夏の狂騒曲を経て11月、慶応義塾高校を久々に訪れた。晴天の土曜日、日吉台野球場では高校野球のリーグ戦である「Liga Agresiva神奈川」の横浜翠陵−慶応義塾戦が行われている。

 Liga Agresivaは単なるリーグ戦ではなく、低反発バットの使用、球数制限、スポーツマンシップの学びなど、独自のルールを設定し、勝利よりも「選手の成長」を第一の目標にしている。

新チームが出遅れた感は否めないです

 両チームからは活発な声が上がっているが「ピッチャー、ビビッてるよ」といったようなネガティブな声はない。ファインプレーには敵味方関係なく、大きな拍手が起こる。バックネットの上に設けられた観客席では、両校の家族が観戦している。のどかな野球日和がようやく帰ってきた、という印象を受ける。

「今日の試合は大差になりました。それでも選手たちは個人の課題、チームの課題について考えて野球をして、試合を楽しんでいますから、有意義だと思います」

 森林貴彦監督は語る。新チームになった慶応高校の「現在地」をどのように認識しているのか? 深堀りして話を聞いた。

「夏の大会では3年生が甲子園に、今まで経験したことないぐらい長く滞在してくれたので、その分、新チームが出遅れた感は否めないですね。試合に出る、打席に立つ、マウンドに上がる経験が乏しいので、試合の中での判断力など、あらゆる面でまだまだ先輩たちより劣っていると思います。秋いっぱいはできるだけ実戦をして、冬の間も、実戦感覚を磨くような練習を継続して、来年に繋げたいなと思っています」

下級生は引き継ぎたいけど試行錯誤する部分も

――今年の慶応高校は「甲子園に来てから強くなった」との評判だったが、森林監督はどう思っているのでしょうか?

「この夏に関しては『甲子園に出て満足』という部分は全くなかったです。神奈川で7連勝、甲子園で6連勝して13連勝しようとずっと言ってきました。だから甲子園に来てからもちょっとずつでも成長しよう、そして日本一に近づこうという思いは全員で共有できたと思います。甲子園の舞台に立って、その経験を全部成長の材料にするような貪欲さがありましたね」

――その貪欲さは、今の新チーム、下級生も共有しているのでしょうか?

「そう断言したいところですけど、高校生は、チームが変わる中で、いろんな意味で繋げていくのが難しい部分もあります。

 3年生の姿を目の当たりにして2年生、1年生が引き継ごうとしている部分と、引き継ぎたいけど何をどう引き継いだらいいのかちょっとわからない部分がある。秋も先輩たちほどの結果が出なくて、まだモヤモヤした霧のようなものがあると思います。自分たちはどういうスタイルでやっていくのか、試行錯誤している状況でしょうか」

試合後、リスペクトしようという認識が

――そんな中で、秋にLiga Agresiva神奈川の試合をする事は、選手にとってどんな影響がありましたか?

「スポーツマンシップ的な部分は非常に養われているなと思います。例えば今日のような大差のスコアになると、試合からの実戦的な学びは、正直に言えば多くないかもしれません。しかし試合後に、対戦チームの選手がポジションごとに分かれて話をする『アフターマッチファンクション』で、相手選手と話をして、同じ野球をする仲間、リスペクトしようという認識が、Ligaをやることで一人ひとり植え付けられています。

 たとえ公式戦だろうが、普通の練習試合だろうが、相手選手や審判、サポートしてくれる部員であったり、スタッフだったりを大切にするとか、そういう人間性は非常に養われていると思いますね」

――「アフターマッチファンクション」は、どんなところが優れていると思うでしょうか?

「高校野球では指導者同士が交流、食事をしたりしますけれど、選手たちは自分たちのチームしか知らないで終わることが結構多くて。他チームの選手とは、意外と交流しないまま、2年半が過ぎていくんですね。

 もちろん今は、SNSでいろんなチームの選手が繋がることができるとはいえ、やはり対面で、うちのチームはこういうことやってるよとか、今日の試合でこういうことを感じたといったことを話し合うのは非常に大きな刺激になります。対面でのコミュニケーションを通した刺激っていうのが、すごく大事かなと。『絆』というか、仲間意識は対面じゃないと生まれにくいと思いますね。例えば中学の時に同じチームだった、小学校のときに対戦したなど、話がいろいろ派生していくわけで、それがまた将来につながっていくと思います。そういう仲間意識ができるのが大切だと思いますね」

Ligaで頑張っている皆さんの思いを代弁できるなら

――今夏の甲子園出場で、全国でLiga Agresivaに参加する学校が、大きな刺激を受けた。中には甲子園で慶応を応援した監督、選手もいました。全国的な連帯感が生まれたのでは?

「全国各地の会ったこともないチームでも、Ligaの仲間が活躍してくれると非常にうれしいですから。ま、おこがましいですが『出世頭』というか、皆さんの旗振り役になったり、Ligaで頑張っている皆さんの思いを代弁することができるなら、その役割を喜んでやらせていただきたいと思いますね」

日本一を目指す一方で人間性の部分でも

――来年に向けて、どんな目標を持っているのでしょうか?

「先ほども言いましたが、3年生が甲子園に行って優勝したと言っても、今のチームはまだ何も成し遂げていないわけで。高校野球は3学年のうち1学年が毎年代わるという高回転のサイクルなので、ある程度振り出しに戻る感はあるんですね。だからこのチームで、去年とは同じアプローチではないにしても、自分たちのスタイルを模索しながらトップを目指すことはやっていきたいです。

 昨年がどうだったから、今年はどんな風に進化するなんてことは、なかなか言えないのですが、高校野球としては、やはり日本一を目指す一方で、リーダーになるとか、人間性の部分でも、日本一だよねと言われるようなことも大事で、それを両輪と考えて、一人ひとりを成長させたいと思いますね。

 きっとこれは、終わりがないので、毎年毎年ゴールにはたどり着けずに終わるとは思いますが、ゴールがある限りは毎年挑戦していきたいなと思います」

 試合が終わって、慶応義塾と横浜翠陵の選手がポジション別に集まって、アフターマッチファンクションをしている。最初は固い表情だった選手たちも、次第に和やかな空気になって、いろんな意見を言い合っている。時には笑い声も起きる。こういう牧歌的な風景が、Liga Agresivaの魅力でもある。

相手校も「自分で決めて自分で動くことで成長を」

 その光景を見つめながら、横浜翠陵の田中慎哉監督は語る。

「森林監督に声をかけていただいて、Liga神奈川の立ち上げ時から参加していますが、選手が自分で決めて自分で動くという中で、成長できる。何かがつかめるのがありがたいですね。もともとうちは『考えるちからと挑戦する心をはぐくむ』を校訓としていますから。

 今日の慶応さんは中心選手がたくさん出ていて、結構やられてしまいましたが、それでも選手たちが感じたことはあったので、成長する機会をいただいたと思います」

 慶応・森林監督と横浜翠陵の田中監督ら他校の監督は、甲子園を目指すライバルであるとともに、高校野球を通じて選手たちの成長を促す取り組みをする「同志」でもある。大阪府の数校から始まったLiga Agresivaは、9年目を迎えた今や31都道府県152校になった。「勝利」とともに「選手の成長」を目指す高校野球は、確実に広がっている。

文=広尾晃

photograph by Hideki Sugiyama