近年、休部や統合が相次ぐ社会人野球。企業が野球部を持つ意味はどこにあるのか? 50〜60人の社員が応援団になり、熱心に硬式野球部を後押しするというJR西日本に聞いた。【全2回の前編/後編も公開中】

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もはや「愛社精神」は死語なのか?

「愛社精神」などというものは、もはや昭和の遺物なのかもしれない。社員は家族、みたいな空気感は鬱陶しいばかりだし、みんなで社員旅行なんてのも時代遅れ。半ば強制参加の忘年会も、コロナ禍のうやむやで「ないほうがいいよね」という声が大勢を占めるようになってきた。社員は当たり前のように転職するし、会社もいつリストラをするかわからない。家族だ、愛社精神だ、という時代は終わっているのだ。

 ……と、ありきたりなことを言ってみたが、果たしてそれは本当なのか。たとえば、社会人野球の日本選手権や都市対抗野球。スタンドに足を運ぶと、出場チームの応援団をはじめとする社員たちがスタンドを埋め尽くし、声を揃えて野球部の応援を繰り広げている。選手名のコールにとどまらず、応援歌や社歌まで声を揃えて歌っている。こうした光景をみれば、愛社精神、やっぱりまだまだ健在なんじゃ、などと思うのである。

 社をあげての応援は、社会人野球ならではの雰囲気でもある。プロ野球の応援とも、はたまた高校野球や大学野球とも違う。なかには全国大会だけでなくその地方予選や練習試合にまで足を運ぶほど熱心な社員もいるのだとか。それってただの野球好き……といわれるかもしれないが、“自分の会社の野球部を応援する”という行為は、端から見れば愛社精神そのものだ。

 彼らは、どんな思いで“我が社の野球部”を応援しているのだろうか。今回、JR西日本硬式野球部の応援団に話を聞いた。といっても、応援団は野球部と違って常設の組織ではない。結成・活動するのは都市対抗と日本選手権の予選・本大会(出場できれば)の4大会だけだ。

野球部の選手と“同じ職場で働く”

「応援団のメンバーは、基本的に野球部のある中国統括本部(広島、岡山、米子)の本部内で働いている人が中心です。各部から希望している人を推薦してくれて、あとは現場などでも知り合った人同士のつながりから、『やってみない?』と。勤務の関係もありますし、もちろん私用もありますから、応援は行ける人だけが参加する、という形です」

 教えてくれたのは、中国統括本部経営企画部で人事を担当している山本秀祐さん。応援団では、マイクパフォーマンスを担う。

「人事は野球部も管轄しているので、自然と野球部と関わる機会が多くなるんですよね。だから、その流れで必然的に応援団に入りました(笑)。ただ、叔父がかつて野球部の選手で、小さい頃からよく球場には行っていたんです。いまの田村(亮)監督が現役だった時代も見ていて。そういう縁もあったので、先輩から応援団をやらないかと声をかけてもらって、喜んで参加することにしました」(山本さん)

 中国統括本部の人事や総務には、野球部の選手が所属することもある。野球部の選手たちは、午前中はそれぞれの職場で仕事をし、午後になると練習に向かう。そのため、ふだん机を並べて仕事をしている同僚が選手、という環境にある。応援団に入っているかどうかは別にして、ほとんどの社員が熱心に野球部を応援しているそうだ。野球部も、応援団も、同じ職場で働いている人が中心。距離感も近くなり、お互いの人となりもわかる。応援団に入って球場で応援しよう、と思うのも当然といえば当然か。

「いつも一緒に仕事をしている仲間はいいんですが、応援団のメンバーはほかにもいます。駅員や車掌など現場で働いている人、また中国統括本部以外にも。JR西日本全体では50〜60人くらいですかね。予選では中国エリアの人たちが中心になるんですが、本大会に出るとみんなが東京ドームや京セラドームに集まってくる。その前にみんなで練習もしますが、それが初対面、ということもよくあります」(山本さん)

「私、チアやってみたいです」

 特に2020、21年の2年間はコロナ禍で応援活動を行っていなかった。そのため、2022年が3年ぶりの応援活動。とうぜんメンバーの入れ替わりもあり、顔と名前も一致しないままはじめたという。2023年の都市対抗で“デビュー”した、近畿統括本部に所属する熊谷侑華さんも、「ほとんど全員がはじめまして、でした」と振り返る。

