれるようになった。

 デンドラの甲冑の見た目は洗練とはほど遠い。移動式のかまどのような、いかにも鈍重そうなスーツだ。その上、戦いによる損傷がなく、一部の研究者は儀式用に作られたのだろうと考えていた。

 しかし近年の研究は、この甲冑が戦闘に使えるものであることを示唆していた。さらに今回の論文で、後期青銅器時代の兵士たちが、接近戦の中で甲冑の重さと熱さにどのように対処していたかが詳しく調べられた。

 そのうえ彼らの発見は、このスタイルの甲冑が、トロイア戦争などの紛争でミケーネ人を優位に立たせた「秘密兵器」であったことも示唆している。

海兵隊員が長時間にわたり模擬戦を展開

 研究者たちはこの研究のため、ギリシャ軍第32海兵旅団から模擬戦闘を行うボランティアを募集した。

 ミケーネ時代の戦闘を再現するにあたって、研究者たちはその約500年後に成立した『イーリアス』の描写を参照している。ホメロスの戦闘描写を考古学的証拠と比較し、どこまでが歴史的事実である可能性が高く、どこからを詩的表現として捉えるべきかを判断した。

『イーリアス』には時代的にありえない記述もあるものの、「ミケーネ時代の戦闘について現在明らかになっている事実が正しく描写されている部分もあります」と、論文の共著者である英バーミンガム大学の考古学者ケン・ウォードル氏は言う。その正しい部分にもとづいて彼らは模擬戦闘を組み立てた。

 模擬戦闘は、後期青銅器時代の戦士に近い身長、体重、年齢の13人によって行われた。

 彼らは、ミケーネ軍の兵士が移動中に食べていたと思われる食品(乾燥パン、牛肉、オリーブ、ヤギのチーズ、タマネギ、赤ワイン、水)を、栄養計画のもとで慎重に計量された量だけ摂取し、模擬戦闘に備えて眠った。

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