広島・西川龍馬選手がオリックス・バファローズにFA移籍して、その人的補償が「日高暖己投手」と報じられた時「カープ、やるなぁ」と思わずつぶやいてしまった。
ここ数年、仕事やら何やらで、広島やカープとのご縁が厚くなってきた身としては、いつの間にか広島カープに対する思い入れも強くなっているのかもしれない。ちょっとしたごひいきモードで、「快挙」を讃える心持ちになってしまった。
プロ1年目だった日高投手が選ばれたのは、大きなショックと言ってもよいほどの驚きだったが、制度上、人的補償のプロテクトは28人である。
わかりやすく言えば、「よそに獲られちゃ困る選手を28人に絞る」ということだ。
一軍ベンチ入りが26選手なのだから、28人という「定員」など、あっという間に埋まってしまう。まして、3年連続パ・リーグ制覇のオリックスである。選手の層も厚くなっている。
その将来性は高く評価しながら、泣く泣く外した1年目の快腕を、広島カープが放っておかなかった。そのへんが、実情なのだろう。
高校時代の日高投手の記憶
日高投手については、忘れられない記憶がある。
2022年・夏の甲子園大会。日高投手擁する富島高校(宮崎)と下関国際高(山口)との2回戦だ。
184センチ77キロ。伸びやかな長い手足を躍らせて投げる全身の運動量と躍動感が、まず素晴らしかった。右打者にも左打者にも、長身から投げ下ろす140キロ台前半の速球で内角をガンガン突いていく投げっぷりも雄々しく、「こりゃあ、フレッシュでエネルギッシュなピッチャーが出てきたぞ!」と、こちらの胸も躍ったものだった。
その速球が狙われていると察すると、今度は、試合中盤からタテのスライダーやカーブ、フォークを多めに交えて投球のテンポを上げていく。
そして、迎えた9回。
追加点の5点目を奪われて、バックアップしたバックネット前からマウンドに戻っていく日高投手の後ろ姿が、この目に飛び込んできた。
憔悴している様子が見えなかった。それどころか、背すじをビシッと伸ばし、真っすぐマウンドを向いて走っていく足取りがキリッとしていた。
致命的とも思える失点を負った直後の、失望感も、脱力感も、そういう「負のムード」が全く漂っていない。取られたものは仕方ない。サッと切り替えて、次の戦いに向かっていく「侍」の凛々しさだけが感じ取れていた。
エースの矜持。予選5試合のほぼ全イニングを一人で投げ抜いて、チームを甲子園に牽引してきた者の誇りがそうさせているのか。
思わず惚れ込んでしまいそうな、毅然とした態度だった。
「マウンドでの立ち姿は大切にしなさい。それは、事あるごとに話していました」
富島高・濱田登監督とは、前任校の宮崎商監督の頃に、本格派左腕・赤川克紀投手(元ヤクルト)の全力投球を受けさせていただいて以来のお付き合いになる。宮崎商は、濱田監督の母校にあたる。
「ただ、最初からそうだったわけじゃなくて、あの甲子園のちょっと前に、こんなことがあったんです」
監督が日高に渡した「ある書籍」
ある試合で投げ負けた日高投手を、濱田監督がどなりつけたという。
「審判のジャッジとか、バックのエラーとか、そういうことに対して明らかにイライラしながら、彼が投げていた。だから、私、全ての部員、全ての保護者の前で、『今日だけは言わせてくれ』と、彼を叱りました。『みんなが甲子園に行きたくて頑張っている中で、自分の感情だけで勝負が左右されたら、バックを守る者、チームメイトはたまらんだろう!』って。『それだけは、勘弁してくれ!』って」
満座の中で、日高投手を叱った後で、濱田監督が彼に手渡した一冊の書籍。『丁寧道』(武田双雲著)。
「私の中でしっくり来た……というか、感じるところがあったものですから。彼も何か感じ取ってくれたらと思いまして」
およそ1カ月後、夏の宮崎大会・準々決勝の日章学園高戦。
