YOASOBIの「アイドル」やCreepy Nutsの「Bling-Bang-Bang-Born」が世界的にヒットしている。サブスク全盛で海外の音楽ファンもJ-POPを楽しめる時代になった。しかし、日本人は自国のポップス史についてどれぐらい知っているのだろうか?
『にほんのうた 音曲と楽器と芸能にまつわる邦楽通史』(KADOKAWA)を上梓した、音楽評論家のみの氏(@lucaspoulshock)。インタビュー前編は、明治維新以降の音楽教育の西洋化がJ-POPへと結実する流れを語ってもらった。インタビュー後編では、執筆に3年もの期間を要した「縄文楽器から初音ミクまで」を網羅する壮大な通史の苦労とやりがい、そして一連の音楽史から見えてきた“日本人像”へと話は及んでいく。

◆「批判も含めて議論が白熱するほうがいい」

―――本書に登場する参考文献の数には圧倒されます。ご自身でも<霧のなかの八合目を、延々と登っているような気分――。>(p.462)と書かれていましたが、改めて苦労された点を教えてください。

みの:大変だったのは、戦前から江戸後期についての箇所です。僕の中での解像度が低かったので、根本から学ぶ作業から始まりました。あとは、レゲエやヒップホップ、テクノに関するまともな本が全然ない!(笑)。だからできるかぎり資料をかき集めてまとめていったわけです。

――それでも、いろいろと指摘してくる人はいる。

みの:はい。X(旧ツイッター)でもいろいろと言われました。ただ、そういった批判的なポストも含めて議論が白熱するほうがいいじゃんという考えですね。でも、いざ本を出してみて、その結果が非難轟々といった感じだったので、“なるほど、だから邦楽通史を書くなんてことを誰もやってなかったんだな”と。完全にやぶ蛇でした。

◆はっぴいえんどと沢田研二、どっちがおしゃれ?

―――(笑)。では、改めてJ-POPのヒストリーに話を戻しましょう。日本の音楽の西洋化、近代化の到達点として、ラジオ局のJ-WAVEが果たした役割に触れています。<J-POPは、伊澤修二率いる音楽取調掛による改革以降、揺れ動いてきた日本人の音楽観が一二〇年以上をかけてようやく着地した地点ともいえる。国家意識の高揚を背景に日本人が求められ続けてきた自分探しの旅(原文傍点)がここでようやく終わったのだ。>(p.397-398)、それを後押ししたのがJ-POPをより洗練の方向にブラッシュアップしてきたJ-WAVEなのだと。その点をもう少し詳しく教えていただけますか。

みの:洋楽的な音楽を解析して翻訳する、いわゆるアーリーアダプター的な人たちを、おしゃれな邦楽として洋楽と並べてキュレーションしたいってことだったんでしょうね。それはたとえばシティポップと言われる人であったり、サザンオールスターズなどが挙げられます。

―――でもそれって本当に“おしゃれ”だと言えるんでしょうか?

みの:僕の感覚で言うと、はっぴいえんどと沢田研二、どっちがおしゃれなのって言われても別に変わらないんです。でも、クリエイターも聞くほうも日本のポップスの歌謡曲臭さみたいなものを消したいという思いは持っていると感じます。でも消せないんですよ。やっぱり日本人で音楽を作る以上は決して消せないし、音楽が好きになればなるほど、その歌謡曲臭さにすごく自覚的になるんです。冷静に平均的な日本人の耳を考えると、視座はだいぶ低くて、やっぱり歌謡的な要素が中央値にあると思うんですよね。

◆“東洋VS西洋”の構図はマチガイ

―――一方で、今年3月にはNHKがアメリカのラジオ局NPRの人気番組「Tiny Desk Concert」の日本版の放送を開始しました。みのさんは、これを機に日本の音楽番組が演奏を聞かせる方向に変わっていくと思われますか?

みの:ポップスの新曲をたまに聞くぐらいの平均的な音楽好きに照準をあわせたら、やっぱり歌を聞いているでしょうね。YouTubeの「THE FIRST TAKE」、「のど自慢」とかカラオケの採点番組とかもそうですよね。NHKの試みは面白いと思うんですけど、歌から演奏へという変化があるとしたら、ゆっくりゆっくり変化していくのではないでしょうか。

 あと、洋楽と邦楽を対立事項で分けるのがそもそもアンフェアなのではないかと思うんです。それって、“東洋VS西洋”じゃなくて、よくよく見ると内と外の話なんですよね。西洋に向かって競争心を持っているような雰囲気がストイックすぎると感じます。

―――それは昔の外交官のエドウィン・ライシャワーも『ザ・ジャパニーズ』という本で指摘していました。日本は世界から認められることがすべてだと思っていると。

みの:やたらとその視点で自分を鍛えようとする。言ってみれば、ドMなんですよね(笑)。

◆明治時代の官僚が変えた日本人の音感

―――なるほど。西洋に競争心を持ちつつも同化しようとしてきたアンビバレントな日本人の心情が浮かび上がってきます。では、それでもなお残った日本のうたのアイデンティティとはどんなものなのでしょうか? 

