オフの朝はスポーツ新聞の記事に驚いて、いっぺんに目が覚めることがよくある。

 千葉ロッテ・石川歩投手、戦力外通告。それも間違いなく、このオフの朝のショックの1つだった。

 ちょっと頭がはっきりしてくれば育成契約で、退団や引退するわけじゃないんだろう……ぐらいのことは察しがつくのだが、やはり学生野球の頃にブルペンでその全力投球に向き合って、ドラフト1位でプロに進んでローテーションの一角で投げた投手なので、私の中ではちょっと「自慢」みたいになっている。

 2014年に10勝8敗で新人王に輝いてから、ロッテひと筋10年で76勝を挙げて、最優秀防御率にWBC日本代表にも選ばれている石川投手。

 思い入れも違うから、こういう時のショックは、けっこう大きいのだ。

中部大時代の石川投手の印象は…?

 中部大・石川歩投手とブルペンで向き合ったのは、彼が4年生の時だったと思う。

 秋の終わりだったか、春の初めだったか、みぞれの降る寒い、寒い日の午後。確か、テレビ番組での取材だった。

 当時の善久(ぜんきゅう)裕司・中部大監督が、同じ早稲田大野球部のOBで、以前から石川投手の本格派右腕としての素質について教えていただいていた。

 ストーブをガンガン焚いてもまだ寒いぐらい監督室に、ヌーッと(失礼!)入ってきた石川投手の青白い小顔を、今もはっきり覚えている。

「いや、自分なんて、富山の田舎で野球やっていただけなんで……甲子園出たわけじゃないし、体も細いし、自信なんてぜんぜんなくて……」

 謙虚とか、そういうレベルじゃない。自分の野球に対する確信のなさを、正直に話してくれている。好感が持てた。

 だいじょうぶ! 君のポテンシャルなら、時間をかけて体を作って経験を積めば、上のレベルで絶対投げられる。あまり気が進まない雰囲気の石川投手の背中を押すようにしてブルペンに向かったものだ。

 リーグ戦に登板した石川歩投手の、しなやかな腕の振りから投げ下ろす快速球を、私は見て知っていた。

「はい、寒いのは平気なんです。向こう(富山)で、こんな時ばかり投げていましたから」

 あいにくの天気を気遣ったら、こんな返事が返ってきた。弱気なことばかり言っているわりに、芯の強さが伝わってきた。大丈夫だと思った。

 シュートがキレていた。

 意識してシュートを投げるピッチャー、彼が初めてだった。速球の軌道でまっすぐに来て、ベースの手前あたりからシュワッと、右打者のふところあたりに食い込む。

 何が、「ぜんぜん自信なくて……」だ。投げ始めると、ファイティングスピリットに火がつく。10球、20球……色白のマスクのほっぺが紅潮している。

 こんな寒い日に、なんだ、根性あるじゃないか。間違いなく、気温10度は割っている。指先がかじかむような日に、低めに集めてくる。

 カーブもちゃんとタテの落差を作って、横ブレもなく、1m87cmの長身からの角度抜群の速球は、地を這うように走ってミットを叩いた。

大学卒業後は社会人の強豪・東京ガスへ

「ありがたいことに、東京ガスさんが声をかけてくださって」

 実直な善久監督が恐縮しておられたが、社会人の強豪・東京ガスでの、最初の2年間は、正直、ちょっと 危なっかしかった。

 期待されて、都市対抗の初戦先発に抜擢されたりしたが、なかなか応えられずにいた社会人の3年目だ。

 何かの大会の、大田スタジアム(東京都)だったと思う。

 次の試合に備えて、スタンドに現れた東京ガスの選手たちの中に、石川投手を見つけた。頭1つ分ぐらい抜けた大きな長身。すぐわかった。

 ちょっと距離があったが、確かに目が合った。「どうするかな?」と思ったら、こっちへやってくる。

 中部大のブルペンで受けて以来、久しぶりの再会だった。

「うーっす」みたいな、迫力のある挨拶から始まったから、驚いた。

 立ち話だったが、いろいろ話した。印象的だったのは、「自分、もう中部大の石川歩じゃないんで」……そんなフレーズを二度、三度繰り返したことだ。

 こちらを見下ろす目の強さが別人だった。うっすらとヒゲも生やしていたように思う。前の年、やはりどこかの球場で目が合った時には、スッと、いつの間にかいなくなっていたのに。