同点の9回裏、2死満塁、絶体絶命の大ピンチ。
「日高が、徹底的にインコース、インコースを攻めてフルカウントになって、最後もインコースを攻めて一塁フライでピンチを切り抜けて、ベンチに帰って来て、あいつ、何て言ったと思います?『丁寧道、すげー!』ですって」
オリックス入団が決まり、入寮の時にもバッグに入れて大阪に向かったというその書から、いったい何を嗅ぎ取ったのかはわからないが、きっとスポンジのような吸収力を持った若者なのだろう。
「こだわりが強くて、探求心が強くて、納得すればとことん続ける代わりに、納得できないことは納得するまで質問してくる。私、彼が3年生の時の担任なんですけど、教室ではごくごく普通の生徒でしてね。先生に手を焼かせることもなく、さぼらない、気が利く、頼んだことはすぐやってくれるし、頭もいい。好青年っていうのは、彼みたいなことを言うんでしょうね」
急転直下、カープへの移籍が決まる
このお正月、地元・日向で「日高暖己投手を励ます会」が行われた。
プロ1年目にウエスタン・リーグとはいえ、12試合で20イニングを投げて防御率3.15。
プロに飛び込んだからには、小さな子供たちに夢を与えるようなピッチャーになってほしい。親、兄弟、チームメイト、指導者、郷里の人々……みんなの思いを背負って、1球1球心をこめて投げてくれ。
間違いなく、順調に滑走を始めた郷土の星にと、期待と祝福に満ちた嬉しく、楽しい集まりだったという。
「その翌日ですよ、カープだって聞いたのは」
なんという巡り合わせなのか。声もなかったという。
「あれからまだ1週間ぐらいですから、私もまだ、彼がカープのユニフォーム着てるイメージがぜんぜん湧かなくて。でも、カープの方からは、最初から日高だったって聞いてますし、移籍はプロ野球人の宿命ですから、望まれて行った所で結果を出してくれることを祈るばかりですね」
振り返ってみれば、2022年ドラフト・オリックス5位指名。
その年、指名された高校生投手では11番目の指名だったことに、私は当時からずっと「違和感」を抱き続けている。
斉藤優汰(広島1位・苫小牧中央高)、門別啓人(阪神2位・東海大札幌高)、斎藤響介(オリックス3位・盛岡中央高)ときて、その次あたりに「日高暖己」の名前があっても、ぜんぜんおかしくなかったと、今でも考えている。
昨秋のドラフト会議で、青山学院大・常広羽也斗投手を1位指名した広島カープ。日高暖己投手の移籍で、今年のカープは「ドラフト1位」を2人獲得したと、私は本気で思っている。
「そりゃあ、いつも試合に出ていたいからですよ」
「ウチに入学した頃は、ショートがやりたいって言って、なかなかピッチャーをやりたがらなくてですね。私は、間違いなくエースになれるヤツだと思ったんで、何度も何度もくどいて、やっとピッチャーやる気になってくれて」
どうして、そんなにピッチャーやりたくなかったんでしょう?
「そりゃあ、いつも試合に出ていたいからですよ」
笑って教えてくれた理由に、私は、もう一度、甲子園でマウンドに戻っていく凛とした後姿を思い出していた。
ダブルヘッダーの練習試合なら、第1試合に完投しても、自分から志願して、第2試合は野手で嬉しそうにフル出場していたという。
「とにかく、根っからの野球小僧。ここまで大きな故障もしてなくて、体も強いと思います。カープのカラーに合っているかもしれないですね。そうだといいんですが……」
投手・日高暖己、オリックスでは山本由伸投手がお手本だったと聞いている。そこにカープの森下暢仁、栗林良吏投手の熱と精度とマウンドの支配感を吸収できたとしたら――?
春のキャンプも、もうすぐだ。
本物のドラフト1位・常広投手との「本気の闘い」が、日南で、沖縄で、待っている。
文=安倍昌彦
photograph by JIJI PRESS