みの:伊澤修二(明治時代の文部官僚)が主導した西洋音楽の導入で、確かに日本人の音感はかなり変わりました。変わったのですが、日本の伝統文化も含めてひとつの鍋に入れて全部混ぜちゃったというよりは、西洋音楽と伝統音楽、それぞれ別々にフォルダ分けされているという印象です。

 日本人のやる音楽の質感という意味では、だいぶ混ざっているところはあるのですが。ただ、実は邦楽を邦楽たらしめているものは何かというのを探って、あとがきで答えをバーンと出そうと思っていたんです。でも書かなかった。なぜかというと、結局わからなかった。“空”みたいなところに行き着いちゃったんです。

◆YOASOBI「アイドル」が映し出す“日本っぽさ”とは?

―――“空”ですか。その、わからなさ、実体をつかめない感じがあらわれている新しいヒット曲で具体的に思い浮かぶものはありますか?

みの:ネット上でミーム的な拡散をしている楽曲の、面白ければなんでもありみたいな感じには日本っぽさを感じます。TikTokで流れるものとか、YOASOBIの「アイドル」とか、ものすごい曲想が1曲の中でめまぐるしく変わる。集中力が短くなっている現代人に向けて意識的に作っているAyaseくんは、そういう時勢を見抜いているソングライターのひとりですね。

 ともあれ、ひとつの曲の中ですら消費のスパンがものすごく短いですね。だから、アイデンティティやオリジナリティということで言うと、調べれば調べるほどわかんなくなっていく。本当にミステリーなんです。よくよく考えると、日本人って音楽に限らずあらゆるジャンルでその探求をしてますよね。でも多分そんなものないんじゃないですか。

 たとえば、イギリス人がイギリス的なものとは何かなんて考えるようなものかと。イギリスと一言で言っても、ローマ的でありアングロ・サクソン的でありフランス的であり、バイキング的であり、ひとつの要素に断定はできないんですよ。日本は中国とくらべてここが違うとか、そういう部分にこだわってきましたよね。でも今になって、そもそも国ごとに明確なアイデンティティなんて多分ないぞと気づき始めているのかもしれません。

◆日本人の“自分”はどこにあるのか?

―――そのお話をうかがって、吉田健一や伊丹十三が指摘していた問題が浮かんできました。両者の指摘は、日本人ほど“自分たちの力で独自のものを作り出した”ことにこだわる民族はいないということ、その一方で徹底的によそのモノマネができないということです。

みの:他国の文化を取り入れてコンパクトにするとか、洗練させるとかは確かに得意なのだけれど、でもそれってイコールものまねができていないってことですよね。そう考えると、そこに日本人の“自分”がある気がしますよね。あるものをかっこいいと思ったら、その表面だけをまねするけど、その裏側にある思想性までは研究しないのが日本人なのかもしれない。

 岡本太郎が、日本人は文化の毒の部分を摂取しないと言っていたことがあります。でも、そういう深い部分を置いておいて、その場その場でとりあえずやっていくという日本的な良さもあるんですけど。

◆いつか破局的な出来事がやってくる?

みのさん―――なるほど。そう考えると、伊澤修二による音楽教育の西洋化は、それって日本語との相性はどうなのかといったことを国民が考える機会を与えなかった。そのやっつけ感が、良い意味でも悪い意味でも日本のうたの個性なのかなと思いました。

みの:そう。あそこで決定づけられてる感じがしますよね。とりあえず器用にやってしまうあたり、日本っぽいんですけどね。深いところをあまり考えずに、その場その場でやってしまう。そういう日本の長所もある反面、歴史を振り返ると周期的に破局的な出来事がやってくる。そうなって急に我に返る、みたいなこともある。あんまりまたそういうのは経験したくないですけどね。

<取材・文/石黒隆之 撮影/山田耕司>

【みの】
1990年シアトル生まれ、千葉育ち。2015年に3人ユニット「カリスマブラザーズ」を結成。2019年より独立し、YouTubeチャンネル「みのミュージック」を開設。現在、チャンネル登録者数は43万人を超える。また、ロックバンド「ミノタウロス」としても活躍。2021年より、Apple Musicのラジオ番組「Tokyo Highway Radio」のDJを担当している。著書に『戦いの音楽史 逆境を越え 世界を制した 20世紀ポップスの物語』、『にほんのうた 音曲と楽器と芸能にまつわる邦楽通史』(ともにKADOKAWA)がある



【石黒隆之】
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。Twitter: @TakayukiIshigu4