俳優高嶋政宏(58)が6日放送のNHK総合「ファミリーヒストリー」(午後7時30分)に出演。自身のルーツに迫った。

政宏は父高島忠夫、母寿美花代、弟は高嶋政伸、いとこは高嶋ちさ子の芸能一家で育った。母寿美花代は現在92歳。宝塚歌劇団の元星組男役トップスターで本名は松平節子。弟の政伸は母の名字が「松平」だったこともあり、徳川家と血筋を引いていると思って過ごしてきたという。

母方の先祖と徳川家康との関係を追った。名前が判明している先祖をたどっていくと、政宏の母方の曽祖父にあたる松平莞爾さんは明治38年に死去。徳川家の旗本の系譜を調べると、松平莞爾の名前があった。結果、5代前の松平信濃守(しなののかみ)、6代前の松平佐右衛門勝秀(そうえもんかつひで)に行き当たった。

別の資料をたどると、家康の生みの母、伝通院(於大の方)とつながりがあることが分かった。伝通院はは松平広忠との間に家康を生み、その後離別し久松家へ嫁いで3人の子どもを産んだ。1560年の桶狭間の戦いで家康は、坂部城で伝通院と再会。伝通院が久松家で生んだ3兄弟に松平の姓を授けたとされる。その次男にあたる勝俊が松平佐右衛門勝秀と血がつながっているという。

江戸時代に入ると、勝俊の子孫は将軍たちの世話や警護に従事。政宏にとって母方の曽祖父の松平莞爾さんは徳川15代将軍慶喜の護衛を任された。江戸幕府が終了後、静岡・牧之原台地で茶畑づくりを命じられたが、のちに東京へ逆戻り。江戸城無血開城に貢献した山岡鉄舟が開いた「一刀正伝無刀流」で剣術を磨いた。山岡が流派を開いた1880年(明13)に直筆で記した剣道書の4番目の門人として「松平莞爾」の名前があった。

そして政宏の祖父八郎さんは松平莞爾さんの五男として生まれた。そして八郎さんは兵庫・西宮市に移り住み、1932年(昭7)に政宏にとっての母寿美花代が生まれた。

一連のVTRを見た政宏は「合ってましたね。よかった〜」と胸をなで下ろした。莞爾さんについては「武士としての矜持(きょうじ)を保つために剣術で、ギリギリ保たれた。結局、ご先祖さまはみんな苦労してるんだな」と語った。