 その年の石川歩投手がすごかった。東京ガスの絶対的エースとして、マウンド上で胸郭を存分に広げて、大きく立ちはだかっている支配感。見下ろしの上から目線で豪快に腕を振り下ろし、150キロに迫る快速球で、高速フォークで、ピンチに三振を続けて奪ってきり抜ける。

 ドラフト会議では、千葉ロッテと読売ジャイアンツの2球団の1位指名が重複。伊東勤監督(当時)がくじを引き当てて、千葉ロッテに進んだ。

 ちょっと調べてみて、驚いた。

 入団した2014年に新人王を獲得して以来、10年間で76勝を挙げたが、一軍で登板できなかった今年を除いた9年間で、150イニング前後投げたのが7年、しかも、勝ち星より負けが多かった年は2017年の一度だけ。

プロ入り後は「常に先発ローテーションの一角」に

 つまり、常に先発ローテーションの一角として、先発投手に課せられた「相手に先取点を与えない」という使命をほぼ全うしてきたということだ。

 右肩、ヒジ、腰……故障と付き合いながら、投手陣の中心として働き続けた千葉ロッテでのプロ野球生活。

 右肩ベネット骨棘(こっきょく)切除術、後方関節包解離術、関節唇(かんせつしん)クリーニング術……この10月、来季以降の復帰を目指して、石川投手が行った手術も、報道では、なんのことやらよくわからない難解な術式が並んだ。

 投球開始は2024年の春頃ということで、今回の「育成契約」も投げられるようになるまで、支配下枠が1つもったいないから便宜上、球団に預からせてくれ……というのが、ホントのところなのだろうが、投手にとって、これだけ複雑な手術を、来季36歳というタイミングで行うことの「不安と怖れ」は、投手経験者の方に聞くと「おそらく、夜中に目が覚めた時に眠れなくなるほどの怖さ」だという。

「ほんとは、婦人服の服飾デザイナーになりたいと思っていたんですけど」

 ブルペンで、誰が見たって「プロの素材」と目を見張るようなボールを投げた後、確か、そんなことをモソッとつぶやいていた痩身・色白の青年が、社会人野球でもまれて逞しくなって、プロに進んで10年76勝。

 こっちから考えたら、正直、まあ、いいか……と満足してしまいそうな実績かもしれないが、いやいや、まだまだ、「最後のもうひと花」ってものがあるだろう。

球界随一の「技巧派」がプロ生活で培ってきたものは…?

 丁寧に投げる、コントロールを意識して投げる、タイミングを外しながら投げる、淡々と投げる。相手に悟られぬようポーカーフェイスで飄々と投げる。150キロだ、160キロだと、威勢のよい話ばかりが「投の価値観」になりつつある今のプロ球界で、もう一つの「投」の世界の興味深さや奥深さを、実戦の体現を通して、後進の投手たちに見せつけることができるとすれば、そのとても数少ない「実践者」の1人になれる人材だ。

 人間、体に不都合がある時は、休むことが前に進むことだ。

 チームに預けた支配下枠を狙って、年明けから死力を尽くそうとするチームメイトたちが、千葉ロッテには何人もいる。ちゃんと、穴埋めしてくれる。そして体の健康を取り戻した時、もう一度、「預けたもの」も取り戻しにかかればよい。

 来季でプロ生活11年目、一軍76勝のベテランの矜持は、そうそう簡単に折れるものじゃない。そう期待している者が、きっと何人もいるはずだ。

文=安倍昌彦

photograph by JIJI PRESS