『箱根駅伝「今昔物語」100年をつなぐ言葉のたすき』(日本テレビ編/文藝春秋刊)より、感涙のエピソードを抜粋して紹介します。第1回は「最強の市民ランナーを生んだ山下り」川内優輝」(学習院大学 関東学連選抜として第83、85回出場)です。【全3回の2回目/第3回「設楽悠太」編へ】
独自の「箱根ノート」
「箱根を切っ掛けに、学連選抜を切っ掛けに、僕というのは一気に競技力も上がった と思っているので。大学時代の経験はすごく大きいです」
そう話すのは、公務員ランナー(現在はプロランナー)として一世を風靡した川内優輝さん。彼は学習院大学時代に2度、関東学連選抜の一員として箱根駅伝を走っている。
区間はいずれも6区。山下りに自信を持っていた。
川内さんは、強豪校の選手たちと戦うために戦略を練った。独自に「箱根ノート」を作り、6区のコースをいくつかに区切って、それぞれの区間をどれくらいのタイムで走れば良いかを細かく分析。
決して強いとは言えない大学だったが、そうした創意工夫で実力を培ってきたのだ。
大学にグラウンドはなく、競技場を使用できるのは週2回だけ。それでも、持ち前の集中力と質の高い練習で頭角を現す。そして力をひとつ上のレベルにまで引き上げてくれたのが、箱根駅伝出場の経験だった。
「下りだけだったら、僕が一番速かった…」
初めての6区は区間6位だったが、最終学年で挑んだ6区は区間3位、自身の記録を57秒も更新してみせた。
川内さんは成長の理由をこう語る。
「普段の練習から走り終わるとバタン(倒れる)という、それを繰り返してきました。やっぱり、(強豪校の選手に)負けたくないから頑張る。ここで引いたらダメだと。詰めなければいけないと。
区間3位でしたけど、多分、下りだけのタイムだったら僕が一番速かったんじゃないかなと思ってます」
負けず嫌いで、工夫好き。
彼が今も走り続けている理由もきっとそこにある。
<第3回「設楽悠太」編に続く>
文=小堀隆司
photograph by Asami Enomoto