「私は今年の6月に近畿統括本部の人事に着任しました。そのときに、野球部の応援があるけどどうする?って聞かれて。それで、『チアをやってみたいけどできますか?』と聞いてみたんです。大学時代にチアリーディングをやっていて、社会人になってからもずっとアメフトのチアをしていました。ただ、野球の応援だけはしていなくて、一度やってみたかったんです」(熊谷さん)

 都市対抗や日本選手権の本大会では、チアが応援に加わる。ただ、応援団は全員がJR西日本の社員だが、チアは法政大学のチアリーディング部の力を借りているという。熊谷さんは、2023年の都市対抗からそこに加わった。

「振りを1週間くらい前に教えてもらって、あとは自分で練習して、ぶっつけ本番です(笑)。20歳くらいの大学生たちと一緒にやるので、ジャマしたら悪いしちょっと恥ずかしいというのもありましたが、貴重な機会になりました。都市対抗の舞台、東京ドームにチアとして立つ経験はなかなかできないので、本当に楽しかったです。入社してから都市対抗を見に行ったこともありますし、たくさんのお客さんの中で……。野球部があって、応援団があって、よかったですね」(熊谷さん)

 東京ドームでの応援を終えて近畿統括本部に戻ると、いままではほとんど会話することのなかった同僚から声をかけられる機会も増えたという。

「『踊ってたね』とか『チアやってたんだ、知らなかった』とか。有名になっちゃいました(笑)。同じ会社で働いていても、接点のない人はたくさんいます。こういう機会があると、社内でも知り合いの輪が広がっていって、自分のことも知ってもらえて。そういう意味でも、応援団をやってよかったなと思います」(熊谷さん)

JRの車掌さんが“エール交換”

 熊谷さんのチアが応援の花形のひとつだとすれば、もうひとつの見せ場はエール交換だろう。対戦相手の応援団とエール交換を行うシーンは、社会人野球の見どころのひとつにもなっている。エール交換は、応援団の団長の役割だ。JR西日本の応援団でその大役を担っているのは、湯原拓也さん。ふだんは山陽本線など中国エリアの路線で車掌を務めている。

「入社1年目に都市対抗野球を見に行ったんです。そこで、応援の活気や一体感、球場の熱気に感動しました。ぼく自身もスポーツをやってきて、声を出すのが得意だったから、自分も力になれたら、と応援団参加を志願したんです」(湯原さん)

 エール交換は、誰もができることではない。応援団に入って、ステージでのパフォーマンスなどを地道に続け、周囲に認められてはじめて務めることができる。湯原さんが初めてエール交換をしたのは、2023年の都市対抗野球。

「応援を頑張ってきた積み重ねがついに認められた、とうれしい気持ちでした。過去の動画を見て、あとは家で練習をして。本番前は緊張しましたが、実際にステージに立つと、自然と声も出てきて緊張しなくなるんです。相手の団長に負けない声量を出せるように、というのは意識しましたね。相手よりも勢いがなかったりすると、選手にもマイナスの影響を与えちゃうんじゃないか、と」(湯原さん)

「車掌って、ひとりぼっちの仕事なんです」

 大会後は、熊谷さんと同じように周囲の社員から話しかけられることが増えた。

「車掌って、基本的にひとりぼっちの仕事なんです。仕事中は運転士と指令の人くらいとしか話さない。だから、どうしても他の人とのつながりが薄くなりがちで。運転士さんとも同じ列車に乗っていても初対面、ということもあるんです。でも、応援団をやることで普段なら関わりを持たない人たちともつながっていける。初めて一緒に乗った運転士さんに『声出てたねえ』なんて言われたりして。それは大きな魅力ですよね」(湯原さん)

 ちなみに、比較的勤務に融通が利きやすい本部勤務とは違い、車掌は複雑なシフトが組まれる勤務体系になっている。ただ、団長という大役を務める湯原さんは、野球部が勝ち続ければ全試合応援に参加できるように配慮されているのだとか。

「お願いして、決勝まで勝ち進んだら全部行けるように組んでもらいました。そういうお願いを快く受け入れてくれるところも、みんなが野球部を応援しているんだなあと感じるところですよね。実際は1回戦で負けちゃったんですけど……」(湯原さん)

<続く>

文=鼠入昌史

photograph by Sankei Shimbun